第3話 捧げる力と、仕えるべき主
どれだけ永い時を過ごしたのか、ぼんやりと思い起こしてみる。
気付いた時には
隣には神気を持ち、白銀に金で象嵌された大弓がいた。
《ここは……?》
大弓への祝詞が終わると、大弓が大きく輝いた。
次いで、自分への
その言葉はすんなりと理解できた。
曰く、大弓に降臨された神気に従い、この地の鎮守を行う。
自分がそのために存在するのだと、誇らしく思った。
日々捧げられる祝詞は心地よく、気高く荘厳な大弓に仕えるのは幸福な気持ちになった。
いつからか、自分に供給されている気脈が弱く、細くなっていった。
輝かしく見えていた周囲の景色も霞み、風や葉擦れの音も聞こえなくなった。
何もない世界で漂うように朽ちていくのだろう。そんな予感がしていた。
ある日、澱んだ気に惹かれ、良くない気配を巻き散らすモノが現れた。
残った気力を全て振り絞って主を護ると、刀身に亀裂が入り、そのまま意識は途切れた。
『黎さん、その御神刀にここの神様を降ろすのか? 元々は弓だったようだが、御神体を変えることは可能なのか?』
凛とした声が耳に届き、ふと意識を向けてみる。
ずっと周囲を覆っていた澱んだ気配を吹き飛ばすようなその声は、ようやく僅かに戻った自分の気に力を与えてくれるようだった。
『元々、ここに勧請された神様は弓より刀に向いた気質だ。どうして刀の神気をこんな大弓に降ろしたんだか。御神体を用意する際に意思疎通が上手くいかなかったのかもな……このままだと神様にもこの地にも良くはない』
『わかった。それで黎さんが神様にお移り頂いている間、俺はどうすればいいんだ?』
『お前は神様の御供の刀を浄化してくれ』
声が終わるやいなや、自分が清浄な気に包まれる。
暖かい陽光のようなその光の中に、一人の少女の姿が浮かび上がる。
十代後半の短髪の少女は、大きな眼が印象的なきりりとした姿で、太陽神の気配を纏っていた。
『怖がらなくていい。お前が纏うこととなった穢れを祓う』
《……》
目を細めて僅かに口角を引き上げた笑みに、怖さなど感じなかった。
眩しい程の気配に見惚れていると、自分の仕える神が大きく呼吸するような様子が伝わって来た。その気配が驚くほどに清浄になっていて、つい先程までどれだけ主が苦しんでいたのかが伝わってくる。
『あきら、大丈夫そうか?』
『問題ない。黎さん、この刀は御神体の御供としてまだ機能しそうだが、浄化するだけでいいのか?』
『……そのつもりだったけどな。その御供の御神刀の方が弓に
徐々に鮮明になる自分の視界に、黒の三つ揃いの男が確認できた。その気は目の前の少女によく似ている。
太陽のような光は、少女のものよりも神々しさを放っていた。
『では、新しい御神体を用意したほうがいいんじゃないか? これだけの力だ、有効に使わせてやりたい』
《では、太陽神の巫女、貴女に預けよう》
唐突に響く声に、少女が顔を上げて警戒の視線を巡らせる。
『大丈夫だ、あきら。今の声は、ここの神社の主だ』
『……預ける? 俺に?』
《そうだ。此度の礼に、この従者を眷属に差し出そう。いずれ、戻してもらえればよい》
『……そんなに簡単に人に貸し出していいものなのか?』
《この者の保有する力は、ここに居ても停滞するのみだ。貴女の眷属として鍛えてもらうべきと、太陽神が仰っている》
自分に意識を向けながら告げる大弓の主に、自分はここから放り出されるのか、と思った。
気落ちしかけた自分に、三つ揃いの男が笑いながら語り掛ける。
『落胆することはないぞ。お前の修行のために申し出てくださったんだと思うからな。――うちの巫女はまだ未熟だが、それでもいいなら一緒に来るか?』
そうして
「実体化できるよう、これからお前に気を流す。好きな姿になってみてくれ」
朔の一族と呼ばれる霊能力者たちを率いる、唯一の巫女だという少女にそう言われ、薄く光る気の珠がほんの少し沈む。
巫女の前に浮かんだまま、戸惑った声を発した。
《申し訳ございません。私はずっと大弓さまにお仕えしておりましたので、どのような姿になればよろしいのか判断できかねます》
得心したように破顔した巫女は、少し考えるように首を傾げる。
「そうか。どんな姿がいいのか、俺にも分からない。――三郎、いい案はあるか?」
巫女の問い掛けに応え、総髪の髷に洋風のマントを身に付けた武将が中空に浮かぶ。
鋭い視線で睨まれ、浮かんでいた珠が慌てたように明滅する。
《――平安末期、八百年ほど経過しておるな。儂よりも老齢であったか、失礼した》
「八百? そんなにあの神社にいたのか」
「気配は然程とは思えないが。ずっと祀られていたから成長しなかったのかもな。だったら陰陽師風に狩衣でいいんじゃないか?」
「うん、少し幼い気配に見える。狩衣より、水干の方が似合いそうだ」
そう言って、巫女は心細げに浮かぶ光の珠を、そっと両手で包み込んだ。
額の辺りに引き寄せ眼を閉じると、巫女の描くイメージが伝わって来る。
光量を増した珠が徐々に形を変え、手の平に乗るほどの水干の童子が現れた。
「うまく実体化できたようだな。……お前、きれいなオーラだな。金を帯びたアンバーか……よし、お前の名前は琥珀だ。これからよろしく頼むぞ、琥珀」
《私の、名前?》
「そうだ。それとも別の名がいいか? 既に他の名前で呼ばれているのか?」
《いえ、私に名はございません。……琥珀……ありがとうございます》
巫女の手の上で琥珀は嬉しそうに笑った。
ずっと傍に仕えていた、今は御神刀となっている大弓さまと離れたのはとても寂しかった。
それでも眼の前の巫女に仕えるというのは何となく心が躍った。
あきらと名乗った巫女は、宮守家唯一の跡取りだと言った。
人間の寿命は短い。それであれば、自分は巫女の家系に仕えることとなるのだろうと考えた。
《あきらさま。私は宮守の血にお仕えいたします。契約を――》
「待て、琥珀。宮守の血に仕える盟約は不要だ。私の傍にいるだけでいい」
眼を瞬かせて戸惑う琥珀に、黎も怪訝そうに巫女に尋ねる。
「……琥珀とは契約しないってことか?」
「うん」
「どうしてだ? 契約しないと行使に制約がかかるぞ」
「黎さん、どうやら琥珀を使役できる者は他にいるらしい」
「……は?」
思いがけない巫女の発言に、黎は思考を巡らせる。
自分の統べる組織に、琥珀を扱えるほどの能力者がいただろうかと思案する。
「俺に心当たりはないぞ。柊耶あたりなら器用だから使えるだろうが」
「柊耶さんじゃない。俺にもよく分からないんだが、この子にはいずれ仕えるべき主が現れる気がするんだ。俺はそれまでの繋ぎだな」
先見の力は無くなっても、巫女の勘は良く当たる。
戸惑う琥珀を掌に乗せ、黎は少し困ったように微笑んだ。
「うちの巫女殿がそう言っている。――ああ、お前を見棄てるとか、そういう事じゃないぞ。お前が仕えるべき主人にきちんと逢わせてやる。心配するな」
そう言った黎を見上げ、琥珀は小さく頷いた。
立て続けにたらい回しにされた気持ちになっているのだろうと思った黎は、指先でそっと頭を撫でてやる。
「大丈夫、俺が約束する。ひとまず、お前の主人が見つかるまでは巫女に従うといい。お前には破邪の素質があるようだからな」
《……はい。精進させて頂きます》
翌日、黎が依頼から戻って気配のある道場に向かうと、入り口で三郎が難しい顔で腕組みをして道場の方を見ていた。
「――三郎、どうかしたのか?」
《朔の当主、巫女は指南役には向いておらぬようだな》
三郎の言葉に、道場内に視線を向ける。
そこには、困り果てた表情の巫女と項垂れる小さな琥珀の姿があった。
「……何があったんだ?」
《巫女は
なるほど、と得心し、黎は道場の入り口を潜る。
祖母からも言われてはいたが、天才肌の者の中には理屈ではなく感覚で動くため、説明が下手な場合があるという。
自分が教えていても、巫女は人の話を聞き流している割に『わかった』と言って見事に技を
「あきら、琥珀をしばらく借りるぞ」
「……黎さん」
「琥珀、俺がお前に力の使い方を一から教える。早く覚えて一日も早く巫女の力になってくれ」
《黎さま、承知いたしました。よろしくお願いいたします》
がっかりしたような巫女に、黎はそっと懐から小さな光の珠を取り出した。
ビー玉よりも小さいその珠は、淡い光を放っている。
怪訝そうに見返す巫女に、黎は僅かに微笑んだ。
「今回の依頼の最中に見つけた。助力頂いた神社に紛れ込んでいた所を捕獲した」
「これ……火の気配がする。だが性質は刀だな」
「どこかで御神刀が失われたのかもな。これはその一部だろう。――あきら、育ててみないか?」
「俺がか? 育てるって……」
「お前の力を与えて、気を整える。これはお前の訓練にもなるはずだ。時々俺が調整してやる。それと――お前も年頃なんだから、いい加減自分を『俺』って言うのはやめろ」
「……言っていたか?」
「無意識かよ。好きな男の前ではやめておけ」
「そんな予定はないが、わかった」
思わず黎は巫女をまじまじと見つめる。
ひいき目なしでかなり整った顔だと思うのに、そんなにきつい性格だったか、と首を傾げる。
「予定、ないのか?」
「こんな家業だからな、まず引かれる」
黎は額を押さえて溜息をついた。
巫女は黎から手の平に乗せられた小さな光を見つめる。
消え入りそうな光に自分の気を通すと、僅かに煌いた。
「……紅蓮」
「……は?」
「この子は紅い炎だ。いつかもっと高温の炎の眷属になる。ならば、名前は紅蓮だな」
先見の力は失われたはずだ、と黎の背中を汗が流れる。
どこか焦点の合わない視線を手の中に送る巫女は、幼い頃にその未来視の力を発揮した時と同じように視えた。
巫女の手の中で、応えるように小さな光が紅く光った。
* * * * * *
「琥珀、来い」
巫女の声に琥珀は即座に応えて姿を現す。
周囲は田んぼに囲まれ、目の前には小高い山があった。
見た事もない景色に戸惑いながら、その山に異様な気配を感じ、琥珀は山の頂上付近を睨み付ける。
《マスター、ここは……?》
「古くから棲み付いている蛇霊のいる山だ」
《……しかし、頂上付近には神社があるようですが》
「そうだな。蛇霊を鎮めるための神社がある」
《鎮められてはいるようには視えませんね》
琥珀の眼には山に巻き付いた巨大な蛇の姿が視えた。
山の頂上付近で大きな顎を開いている。
「もう長いこと、贄が与えられていない。そのため、あの蛇を鎮めることが出来ないのだろう」
贄と聞いて琥珀は疑念を覚えた。
贄を欲するならば、明らかに邪の者だ。邪霊を祀る神社とは、人間は不思議なことをするものだ、と思った。
「あの神社は蛇神に贄を捧げることでこの地の災害から逃れようとしていたんだろう。それももう、時代にそぐわないため、廃れかけているようだ」
《では、贄がなければ……》
「災害が起こるな。どうにかして贄を捧げる悪習を復活させるために画策している者がいるようだが――」
巫女が意味あり気に右手方向から駆け寄る集団に視線を向ける。
その先頭にいた還暦ほどの女が大声で叫ぶ。
「お前たち、何しに此処へ来た!」
複数の取り巻きを引き連れた、御幣を手にした老女は白い作務衣を身に付けていた。
肩に届かない辺りで切り揃えられた髪は、艶なく広がっている。
巫女は冷たい視線を女に向けた。
「蛇霊の退治を依頼された。邪魔はしないでもらいたい」
「
「言っておくが、依頼したのはこの山の持ち主だ。紛い物の
巫女の言葉に、女の身体が怒りに震える。
周囲の男女が揃って巫女を睨みつけた。
「紛い物だと? お前にはあの蛇神様のお姿は見えぬだろう。お前こそ、金に目がくらんだ霊能者紛いではないのか!」
「赤銅の鱗に黒の蛇腹、紅い眼の邪気を纏った蛇霊ならずっと視えているぞ」
涼し気に微笑みながら答える巫女は、琥珀にはぞくりとする気配を発しているように感じられた。
「そのような禍々しいお姿であるはずがない! やはりお前は――」
「お前の眼は何を視ているんだ? 邪気と神気の区別もつかないのか?」
「なんだと?」
巫女の笑みが冷たく変化する。
「騒ぎ立てるしか能がないのなら、黙っていろ」
女の周囲にいた取り巻きたちが口々に騒ぎ始める。
中には巫女の言葉に不安そうに山の頂上を見上げる者もいたが、喧騒は徐々に大きくなっていった。
「皆さん、お静かに」
低い声が通る。
その声の主は、すらりとした男だった。きちんとスーツを纏い、目鼻立ちの上品な男は、この山の所有者の息子だ。
「美鶴さん、余計な口出しはやめてくれませんか。あなたが助言とやらでうちの親父に人を殺めさせようとした事は不問にして差し上げます。これ以上、まだ騒ぎ立てるつもりなら、こちらも手を引く気はありませんよ」
「若造に何が分かる! この地は蛇神様のお陰で山の災害から護られてきた! 生け贄を捧げなければこの田も村も、もう終わりなんだ!」
美鶴と呼ばれた女に、巫女が呆れたような笑いを向ける。
ずっと笑みを作っているのに、そこから受ける気配が全く違うことに琥珀は小さく息を吐いた。
人間というのは、どうやらかなり複雑らしい、と思った。
巫女が山の頂上を見上げる。
「違うな。お前が
巫女の言葉に、美鶴の顔が怒りでどす黒くなる。
「何ということを! 蛇神様は――」
「黙れ。そもそもこの山は氾濫を起こすような水流も、簡単に崩れるような地盤もないのは調査済だ。うちの機動力を舐めて貰っては困る」
男が巫女の言葉に苦笑する。
「もちろんです、朔の巫女様。だからこそあなたの一族に依頼した。――どうかこの地を、邪神からお救いください」
朔の一族と聞いて、取り巻きのうちの一人が声を上げる。
「……本当に実在したのか」
「なんだ? なんの事だ?」
「普通は知らないだろうな。もう千年以上前から、除霊を行う一族がいるとうちの本家に伝わっているそうだ。依頼内容を確実に調べ上げ、最善の成果を出すと言われる、おそらく最強の一族だ」
地元でも大きな農家の男の声に、周囲の者たちはごくりと息を飲む。
取り巻きの視線が巫女に集まるのを見た美鶴は悔しそうに地団駄を踏んだ。
そんな美鶴を意に介さず、巫女は地主の男に顔を向けた。
「最強かどうかは知らん。だが、最善は尽くす。邪魔するなら帰るぞ」
「いえ、巫女様、邪神を崇める集団は、近隣の街からも苦情が出ています。いずれ摘発されるでしょうが、私は県警に友人がいる。こちらの情報を与えれば、すぐにでも動き出すでしょう。どうぞ、彼らのことはお任せください」
地主の言葉に、美鶴の取り巻きの一部が慌てて逃げ出す。
美鶴は鬼の形相で御幣を振りかざし、巫女に叩きつけようとした。
そんな暴挙を、巫女の結界は難なく阻む。ばきりと音を立てて折れ飛んだ御幣は、美鶴の頬を掠めて皮膚を切り裂いた。
「美鶴さま、ここは一旦、戻りましょう!」
「ならぬ! 蛇神様をお救いせねば!」
「黙れ!」
巫女の身体から薄青い気がぶわりと拡がる。
風もないのに髪が揺らぎ、周囲の者たちは一斉にひれ伏したい衝動に駆られた。
「何度も言わせるな。神気と邪気の区別もつかぬ紛い物の出る幕ではない」
「では、美鶴さん、あなたも同行しますか? その眼で確認するといい。――本当の力をね」
地主の男が冷たい笑みを作る。
「……ふん、そのような小娘に何が出来る。ああ、見せてもらおうか、紛い物の茶番とやらを」
ぞろぞろと
地主の男は巫女の隣に立ち、そっと囁く。
「巫女様、力を持たない者や僅かな力にしがみ付く者にとって、巫女様のように強大な力を持つ方は妬みや恨みの対象となります。どうぞ、自重されますよう」
ちらりと男を見た巫女は、ゆっくりと頷く。
「そうだな。気をつける、ありがとう」
息も整わない美鶴は、嬉しげに蛇の頭部を見上げる。
その眼に長い何者かの気配は映っているが、それが何であるのか、美鶴には分からなかった。
他の者には視えない気配が自分には視える。
それだけを誇りに、ここまで取り巻きの者たちを率いて来た。
こんな偉大な力を持つ自分に視えるモノ、それが悪いモノであるはずがないと思い込んでいた。
「見よ、あの強大な御力を!」
美鶴の取り巻きたちは息を飲んで見上げる。
先程、巫女の身体から噴き出した気配に触れた取り巻きたちには、その邪悪な姿がはっきりと感じられた。
「おい、あれって……」
「あんな恐ろしいモノを、俺たちは……」
取り巻きたちが呟く声に、美鶴は焦る。
神の姿を視ることが出来るのは、高尚な魂を持つ者。そんな事にすら気付かない振りをしていた。
選ばれし者は自分であるはず。
そんな思いから巫女を睨みつけるが、巫女は全く意に介さないように、手の中の琥珀に呼び掛ける。
「琥珀、
すっと身体の前に掲げた巫女の左手に、白銀の弓が現れた。
誰の眼にも映らなかったが、巫女の身体から飛び出した三郎と瀧夜叉が、同時に蛇の頭部へと到達する。
瀧夜叉の呪は蛇の顎を捕らえて動きを止め、三郎は巫女の愛刀・蛍丸を上段に構える。
琥珀の変化した弓は僅かにその身を震わせる。
気付いた巫女は静かな声を紡いだ。
「琥珀、右目を狙うぞ。怯える事はない。俺の力を乗せた矢で、奴を貫け」
琥珀は、何度も黎に教えられた手順で気を練り上げる。
自分の気に巫女の力が加わっていくと、真っすぐに蛇の目まで光の筋が視えた。
《マスター》
琥珀の声に準備が整ったことを理解した巫女の右手から、薄青い光を纏った矢が放たれた。
* * * * * *
『黎さん、八咫烏の眼を貸して欲しい』
唐突に脳裏に届いた巫女からの声に、黎は思わず手を止める。
依頼の最中にこれは、ちょっと慌ててしまう。
「何かあったのか?」
『ああ。今度は地縛霊に目を付けられたようなんだ』
主語はないが、黎には誰の事を指すのかすぐに分かった。
「……采希の力はそんなに旨そうなのか」
『いや、今回は従兄弟の琉斗だ』
「……は?」
黎は、子供の頃に一度出会っている琉斗の気配を思い出そうと試みる。どうしても思い出せない。
『好みに合ったのか、単に力を取り込みたいのかは不明だが、明らかに狙いは琉斗だ』
「琉斗……あの、憑依体質のヤツか? だけどあいつの力だけは未知だって、お前も言ってただろう。単に地縛霊の奴が気に入ったからじゃないのか?」
『どちらでもいい。何だか嫌な予感がする』
「嫌な予感? ……わかった、いいぞ」
『
巫女の施した封印を身の内に抱えているためか、采希の守護である白虎が反応すると巫女に伝わるらしい。
采希の周辺で急に霊障が増えている。
黎は溜息と共に八咫烏を送り出した。
巫女の中に収まっていた琥珀にも、八咫烏の視ている映像が届く。
三人の男が巨大なゲル状の霊体の集団と対峙している
一人はその霊体からの攻撃を受け、白虎に護られていた。
あとの二人が何やら揉めているようだ。
そのうちの一人の気配に、琥珀の鼓動が跳ね上がった気がした。
なんだろう? と琥珀は不思議に思う。
肉体を持たない自分に、心臓はない。
それなのに、琥珀には落ち着かない気持ちが感じられていた。
黎と良く似たその気配は神気を纏い、琥珀は彼から眼が離せなくなった
琥珀は彼を見つめながら、微かに聞こえる声に耳を澄ます。
《……力を貸してくれ? マスター、彼らは力を受け渡す事が出来るのですか?》
「ああ、どういう訳か、あいつらには『気』の交換が可能らしいと地龍が言っていた。采希にはまだ出来ないようだがな」
巫女が采希と呼んだ男の肩に手を乗せていた、もう一人の男から、大きな力が拡がった。
その力は制御されておらず、周囲に暴風を巻き起こしている。
巫女が小さく舌打ちした。
「琉斗のやつ、采希の力を無理矢理奪ったのか! ――いや、待て、あの力……」
自分の意思も失い、力を奪った琉斗と呼ばれた男の身体は、海水を巻き上げながら周囲に風を起こす。
その中に僅かに紫電が走った。
思わず声を上げた巫女が、嬉しそうに笑う。
「見つけた。
巫女の言葉に琥珀の身体が光を発した。
自分の眼に映る青年は、戸惑いを見せながらも強い意思で霊体に対峙しようとしている。
琥珀は彼の力になりたいと願った。
その手の中で彼の澄んだ気を纏い、彼と共に闘いたいと思った。
そんな琥珀に、巫女が優しく告げる。
「琥珀、ようやく逢えたな」
《マスター……》
「シェン、地龍を通してお前を向こうに送る。采希に琥珀を届けてくれ。これはお前の眷属だと――いや、お前に使えるなら貸してやると伝えてくれ」
《承知いたしました》
シェンと共に、琥珀は一瞬で采希が地龍を呼んだ埠頭へと飛ばされる。
弓となった琥珀を手に、不思議そうな声を上げる新たな主に、琥珀は嬉しさのあまり声も出せない。
ゆっくりと弦が引かれる。
采希の気は心地よく、琥珀は静かに力を解き放つ。
《采希さま、この力、あなたに捧げます》
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