第5話 嬉しい会合と、戦慄する夜
「こんばんはー!」
元気な声と共にがらがらと開けられた入り口に向けられた目は、最近よく見る笑顔を認めた。
須永はカウンターの中から声を掛ける。
「おう亜妃ちゃん、今日はキレイどころ勢ぞろいでご来店、ありがとうございます」
「先週ぶりです、須永さん! 今日は、噂の巫女さまも一緒だよ」
亜妃の後ろから顔を覗かせた女性に、須永は眼を見開く。
幼馴染の凱斗たちから何度も噂は聞いていたが、
噂以上のきりりとした美女に、須永は思わず奥の座敷の方を見た。
奥の座敷で注文を受けていた桜花が小走りで戻って来る。
「亜妃さん、いらっしゃいませ! 巫女さま? 本当に?」
眼を輝かせる桜花に、あきらは軽く頭を下げた。
陽那と紗矢子が店内に入ってくる。
「えっと、あきらさん? ですよね? はじめまして、お兄ちゃんとお父さんと一緒にこの店をやってます、桜花といいます。陽那さんと紗矢さん、お久しぶりですね」
「はい、ご無沙汰してました」
「桜花さん、私の名前、覚えててくれたんだ。嬉しい」
「お客さんの顔を覚えるのは得意なんです。紗矢さん美人だし、忘れませんよ」
はにかむように紗矢子が微笑むと、亜妃が入り口付近のテーブルを指す。
「桜花ちゃん、ここでもいい?」
「はい。今、おしぼり持ってきますね」
亜妃と陽那と紗矢子、そしてあきらが珍しそうに店内を見渡しながらテーブルに着く。
采希から行きつけの幼馴染の焼鳥屋があると聞いていたが、来るのは初めてだった。
陽那を通じて亜妃に誘われ、亜妃と紗矢子とは初対面だった。ついさっき近所のカフェで顔を合わせ、意気投合してここまで連れて来られた。
社交的な亜妃が場を取り仕切る。
それぞれの好みを聞きながら手早く注文をすませていった。
「じゃあビールも来たことだし、まずは乾杯ですね」
他愛もない会話を交わしながら笑う、かなりレベルの高い女子集団を眺めながら、須永はしんと静まり返った奥の座敷に視線を向けた。
「ねえねえ、あきらさんの初恋が黎さんって、本当ですか?」
いきなり亜妃に振られ、あきらは口元に当てたジョッキを止める。
「……誰から聞いた?」
「そこは追及しないで。黎さんって、今でもスーツが良く似合ってて渋くて格好いいですけど、若い時はもっと精悍そうですよね」
「亜妃は仕事の黎さんしか見ていないからなぁ。普段は酷いぞ。――ちなみに、初恋は黎さんじゃない」
「え? そうなの?」
「うん。私は、一度
琉斗が原因で力を失った話は、三人とも知っていた。
力を失う以前のあきらは、気を集中するほか、夢で未来を視ることもあるらしかった。
「その夢は、未来の夢のように複数視点から見ている夢だった。もう力は失ったはずなのに、と思いながら見ていた」
「どんな夢だったんですか?」
陽那の問いに、あきらは当時を思い出しながら微笑む。
「その時は、黎さんと一緒に霊退治する夢だと思った。だけど、当時の黎さんよりも若く見えたんだ。だから過去の夢かとも思ったんだが、私は今くらいの年齢のようだった」
「じゃあ、その夢に出て来たのは、黎さんじゃなく……?」
「采希だ」
紗矢子が身を乗り出す。
「私、黎さんとは会ったことがないんですが、そんなに采希さんに似ているんですか?」
「いや、気配は似ているが顔はそうでもない。ただ、二十歳前後の時期だけ酷似しているんだ」
亜妃と紗矢子が顔を見合わせる。
「そんなことって、あるの? 一時期だけ似てるって」
「あるよ、亜妃ちゃん。私と母がそう。高校生の頃の母が、私とほぼ同じ顔だった」
「今はそうでもないよね」
「うん、経験や生き方の違いかもな、って思ってる」
納得したように頷き、亜妃はあきらの方を向く。
「その夢を見て?」
「采希と初めて会った日に見た夢。夢の中で一緒に闘った未来の采希に一目惚れしたということだ」
一同から歓声が上がる。
「月並みな言葉は言いたくない。でも運命っぽくて羨ましい」
「力を失ったはずなのに、未来の夢を見る……何か不思議な出来事ですね」
両手を胸の前でがっしりと組みテンションの上がる亜妃の肩を、紗矢子がそっと押さえる。
「ずっとその夢の人を黎さんだと思っていたからな、高校を出る頃に遠見で采希を視て、やっと采希だったんだと気付いた」
あきらの言葉に、揃って嬉しそうに頷く。
「陽那ちゃんはどうなの? どうして采希さんじゃなく那岐さんに?」
「亜妃ちゃん、その言い方はどうかと思うけど」
「だって、陽那ちゃんが助けられた状況聞いたらさ、どう考えても采希さんに惚れるだろうと思ったんだもの」
亜妃の言葉に、陽那は納得したように笑う。
「そうかもしれませんね。でも、初対面ですぐに分かったんです。采希さんには凄く大事に想っている人がいるって」
「……それは、陽那ちゃんの勘?」
「どうでしょうね。采希さんが無意識に『自分は無害だ』って気配を出していたんじゃないかなって思ってます。あの頃の私は周囲にいる人、誰もが怖かったので」
「采希さんは怖くなかったってこと?」
「はい。那岐さんや榛冴さんも不思議と怖くなかったですね」
亜妃と紗矢子は同時に頷く。采希には相手の警戒心を解くような雰囲気があると、二人とも思っていた。
「榛冴くんは人当たりもいいし、那岐さんも笑うとあどけない感じになるからねー。分かる気がする。それで、あの五……四人の中で那岐さんがいいって思ったのはなんで?」
亜妃が身を乗り出すと、陽那は少し伏し目がちに笑った。
「――あの、那岐さんって、物凄く眼が綺麗だったんですよ。その動きで、常にさりげなく護られているのが分かって……」
「ほお、陽那はよく見てるな」
あきらが感心したように目を見開く。
「そうですか? 多分、那岐さんって凄く頭がいいんだろうと思っていて、なのにあんなに強くて。それであの子供みたいな笑顔なので気付いたらずっと見ていました。私じゃ釣り合わないって思ったんですけど、思い切って『那岐さんの傍に居たいです』って言っちゃいました」
亜妃と紗矢子から『きゃー♪』と声が上がる。
あきらは興味深そうに陽那に顔を寄せた。
「那岐は、なんて?」
「それが『僕でいいの? 兄さんじゃなく?』って言われてしまいました」
「……何故だ?」
「采希さんは那岐さんにとって本当に憧れの存在らしくて。自分より采希さんの方が好かれるだろうって思ってたらしいです。那岐さんから相談された采希さんに『それは陽那に失礼だぞ。お前を見つけてくれたんだ、きちんと自分の気持ちに向き合ってみろ』って言われたそうです」
「采希らしいな。――それで?」
「那岐さんから『僕とお付き合いしてもらえませんか?』って……」
あきらが少し感心したような表情をみせる。
「凄いな、陽那は。那岐はこれまで、自分から誰かに告白した事はないそうだぞ」
「あきらさん、そうなんですか? 榛冴くんもそうだって聞いてますよ」
亜妃が驚いたように陽那を見つめる。
「凱斗は何度か自分から告白して付き合ったことがあるそうだが、他の四人は自分から言ったことはなかったそうだ」
「相手から言われて『ま、いいか』って付き合い始める様子が目に浮かぶわー」
亜妃がしみじみと言うと、全員が大きく頷いた。
「凱斗さんは自分から言うタイプなんですね。今はお付き合いしてる人はいるんでしょうか」
「いないらしいよ。凄く愛想いいしお母さん似のイケメンだから、かなりもててはいるらしいけど」
陽那の言葉に亜妃が答える。
付き合う機会は多いものの、長続きしないのだと榛冴から聞いていた。
「うーん、確かにもてそうですよね。一緒にいても楽しそうだし」
「じゃあ紗矢、凱斗さんにする?」
「……えっと、それは……」
困った顔になった紗矢子に、あきらが笑いかける。
「紗矢は硬派な琉斗がいいんだよな」
「えっ?! ちょっとぉ、聞いてないんですけど」
「ごめん亜妃ちゃん、何となく言いそびれて。だってね、付き合ってるとかじゃなくて……」
「はぁ?」
陽那がそっと隣に座るあきらの腕に触れる。
「あきらさん、私も那岐さんが『ここまでとは思わなかった』って困ってたと聞きましたけど、何かあったんですか?」
あきらが口を開く前に、紗矢子は陽那に向かって苦笑してみせる。
「何かあったんじゃなくて、何もないの」
「……?」
「私は好意を表しているつもりなんだけど、琉斗さんは気付いていないみたいで」
「それって、琉斗さんは紗矢に興味がないってこと?」
「好意は持たれていると思うんだ。でも、何も言ってくれない。私の自信過剰じゃないと思いたいけどね」
「琉斗ならそうだろう。自分の気持ちを口に出すのは苦手だと思うぞ。紗矢は接触テレパスなんだから、触れた拍子に琉斗の気持ちが伝わると警戒しているのかもな」
「あきらさん、多分琉斗さんは紗矢さんが能力者だって、忘れてると思いますよ」
陽那の意見ももっともだと、あきらは思った。
紗矢子は益々困った表情になり、小さな吐息が漏れた。
「……手も繋いだことはないので。でも、そうなっても心を読むつもりはないです」
あきらと陽那がそうだろうと言わんばかりに頷いていて、紗矢子は少しだけ気持ちが楽になる。
琉斗とは何度か一緒に出掛けたし、よく連絡を取り合っている。
何か言いたげにしていることはあっても、琉斗からはっきりと気持ちを告げられた事はない。
「あきらさんや陽那ちゃんが羨ましい……」
ぽつりと紗矢子が言うと、あきらは考えるように視線を中空に向ける。
「……私も、采希からは何も言われていないぞ」
「「「……はあ?」」」
亜妃たち三人が揃って頓狂な声を出してしまう。
「気付いたら黎さんと朱莉さんたちの間で、采希が婿入りするとか、盛り上がっていた」
「……一度も言われていない?」
「そうだな」
「そこは言うとこでしょおー、采希さぁん!」
亜妃が頭を両手で押さえて天を仰ぐ。
陽那と紗矢子は笑っていいのか、気の毒に思えばいいのか迷い、微妙な顔になってしまった。
そんな女性たちの声を耳にしながら、須永は桜花を手招きした。
「お前、彼女たちに教えた方がいいんじゃないか?」
「お兄ちゃん、もう手遅れだと思うよ」
兄妹揃って大きく息を吐く。
もし自分だったらと考えて、居たたまれない気持ちになった。
怖いので、奥の座敷席には視線を向けられない。
「そう言う亜妃ちゃんはどうなの? 陸玖くんとの榛冴くん争奪戦には勝てたの?」
「う……」
苦虫を噛み潰したような顔とは、こんな表情なのだろう、と陽那は思った。
訓練に明け暮れる榛冴は、優秀すぎる祖母と従兄弟に追いつこうと必死で、それどころではないらしい。
朔の本部の情報部門の女子にも人気が高く、亜妃としては心配なのだろうと思った。
「私のことは放って置いて! もっと自分を磨くから!」
拳を握って前向きに宣言をする亜妃に、あきらは楽しそうに笑った。
こんな風に友人と話す事など、これまでなかった。
こんな経験が出来るのは、身をもってこの世に自分を取り戻してくれた采希のおかげだと思った。
(いつか、ちゃんと気持ちを伝えるべきだろうな)
自分が采希に想いを伝える事を想像し、思わずあきらは
どうやら、自分には似合わない。そう思った。
陽那が心配そうに背中を擦る。
「あきらさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、ちょっと変な想像を――ああ、何でもない」
陽那に笑いかけ、あきらは立ち上がる。
「ちょっと失礼する」
「あきらさん?」
「レストルームだ」
そう告げて店の奥にあるお手洗いに向かうあきらが、壁の先の座敷席の手前で立ち止まる。
硬直したように動きを止めていたかと思うと、くるりと踵を返す。
早足で戻って来るあきらの顔は、引きつっていた。
無言で元の椅子に座る。
「あきらさん、どう――」
「陽那、奥の座敷にいる」
「……は?」
「采希たち五人が、いるんだ」
「「え?」」
慌てたように告げるあきらに亜妃と紗矢子が呆然としていると、あきらが陽那の耳に囁いた。
「陽那、ここは、そっと帰った方がいいと思うんだが」
奥の座敷で榛冴が苦笑する。
「完全に、僕らがいるなんて想定もしていなかったみたいだね」
「いると分かっていたら、あんな話はしないだろう」
琉斗も額を押さえ、苦悩するように眼を閉じる。
凱斗は両手で顔を覆い、泣きそうになっていた。
「……兄さん、後であきらちゃんのフォローお願い。さて、と――」
那岐が立ち上がり、少し大きな声を上げた。
「桜花ちゃん! 追加のオーダーお願い!」
「きゃーーー!」「ぎゃあああぁ!」「ああああぁぁ!」
一拍置いて、悲鳴が上がる。
あきらはそっと手招きして呼んだ桜花の手の中にお札を滑り込ませ、『釣りは迷惑料で』と囁いた。
ばたばたと店を出て駆け出す足音を背中で聞きながら、あきらは夜道を急ぐ。
お手洗いに向かおうとした自分に、座敷席からひらひらと手を振ってみせたのは采希だった。
真っ赤になったその顔とは対照的に、自分の顔が蒼褪めていくのが分かった。
「何をそんなに急いでいるんですか、お嬢さん?」
背後から掛けられた声に、思わず足を止める。
ゆっくりと振り返ると、そこには誰もいなかった。
ぽん、と肩に手が乗せられ、身体がびくりと飛び上がった。
「…………采希」
「どこ行くの?」
「…………」
顔を見ることも出来ずに俯く。
くすりと笑った采希が、そっとあきらの頭に手を乗せた。
「言っとくけど、怒ってないぞ。ちょっと……かなり恥ずかしかったけどな」
「……ごめん」
「いいよ。ずっと聞きそびれていた事も聞けたし」
あきらは反射的に顔を上げて采希を見つめる。
照れたように目を逸らす采希は、迷うように話し出した。
「あきらはずっと黎さんを想ってたんじゃないかと思ってたから」
「どういう……あ、私の部屋の写真か?」
「うん、まあ、それもある」
「あれは――その……采希の写真が手に入らなかったし……」
采希は思わずあきらの顔を覗き込む。
「あきら、念写は出来ないのか?」
「念写……? あ! その手があったか!」
相変わらずだな、と思いつつ采希はやっと顔を上げたあきらの眼を覗き込む。
わざわざ言わなくても伝わるだろうとか、そんな事を言うつもりは毛頭なかった。
大事な人の不安は払拭するべきだろう、と思う。
「あのな、あきら。良かったら、これからちょっと、俺に付き合ってくれないか?」
采希の眼を見返したあきらが少し首を傾げる。
「どこに……あ、采希の家か! いいぞ、朱莉さんたちにも会いたいしな」
「いや、そうじゃなくて……二人でどこかに……」
「朱莉さんと蒼依さんに、最近、料理を教わっているんだ。織羽さまからは婆様の話が訊けるし、楽しみだな」
「…………うちには凱斗たちもいるし」
「……? それがどうかしたか?」
「いや、いいんだけどな」
娘のいない朱莉と蒼依は、あきらが家に来ると諸手を挙げて歓迎する。
嬉しそうに二人で構いまくるので、いつも采希は取り残されていた。
(最大の障害は母さんたちだな。――世間とは違う意味で……)
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