第5話 二人の巨匠

「さあ、働いてもらうよ」


 その優しい声色に起こされた僕らは仕事を言い渡された。ソフィス曰く今回の依頼はペリエルギアから少し離れた砂漠地帯にいる怪魔物かいまものから取れる素材が必要だそうだ。

 寝惚け眼を擦りながら支度して研究所をでるとソフィスがすでに待っていた。


「ソフィス、白衣のまま行くの?」


「ああ、着替えるのも面倒だしね」


 今日は天気も良く、気温も高くなりそうだが大丈夫だろうか。そんな心配をよそに僕らを先導して歩くソフィスの結った後ろ髪はぴょこぴょこしている。

 そうこうしている内に国外へ出ると、ソフィスはピタリと止まって振り返った。


「ここからは飛んでいこう」


「飛ぶ?」


 ソフィスは魔法式を展開した。青白く光る魔法式を眺めていると体に浮遊感が生じた。


「おいケノス、お前浮いてるぞ!」


「イ、イダンだって」


 僕らの体は次第に重力を忘れ、ふわふわと漂い始める。ソフィスはそれを見て満足そうに頷き、自分にも魔法をかけた。


「さあ、行くよ」


「「あああああああああああああああああああああああ!!」」


 間髪入れずに発進した僕らは、凄まじい暴風を受けて目を開けていられなかった。時間としては数分だったが、永遠に思えたその飛行体験は唐突に終わりを告げた。


「ぶふぁ」


「ぶへぇ」


 情けない声を上げて僕らは砂の中に突っ込んだ。必死に酸素を求めて口に入った砂を掻き出す。なんとか一命を取り留めた僕らとは裏腹にソフィスは美しいまま砂の丘に立っていた。


「こんなひでえ飛び方なら先に言ってくれよ!」


「すまない、物を運ぶ魔法で人を飛ばしたのは初めてでね。調整が難しかったよ」


「え、初めて?」


「初めて」


 ソフィスは思った以上にぶっ飛んでいるのかもしれない。これからは彼女の動きに警戒すべきだろう。


「ほら、二人とも。お仕事だよ」


 そう言ってソフィスが指差した先には小さい体に三角の耳とふわふわな尻尾を持つ小動物がいた。


「あ、あれが今回の目的の怪魔物かいまもの?」


「そう、あれはディクティオという怪魔物かいまものだ。彼らの体毛は魔素が吸着しやすい構造になっててね。魔法具まほうぐの材料として優秀なんだ。ということで1体捕獲してきてくれ」


 ずいぶん愛らしい見た目だが、怪魔物かいまものは総じて人や動物が捕食対象であるため油断はできない。


「イダン、僕が『バイド』を打って足を止めるからその隙に仕留めてほしい」


「了解!」


 イダンは身を屈めてナイフを構える。それに合わせて魔法の射程に入るまでゆっくりと近づく。対象のディクティオは毛づくろいに夢中だ。


「――『バイド』!」


「っ!」


 僕の魔法に合わせて一気に飛び出すイダン。その速さは魔法で身体強化を施した者よりも早く獲物まで近づき、その喉元を貫いた。


「さすがの早さだねイダン」


「まあな!ケノスもいいタイミングだったぜ」


 想像以上に上手くいってホッとした。ティフィロスを囲う森林での一戦の時と言い、僕らの相性は良いのかもしれない。


「おーい、ソフィスー。このまま持ってけばいいかー?」


 そう尋ねるイダンとは違う方向を見つめているソフィスに違和感を覚える。いつもの余裕のある穏やかな笑みは消えている。


「――ディクティオは個としての力は怪魔物かいまものの中でも下に位置する。しかし彼らが種として繁栄できているのは異常な繁殖力にある。小さき力も数によって強者足り得る」


 そう言い終わると同時に砂の中から三角の耳が表れ始めた。1つ2つ……。それはすぐに数えるのが億劫になるほどに達し、砂漠を埋め尽くした。


「お、おいソフィス。これまずいんじゃ……」


「ああ、彼らの血の匂いが付いたものは種をかけて排除するからね。逃げた方がいいんだけど……。それは許してくれなさそうだね」


 キィキィと不快な周波数で鳴くディクティオたちは確実に僕たちを敵と認識した。いつのまにか後ろにも回り込まれており、次第に僕らの踏める場所はなくなってきている。


「ソフィス、ここへ来るときに使った魔法で飛んで逃げるのは?」


「難しいね。先に言ったように彼らの体毛は魔素を吸着しやすい。これだけの数が集まれば、ここ周辺に存在する魔素は使うことは出来ない」


「くっ……」


 周りからの魔素を用いて効果を発揮する高位の魔法は使えない。使えるのは低位の魔法と己の身体のみ。どうすれば……。

 瞬間、1体のディクティオが飛び掛かってきたと思ったら次々と他のディクティオたちも飛び、それは空を覆い、太陽を隠すほどの豪雨となった。


「まずいっ!」


 僕はソフィスの前へ出て、せめて盾になろうと走り出した。しかし、それは間に合うことなく……。


「――『フルレア』」


 青が包む。先ほどまで真っ暗に影を落としていた世界を美しい青が焼き尽くした

 。それは次第に広がり、いつしか静寂を作った。


「ソフィス……。今のは」


「魔素を発火させる魔法だよ」


「でも低位にしては凄まじい威力だったような」


「私は1体を対象に魔法を放った。それは他のディクティオの体毛に付着している魔素に連鎖的に反応して全滅させるに至った」


 驚いた。低位の魔法でも使い方によっては高位にも負けない程の効果を得られるのか。ソフィスが使う魔法はどれも美しく、そして強大だ。これほどの魔法使いになるまでにどれほどの努力を積んだのだろう。


「すまない二人とも。私の言葉が足りなかったためにこのような事態にまでなってしまった」


「いや、今回の依頼は捕獲であって仕留めることではなかった。ソフィスだけのせいじゃねえよ」


 その通りだ。僕らの認識がソフィスの認識と一致しているかの会話は必要であった。それに目的は対象の捕獲だ。それは戦闘に変わりない。戦う相手の情報をよく知りもせずに挑むのは愚行であった。ディクティオは傷つけずに捕獲できれば群れに襲われる事態にならずスムーズに行ったはずだ。

 ティフィロスを出た際の森での戦いが上手くいったから調子に乗っていたのかもしれない。


「私はよく人との付き合いが下手だと言われるよ。きっと今回のようなことが度々起きているのだろう。気を付けているつもりだが、なかなか上手くいかないね」


 いつも堂々としているソフィスが申し訳なさそうに俯く。彼女の魔法に対する知見や振る舞いから完璧な人に見えてしまうが、彼女にも思い通りにいかない部分もあるのだと知った。それは離れた存在のように思えた彼女を近くに感じさせた。


「それはきっとソフィスだけの問題じゃないぜ。俺らは、いや人はもっと言葉を交わすべきなんだと思う。自分の想いを伝える難しさってのは誰しもが抱える問題のはずだからな」


「そう……だね。ありがとう」


 光がものに当たり、その反射を目が受け取るように、僕らの想いも光という言葉を使わなければ伝わらないし、返ってこない。


「戻ろう、みんな。あ、飛ぶのは無しね」


「飛んだ方が早いぞ」


「「嫌です」」


 言葉を交わすことは大事だ。


                 ・・・・・・・


 研究所に戻り、仕留めたディクティオから体毛を剝ぐためにソフィスは自室へ入っていった。一方、僕らは研究室の掃除を頼まれた。


「最初ここへ入ったときに言及しなかったがむちゃくちゃ汚いぞ、この部屋」


「かなり広いはずなのに、歩けるところが限定されているよね」


 本や書類はまだわかるのだが、いつのかわからない食べ物の容器や空き缶などが転がっている。嫌な臭いがしないため、何かしらの対処が施されているのだろうが、それでも不快さはある。


「この研究室はソフィスしか使ってないよな? 人ってここまで一人で汚くできるんだな」


「うわ!なんかねばついてるよ……」


 騒ぎながらも数時間かけて掃除した結果、大分きれいになった。凄まじい達成感と疲労を感じながらソファに崩れているとソフィスが表れた。


「おお! 素晴らしいね。うんうん」


 出会ってから一番いい笑顔を見せるソフィスを見ると、僕らの苦労も報われた。


「しかしよ、俺らが掃除してよかったのか? 本の場所とかわかんないだろ」


「魔法でタグ付けしてあるから問題ないよ」


 そう言うと一つの本が青く光り、自分の居場所を示した。


「へー。便利なもんだな」


「魔法は発想次第さ。理論は後付けで良い」


 掃除の際に少しソフィスの著書を拝見させてもらったが一つも分からなかった。発想次第で僕も彼女のような魔法が使えるだろうか。拘束魔法以外にも覚えたいものだ。


「あ、そうそう今度研究発表会があるんだけど一緒に来る?」


「おお! 見てみたいな!」


「僕も興味あるな」


 内容はわからずとも知者たちが集う場だ。きっといい刺激がもらえるだろう。


「ソフィスはやっぱり神々の魔法の実現について発表するのか?」


「ああ。そのテーマの課題の一つである魔素不足という部分に対する提案をする予定だよ」


「楽しみだな。何か僕らに手伝えることはある?」


「いいや、すでに資料はまとめてあるから問題ないよ。ありがとう」


 ということで今日はこのまま休みを取って明日の発表会に備えることになった。


                 ・・・・・・・


「私は発表の準備があるから先に行くよ」


 そう言ってソフィスは朝早くから研究所を出発した。彼女の晴れ舞台であるはずだが、いつもと変わらぬ格好で特にお化粧をするでもなく出ていった。それでも格好がつくのは美女の特権であろう。


「じゃあ、僕らも行こうか」


「おう」


 研究発表会は街の中央に位置するホールで行われるそうだ。この国、ペリエルギアでは魔法の研究は盛んに行われており、研究者じゃなくても今回のような発表会には多くの人が足を運ぶそうだ。


「お、ここだな」


「毎回言ってる気がするけど、大きいよね。どの施設も」


 何万人も収容できるこのホールを埋め尽くすほどの人が訪れていた。僕らはソフィスの友人として特別席を用意してもらっている。


「なんか緊張してきた」


「ケノスがしてもしょうがないだろ」


 学生時代に研究発表はしたことがあるがテーマは教授が決めたものだし、その研究もほとんど教授によるアイデアや実験を機械的に行ってまとめたものなので、自分の研究発表という感じはせず、今回のような厳かな雰囲気はなかった。

 ソフィスの発表順は一番最後で、それまでに4人の研究者の発表があった。発表内容は既存の魔法の改善や新しい魔法の提案などが行われて、僕らを含め会場は温まっていった。

 そうして進んでいった研究発表だったが、ソフィスの前の人に順番が回ってきた時に会場が大きく湧いた。


「わっ! びっくりした」


「そんなにあの人注目されているのか?」


「それはそうですよ!」


 急に隣から凄まじい熱量を感じた。顔を向けるとさっきまで寡黙に研究発表を聴いていた気品のあるおじさまだった。


「彼、パシアはすごいですよ! 近年の魔法の発展に最も貢献しているのはパシアとソフィスといっても過言ではありません。この二人はお互いに神々の魔法の実現を大きなテーマとして研究している二人でしてね。アプローチは違えど同じ場所を目指す研究者なのです。ちなみに私はパシアの理論を支持していまして、彼は一人で魔法を完成させるのではなく、大人数で……」


「ああ、わかったわかった。後は本人から聞くよ」


「もう始まるみたいだね」


 あのソフィスと肩を並べる研究者か。それに同じ目標をもって研究しているそうだ。これは楽しみだな。


「プロスパシア研究チームより、パシアが発表します。本日のテーマは組み合わせ大規模魔法式による魔素不足解消です」


 はきはきとした語り口で話し始めたのは爽やかな青年だった。魔法の歴史を牽引しているのがパシアやソフィスのような若い人であるというのは驚きだ。


「私は長く神々の魔法の実現を目指し、研究してまいりました。そこで最も大きな問題となっているのが魔素不足です。魔法の効果、規模の大きさに比例して必要な魔素量が大きくなるという魔法の原理の最たる例が神々の魔法といえるでしょう。


この問題に対して私が提案しますのは組み合わせ大規模魔法式です。この魔法式はソフィア研究チームによって発案された大規模魔法式を元にしたものです。大規模魔法式の特徴として、魔法を使うものの技術に左右されず、安定して出力が得られるというものでした。それは今まで人が行ってきた魔素のコントロールや出力調整などを魔法式で行うことにありました。そのため、この魔法式は高位の魔法を使う際に用いられることが多い技術です。


そこで私たちはこの魔法式の特徴を用いて魔素不足解消を目指しました。繊細な魔素コントロールで一度エネルギーに変換した魔素を再度利用できる部分とそれ以外を選択し、利用可能な魔素を再入力することで同じ魔素の消費量でも得られるエネルギーを向上させることに成功しました。元々、大規模魔法式は一つの魔法式ではなく複数の魔法式で構成されております。そのクオリティを落とさないまま、先ほど述べた魔素再利用の魔法式を組み合わせました。

次に示すのは最適な魔法式の組み合わせを得られる条件式で――」


 この後に続いた具体的な魔法学に基づいた理論説明はあまり理解できなかったが、彼の提案はわかりやすかった。要するに魔素を無駄なく使って、魔法に必要な魔素総量を削減することに成功したということだ。


「ソフィスに会ってから、こんなすごい人がいるのかって驚くことが何度もあったけど、他にもいるもんだね」


「だなー。今日はこれてよかったぜ」


 隣のおじさまがうんうんと頷きながら満足そうにしていた。ただ僕らの本命はソフィスだ。彼女の研究者としての顔をしっかりと見るのはこれが初めてだ。

 パシアの発表から少し時間を置いて、司会者からソフィスが呼ばれた。会場は大きな拍手とともに彼女の登場を歓迎した。おじさまの話にあったように、彼女も魔法という分野において大きな支持を得ていることが窺える。拍手が鳴りやむとソフィスの澄んだ落ち着いのある声とともに発表が始まった。


「ソフィア研究チームより、ソフィスが発表します。本日のテーマは魔力触媒による神々の魔法式性能向上です。これは長く課題とされてきた魔素不足に対するアプローチになります。


魔素不足がなぜ起こるかというところを考えると、その一つは魔法を使用する際の魔力損失にあります。低位や高位に限らず、すべての魔法はその元となる魔素が持つエネルギーを全て使うことが出来ません。魔力損失の少ない低位の魔法ですら、入力と出力とでエネルギーを比較すると30パーセントほどしか使えていないことが分かっています。それは魔法式を必要とする高位の魔法でより顕著に表れます。この性質のため、出力を上げるためには魔素が多く必要である、ということが言われてきました。


この損失を改善すべく、私は魔力触媒を使うことを提案します。魔力触媒は魔素のエネルギー変換を助ける物質です。主に魔法具まほうぐに用いられているものです。例えば街を照らす街灯には魔素を光に変換しているものですが、その反応には体の一部を発光させることのできる怪魔物かいまものフォスから取れる物質を触媒として使用しています。これによって空気中の少ない魔素でも効率よく光を生み出すことを可能にしています。


こういった魔力触媒を魔法に応用する際の問題として魔法式中の変換回路に触媒を介入させることが困難であることが挙げられます。魔素を任意のエネルギーに変換する変換回路は一度に多くの魔素を通すことが難しく、触媒を用いて反応を促進させてしまうと魔法式にエラーが生じます。これを解決するために我々はディクティオの体毛から作成した魔素キャパシタを用いました。魔素の吸着傾向が高いディクティオの体毛で作られた魔素キャパシタは変換回路に通せる魔素の量を疑似的に増やし、効率よくエネルギーを生み出すことに成功しました。こちらのグラフが魔素キャパシタの有無による入出力比率の比較です」


 パシアは使用した魔素で使いきれなかったエネルギーを再度魔法式に通すことで魔素不足解消を改善したのに対し、ソフィスは変換回路を通る際の魔力損失を抑えるアプローチを取った。同じテーマ、同じ課題に対しても研究者によって取る手段が異なるのは面白い。魔法に限らず、この世界のあらゆるものはこうして発展を遂げてきたのだろう。


「――と考えております。発表は以上になります。神々の魔法の実現まであと少しです。皆さん、人が神と肩を並べる瞬間はもうそこまで来ています。期待して待っていてください」


 そう言い終わると会場は割れんばかりの拍手が起きた。隣のおじさまは泣いていた。

 そんな狂喜に溢れる会場の温度とは真逆に冷えた視線を感じた。それは舞台袖にいるパシアのものであった。彼はその冷たい眼で舞台上で称賛を得ているソフィスを見つめていた。





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