第4話 再会する縁と、伝わらない気持ち

「ここなら問題ないか」


 まだ朝も早い公園で、琉斗は呟く。

 ジョギングする人や犬を散歩させている人など、意外と人が多い。

 まだ初心者なのか、スケートボードの練習をしている小学生もいた。


《琉斗、本当にこんな所で訓練するの? 紅蓮は、やめといた方がいいと思うけど》


 控えめに訴える護身刀が収められたバングルを、顔の近くまで持ち上げ、琉斗は首を傾げる。


「たかが木刀で素振りをするだけだぞ。問題はないだろう」

《問題あると思うよ。それって不審者扱いになるって、采希が言ってた》


 紅蓮の言葉に琉斗はむっと口を尖らせる。

 自分では問題ないと思うのだが、采希が警告したのなら、多分そうなのだろうと思った。


「仕方ない。人がいなくなる夜まで待つか」

《それでも駄目だと思う》


 益々、不審者に思われてしまう。

 相変わらず世間ずれした主に、紅蓮は大きく息を吐く。

 納得してはいない顔で、琉斗は遠くを眺めた。


「そうか。だがせっかくここまで来たんだ、少し身体を動かして行くか」


 そう呟くと琉斗は眼を閉じてふうっと息を吐く。

 仮想那岐と組手をするように、武術の型をなぞり始めた。



 ぱちぱちと音がして、琉斗は動きを止める。

 近くのベンチに座っていた小さな女の子が、一生懸命手を叩いている。


「おにいちゃん、すごいねぇ」

「そうか? ありがとう」

「どうしたら、そんなにかっこよくなる?」


 琉斗は少し眼を瞬かせた。

 自分の動きは幼い頃から那岐の相手をするために身につけた、いわば自己流だ。

 きちんと道場に通っていた那岐にならば答えられるだろうが、自分には教えられないと思った。


 小さな少女は軽い気持ちで「アニメのヒロインみたいに戦うのもいいなぁ」と思っていただけなのだが、琉斗は真面目に道場を紹介したものかと考え込む。

 ふと、まだ五歳前後の子供が一人でいることに疑念を持った。


「君はこの近所に住んでるのか?」

「しらないひとに、おしえちゃだめなんだよ」


 勝ち誇ったように言う少女に、琉斗は『それもそうだな』と苦笑する。


「誰かと一緒にここに来たのか?」

「うん、おとうさんと」

「お父さんは、どこに?」

「コンビニ」


 琉斗は首を巡らせて辺りを見渡す。

 特にそれらしき人物はいなかった。


「あ! おかあさんにたのまれてたの、おとうさんにいうのわすれてた! おにいちゃん、じゃあね」


 突然ベンチから降り、少女は大きな交差点の方に向かって駆け出す。


《琉斗、なんだかとっても空回りだったね》


 紅蓮の声に、琉斗は意味が分からずに首を傾げる。


「そんな事はないだろう」


 全く気にする様子もない琉斗に少し呆れていると、紅蓮はすぐ近くに澱んだ気配を見つけた。

 どこかで触れた事のある気配に似ている。

 これは――


《琉斗、良からぬ事を画策している者がいる》


 琉斗は即座に少女が去った交差点の方を見た。


 信号が変わるのを待っている少女がいる。

 その背後からそっと近付く男が、後ろから少女に抱き付いた。

 少女から声は上がらない。

 琉斗が思わず駆け出すと、男は少女の口を覆いながらその身体を抱き上げて近くに停めていた車に乗り込もうとしている。


(――誘拐?)


 少女が暴れているのか、男は車に乗せるのに手間取っているようだった。


(間に合うか?)


 全力疾走する琉斗の視界の端で、スケートボードが宙に舞うのが見えた。

 無意識にそちらに意識を向けた琉斗は、スケートボードの落下予測地点を通る車椅子を認めた。

 このままだと車椅子に当たる。

 そう判断する間もなく、琉斗は急制動をかけて方向を左に向けた。


《琉斗! 車が発進する!》

(くっ……紅蓮、あの車を追うんだ!)

《わかった》


 バングルから小さな光が飛び出すのを確認しつつ、琉斗は車椅子とその押し手を庇う位置で止まった。

 瞬間、琉斗の背中に衝撃が走る。


 車椅子を押していた女性が悲鳴を上げた。


「ちょ……大丈夫ですか?」


 琉斗は思わず閉じていた眼を、ゆっくりと開ける。

 少しだけ身体を動かしてみるが、あまり問題はなさそうだと思った。


「あの……」


 不安そうに琉斗の腕に触れた女性に視線を返し、琉斗は呆けたように固まった。


「すみません、大丈夫ですか?」

「あ……ああ、問題ない。あなた方こそ、大丈夫でしたか?」

「はい、おかげさまで私もお爺ちゃんも無事です」


 僅かに蒼褪めながらも気丈に答える女性に、琉斗の記憶が高速で検索される。車椅子に乗った老紳士に見覚えがある。

 そこに半泣きの少年が近付いてきた。


「すみません! 転んでしまって、ボードが飛んで行っちゃって……あの、お怪我されてませんか?」


 口元と手を震わせる少年に、琉斗は迷いなく笑顔をみせた。


「俺も、この方たちも怪我はない。――練習していたのか?」

「はい、僕はまだ下手で、みんなの足を引っ張ってるので……だけど、もう……」

「次からは気をつければいい。なるべく人がいない時間に練習しようと思ったのだろう?」

「はい」


 大きく頷いて、琉斗は少年の手にボードを渡す。


「無理せず、頑張るんだな」

「はい、すみませんでした!」


 深く頭を下げた少年が立ち去るのを見届け、琉斗は紅蓮の気配を探る。

 かなり遠くまで逃げられたかと思ったが、この道に無駄なほど設置されている信号のせいで、そんなに距離は離されていない。

 すぐにでも追おうと思ったが、誰かが琉斗の腕を掴んだ。


「本当に大丈夫ですか? 凄い音がしました。病院に行った方が――」

「いや、ひとまず骨に異常はないようだ。打ち身だけなら全く問題ない」


 そう言いつつ、琉斗は目の前の女性に再び目を奪われた。

 止まらない動悸は全力疾走したせいだろうと思った。

 何か話したい、と思った所に、紅蓮の声が聞こえた。


《琉斗、女の子が凄く泣いてる。ドアはロックされていないのに、開けられない。どうしたらいい?》

(車の後部ドアは外側からしか開けられないように出来る。子供が急に開けたり出来ないようにな。――すぐ行く。運転を阻害しておいてくれ)


 琉斗は自分の迷いを振り切るように頭をぶるんと振り、走り出す。


「あ! あの、ちょっと!」


 女性の声を背に受けながら、琉斗は思い出した。


 桜の精が消えるのを采希と共に見送った、あの老紳士だ。

 その時にもあの女性が車椅子を押していたはず。


(……それより、あの子だ。あの様子だとずっと付け狙っていたのかもしれない。急がないと!)


 紅蓮の気配を目指してひた走る。

 妙にゆっくりと走る車を見つけた。

 紅蓮が車のアクセルに干渉しているのだと気付き、琉斗は走った勢いのまま、車の助手席側のドアに飛び付いた。

 拳で窓を叩く。


「停めろ! すぐにだ! 窓をぶち割るぞ!」

「ひっ!」


 慌てた誘拐犯は思わずハンドルを切って急ブレーキをかける。

 琉斗の身体は反動で放り出され、慣性のまま斜め前方のガードレールに叩き付けられた。


 道路を転がりながらも受け身を取りつつ立ち上がり、車の前に仁王立ちする。


「降りろ」


 琉斗の形相に怯えつつ、男は車のドアを開け、そして振り返って逃げ出した。


「逃がさん! 紅蓮、来い!」


 手の中に現れた紅蓮を、琉斗は男の背中に向けて放る。

 紅蓮の意思で狙いをつけた軌道は、男の頭部に到達した。



 近辺にいた目撃者が呼んだ警察からその場で事情聴取を受け、駆け付けた少女の父親から何度も頭を下げられた。

 見た目にもかなり血が滲んでおり、父親からも警察からも病院に行く事を勧められたが、琉斗は笑顔で了承を返し、家に向かって歩き出した。


《琉斗、帰るの?》

「ああ。どれもかすり傷だ」

《でも、その姿で歩くと目立つよ》


 そう言われ、琉斗は自分の身体を見下ろす。

 破けてあちこちに血が滲んでいる。


《采希みたいに隠形出来れば良かったのにね》

「全くだ」


 少し困ったように笑うと、紅蓮が遠くを見るように顔を上げた。


《……あれ? 采希と那岐? でも琥珀がいない》

「采希? どこだ?」


 琉斗のずっと前方から、那岐が真っ直ぐに駆けてくる。

 紅蓮は采希と那岐、と言っていたが、走っているのは那岐だけだ。

 思わず首を傾げると、那岐の声が聞こえた。


「琉斗兄さん! ちょうど良かった、采希兄さんを預かって!」

「……どこに采希がいるんだ?」

「ここだよ」


 那岐が両手を差し出す。

 琉斗には何も見えなかった。


「……那岐」

「あ、琉斗兄さんには視えないのか。ちょっとアクシデントがあって、采希兄さんの身体だけがどこかに運ばれたんだ。僕はこれから捜しに行くから、兄さんと先に帰ってて」


 そう言いながら、那岐は琉斗の手に何かを乗せる仕草をした。

 その途端、琉斗の耳は采希の声を捉える。


『ふざけんな、那岐! 俺も行く!』

「じゃあ琉斗兄さん、よろしくね」

『おい、那岐!』


 呆然としている琉斗を残し、那岐は走り去って行った。


「采希、どういう事だ?」

『凱斗がな、…………お前、その怪我どうしたんだ?』

「大した事はない」

『……大した事、あるだろ。ちょっと待て、お前の姿を隠すから』


 琉斗の身体がふわりと紗に包まれる。


『周りからはお前が見えないからな、気を付けて歩けよ』

「……わかった。それで何があったんだ?」

『まだ分からない。凱斗が何者かによって何処かに飛ばされた。俺の身体はそれに巻き込まれたらしいんだ。榛冴に天乙貴人が降りた気配がしたから、那岐と一緒に榛冴を捜してたんだけど――おい、聞いてるか?』


 琉斗には、采希の言葉は聞こえていなかった。

 公園の入り口で心配そうに野次馬の方を見ている女性に、気を取られていた。

 もしかしたら、自分を心配しているのかもしれない。

 声を掛けて、大丈夫だと伝えたいが、今の自分は隠形している。

 こんな傷だらけの姿を見せる訳にもいかないと思った。


『琉斗ぉ、人の話を聞けよぉ……』


 せめて、彼女の名前を聞いておけばよかった。

 そう思いながら、采希の話を聞いていない琉斗は、采希の魂魄を大事に捧げ持つことは忘れていなかった。



 * * * * * *



「呼び出して、すまない」

「平気です。私も琉斗さんと、もう一度お話ししたいと思っていましたので」


 紗矢子の言葉に、琉斗はほっと息を吐く。


 紗矢子の学校の生徒を無事に助け出した後、すぐにでも会いたいと思った。

 だが自分は連絡先を知らない。

 迷いながら采希に相談すると、嬉しそうに笑いながら紗矢子に会えるよう、段取りをつけてくれた。


『お前が自分から会いたいって言ってきた女の人は、初めてだな』

『……そうだな』

『凱斗には黙っておく。まあ、頑張れ』


 何を、とは口に出さなかった。

 ずっと、彼女が忘れられなかった。

 巫女のように凄い美人ではないが、かなり整った大人し目の容姿で、何よりも優しそうな心根とまっすぐな気質が感じられた。


 ようやく会えたのに、琉斗は何を話せばいいのか戸惑う。

 こんな時だけは双子の凱斗の性格が羨ましいと思ってしまった。


「いつかの怪我は、本当に大丈夫でしたか? 誘拐犯を捕まえる立ち回りまでしたと聞きましたけど」

「身体だけは丈夫なんだ。それに、うちには采希と榛冴がいるからな、多少の傷は対処してもらえる」

「え? そんな事まで出来るんですか?」

「ああ」

「……亜妃ちゃんも言ってましたが、本当に采希さんって凄い人なんですね。最初に会った時よりも気配も強くなってましたし」


 思い出すような表情で紗矢子は柔らかく笑った。

 その様子に琉斗の中で何かがちくりと痛む。


「亜妃が? そういえば亜妃には飛鳥の巫女様がいるんだったか」

「そうです。亜妃ちゃんと違って無口なんですけど、凄く采希さんを尊敬しているようなんです」

「尊敬?」

「崇拝って言っていいレベルですね。だから亜妃ちゃんも、采希さんに憧れてはいるけど、恋愛感情を持つのは恐れ多いって感じたらしいです」

「…………」

「まあ、亜妃ちゃんは榛冴くんと仲良くなりたくて頑張っているんですけどね」


 楽しそうに笑う紗矢子に、琉斗の強張っていた頬も少し緩む。


「陸玖と亜妃の板挟みにあって、采希が困っていたがな」

「今でもまだ争ってますよ。たまに、巻き込まれます」

「巻き込まれる?」

「亜妃ちゃんが、私を陸玖くんに当てがおうとするんです」


 ぴくりと琉斗の眉が上がる。

 一度、陸玖とはきちんと話すべきだと思った。


「……陸玖とはそんなに仲が良いのか?」

「付き合いは長いですね。でも、陸玖くんはほとんどの女の人に優しいので」

「……? それはいい事ではないのか?」

「そうですねぇ」


 当然のことのように言う琉斗に、紗矢子はほんの少しだけ笑みを作る。


「いい事なんでしょうけど、私は自分だけがいいです」


 小さな声で呟く。

 その言葉で琉斗は、紗矢子は陸玖を想っていて、他の女性にも愛想のいい陸玖に不満を持っているのではないかと思った。


 眉を顰めた琉斗に、紗矢子が慌てたように身を乗り出す。


「あ、すみません、私、我が儘ですよね」

「いや、陸玖が好きなら、自分だけを見て欲しいと思うのは当然だろう」

「…………は?」

「だから、陸玖を――」

「あああああ! 違います! そうじゃなくて!」


 どう釈明すればいいのか迷いつつ、紗矢子は片眼を手で覆う。


「……うーん、つまりですね、陸玖くんが好きだからそう思うのではなく、相手が誰であっても、みんなに愛想がいいと何だか微妙な気持ちになるんです。独占欲が強いのかもしれません。だから、硬派な人がいいな、って思うんですけど」


 琉斗は頷きながら聞いていたが、頭の中では紗矢子が陸玖に想いを寄せていた訳ではない事にほっとしていて、紗矢子の言葉は頭に入っていなかった。


「別に、我が儘ではないと思うぞ。自分だけを見ていて欲しいというのは良くあるんじゃないか」

「そういえば、采希さんは想い人とそうではない人に向ける笑顔は同じなのに、気配が違うって榛冴くんが言ってましたね」

「……そうだったか? でもそれは普通だろう?」

「それがですね、榛冴くんが嫉妬しそうになるような気配だったそうですよ。琉斗さんは気配を察知するのは苦手ですか?」


 少し考えていた琉斗は、紗矢子の言葉に反射的に頷いてしまった。


「恥ずかしながら、そうなんだ。俺は采希たちと違って力押ししか能がないからな」


 苦い気持ちでそう答えると、紗矢子はくすりと笑う。


「――本当に、榛冴くんが言った通りですね」

「…………?」

「いえ、何でもないです。それより琉斗さん、連絡先を交換してもらえませんか?」

「……ああ、こちらからお願いしたいと思っていた。何か紗矢さんの心の琴線に触れるような出来事があったら、俺にも教えてほしい」

「……琴線、ですか」

「うん。――何もなくても、出来ればと……」

「はい」

「その……どんな事に興味があるのか、とかだな、教えてもらえると――」


 眼を逸らしながらぼそぼそと呟く琉斗に、紗矢子は嬉しそうに微笑んだ。




「琉斗、お前紗矢ちゃんと会ってたってホントか?」

「……相変わらず耳が早いな、兄貴」


 悔しそうに琉斗を見る凱斗と、嬉しそうな采希の対比が酷い。

 那岐と榛冴は何やら二人でこそこそと話している。


「どんな話をしたんだ?」

「琉斗のことだ、大した話なんてしてないだろ」


 琉斗は少し思い出すように視線を浮かせる。


「結構話したと思うが」

「どんくらい?」

「2時間は過ぎていたな」

「……嘘だろ……琉斗なのに……」

「失礼だな、凱斗」


 両手で口元を覆った凱斗を、琉斗が軽く小突く。

 那岐と榛冴が嬉しそうに互いの手を合わせ、榛冴が琉斗に尋ねた。


「琉斗兄さん、どんな話をしたの?」

「采希の話だな」

「…………は?」

「ほとんど采希の話をしていた」


 呆けたように口を開けた那岐と榛冴の横で、凱斗が吹き出す。

 采希はがっくりと肩を落とした。


「……なんで俺の話なんだよ」

「共通の話題が――」


 そう言い掛けた琉斗の肩を、凱斗ががっしりと掴む。


「いやー、やっぱり琉斗だわ。お前はずっとそのままでいてくれ!」


 満面の笑みを浮かべた凱斗から目を逸らした琉斗が、ほんの少し頬を赤らめていたのを采希は見逃さなかった。

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