5分で読める物語『誰か助けてよ。』

あお

第1話

 携帯端末から、厚みのある女性の声が聞こえる。

「首尾はどうた」

 答えるのは、あざとく少しハスキーな女性っぽい声。

「いまのとこ順調だよ~」

「相変わらず、気持ちの悪い声だな」

「ひどいなぁ。すごい練習したんだからね?」

 端末の向こうにいる女性は、ふんと鼻を鳴らした。

「それでは次も頼んだよ。〈殺しヴァイザー〉くん」

「任せてよ。〈皇女グランマ〉」

 端末の通話を終えたは、ひょいとガードレールから降りると、ポケットからキャラメルを取り出し、口に放り投げる。

 〈殺し屋〉《ヴァイザー》と呼ばれたこの少年は、名を雨玉春正あめだまはるまさという。男もののパーカーが膝下までかかり、錦糸のようにさらさらとした髪が肩まで伸びている。

「さて、今日は誰と遊ぶのかな〜」

 口をもぐもぐさせながらそう言うと、春正は手持ちの端末で今日の標的を確認する。春正の仕事は文字通り殺し屋。殺すのは男のみ。

「リンデロンデの呪縛は困ったものだね。男の血を浴びたら燃えちゃうなんて」

 春正はため息交じりにそう呟いた。リンデロンデとは、数年前に突如現れた霊的生命体だ。彼らは女性に寄生し、女性の身体を単為生殖生物に作り替える。つまり、人類の繫栄は女性の意志一つで決定する。

「どーせ、リンデロンデが増えれば男の立場はなくなって、みんなパァなのに。なーんでママたちはそれを待てないんだろ」

 春正は端末をポケットに戻し、標的のいる場所へと歩を進めた。



 数十分歩いたところで、今日の標的、林田健一はやしだけんいちを視界にとらえる。

(あれが数年後には総理大臣になると言われる高校生、か)

 林田は下校中なのか、高校の制服を着てきびきびと歩いていた。背筋は伸び、清潔感のあるショートヘア。眼鏡はかけておらず、好青年といった印象だ。しかし、高校生と言えど、多くの政治家や財界人とコネを持つ。高校生にして国政に影響を与えるだけの力を持っているのだ。

 春正は再び端末を取り出し、電話をかける。

「あ、皇女グランマ? 見つけたよ。いまからはじめるね」

「頼んだぞ。未来の脅威は萌芽のうちに摘んでおく」

「らじゃ~」

 通話を切り、春正は林田のあとをひっそりと追った。

 周りに人気が少なくなったところで声をかける。

「ねぇねぇ、お兄さん。お話があるんだけど……」

 林田はゆっくりと後ろに振り返った。

「キャラメル食べない?」

 春正は右手にキャラメルを乗せ、グイッと林田に差し出している。

 一瞬戸惑う表情を見せた林田だが、優しく微笑んで、春正のキャラメルを受け取る。

「ぼく、友達いなくてさぁ~。これすんっごい美味しいんだけど、共感してくれる人がいなくて。だから、ほら食べてみて!」

 受け取ったキャラメルをまじまじと林田は眺めている。軽く匂いを嗅ぐと、さっと個包装を解いてキャラメルを口に入れた。

(ふふっ。これで身体がしびれて動けなくなるね)

 春正は内の感情を抑えきれず、笑みを浮かべていた。

「少し酸味の効いたキャラメルだな。確かに美味い」

 しかし林田の顔は、何事もなかったかのように、けろっとしいる。

(っ! バカな。毒が効いてない……?)

 これまでこの毒で、身体を痺れさせ連行。その後死体処理がしやすい場所まで運んで殺すのが、常套手段だった。

「そんな驚かないでくれよ。これぐらいの訓練はさすがに受けている」

 林田は誇らしげに胸を張り、穏やかな顔でこう続けた。

「それで、目的はなんだい? 毒で身体を拘束し、そのまま殺すつもりだったかな?」

「いやだなぁ~。なにいってるのお兄さん。さっき言ったでしょ? ぼくはキャラメル仲間が

欲しいだけなんだって~」

「その胡散臭い演技もしなくていいぞ。君は雨玉春正だろ?」

「なーんだ、知ってるんだ」

 春正は林田に目線を合わせたまま、ぐっと膝を曲げ体勢を低くした。

「早く言えよ」

 低く唸るような声で本性を現した春正は、屈伸の要領で宙に跳び、林田の横顔を勢いよく蹴り飛ばす。しかし、林田は瞬時に顔を左腕でガードし、衝撃を抑える。

「話は聞いているよ。最近国の主要人たちが行方不明になっている。大人も子供もね。そしてそれも皆男だけだ」

「変わった殺人犯もいるもんだねぇ。男好きなのかな?」

「そして、皆消え去る直前に、君に会っている」

 春正は身バレしないよう、ターゲットに近づくときは細心の注意を払っていたつもりだったが、どうやら甘かったらしい。

「それで、俺のこと調べ上げたのか。まずったねそれは」

 春正がにやりと微笑を浮かべると、再び低姿勢を作り、林田に突進する。

「そういう子には、お仕置きしなきゃ」

ぐしゃりと、肉が潰れるような音がした。


***


 春正は皇女グランマの元に戻っていた。

皇女グランマ、今日の子は結構遊びがいがあったよ」

「ずいぶん手こずったようだな」

 春正の服はボロボロに擦り切れ、出血の後も見られる。

「おかげでポッケに入れてたキャラメル、ぜーんぶダメになっちゃった」

「ふん、お前の部屋には腐るほどあるだろうに」

「まあね」

 春正は嬉しそうに笑みを浮かべる。

「でも、これでぼくの仕事も残りわずかだね。あと二人。それが終わったら、ぼくの安全と豊潤な暮らしを未来永劫、約束してくれるんだよね」

「ああ、そのことについてだが……」

 皇女グランマは初めて、春正と視線を合わせた。

「お前には死ぬまでここで働いてもらうことにした。無論、拒否など認めない」

「そうだろうと、思ったよ」

 春正が指笛で合図をする。

 春正の後ろから林田が飛び出る。右手にはナックルダスター。ナックルの先には四指それぞれに薄い円柱状の格納機があり、中には男性の血液が入っている。

 林田は持ち前の身体能力で、皇女グランマとの間合いを一気に詰め、瞬息で殴打を決めた――



 ――これは数時間前の出来事。

 春正は相手の両足を折ろうと、低姿勢を作り突進した。しかし、林田はタイミング良く、春正を蹴り上げ、がら空きになった腹部に掌打をいれた。これが決め手となり、春正はしばらく座り込んで動けなくなっていた。

「君強いね。ぼくに君は殺せない。でも、他の誰かがまた君を殺しにくる」

「そうなれば、お前のように返り討ちにするだけだ」

 林田は威風堂々と己に迫る脅威を突っ撥ねる。しかし、春正の切り返しに片眉を上げることとなる。

「いや、ぼくがだめならぼくより数段強いやつが来る。いくら君でもぼくより上は倒せない」

 春正のはく言葉の、どれが真実でどれが嘘か、林田には見抜けないでいたが、確かにこいつ以上の力量を持ったやつが襲いにくることは、容易に想像できる。

「だから、君はここで死んだことにしないか?」

 そんな唐突な提案に、林田の疑念はますます深まっていく。

「何を言っているお前は」

「なんどもなんども、迫る脅威に対抗するのはめんどうでしょ? そしたら、根本を叩けばいい」

 春正は不敵な笑みを共に、饒舌に口をまわし始める。

「君はここで死んだ。そういうことにしよう。ぼくたちは死体を残さないから、ぼくが殺したと報告すれば、君は死んだことになる。さっき君が言った国家主要人の失踪事件もぼくらが、いやぼくたちのボスがやってることだ」

 林田の目がキッと細くなる。

「ぼくたちのボスはリンデロンデっていう、精神生命体によって、これまでの人類とは常軌を逸した存在になってる。そしてボスの目的は人類の男権を根絶やしにすること。リンデロンデは男の血が天敵なんだ。触れた先から炎が燃え上がる。だから、全世界の男たちが、自分に反抗できないような世界を創ろうとしている。いまはその一歩目」

 突拍子もない話だ。謎の生命体やら、男権の根絶やら、男の血で死ぬやら、常識的な人間であれば、理解すらできない。しかし林田は、それらしき情報を自身の諜報部に掴ませていた。

「なるほど。だから君が殺し屋として、あちこち動き回っているのか」

「そういうこと」

「それで? なぜそんな機密情報を俺に話す? これでお前は俺が手を下さずとも、お前の組織に首をはねられるだろ」

 春正は待ってましたとばかりに、胸中を打ち明ける。

「ぼくも男だ。いずれは、組織から追い出され、人権のない雄豚になりはてる。どこかのタイミングでボスを、〈皇女グランマ〉を殺せないか探ってたんだ。そこで、君だよ。死んだはずの君が、彼女の目の前に現れる。そしたらさすがの〈皇女グランマ〉も一瞬隙ができる。そこで君がぼくの必殺武器で〈皇女グランマ〉をぶっとばすんだ」

「勝算はあるのか」

「何年彼女のもとにいると思う? 作戦は完璧だよ。あとは君が手伝ってくれるだけでいい」

 嘘にしては話が緻密で説得力がある。主要人の失墜は今後の国政にも関わるし、もしリンデロンデという存在が本当にいるなら、世界が危うい。林田は自身の保全と、世界の救済という大義名分に背中を押され春正に協力することを決めた。



 ――雄叫びをあげる林田と、奇叫とも呼べる春正の声が、皇女(グランマ)の部屋に響き渡る。

「うぉぉぉぉおおおおお‼」

「あひゃひゃひゃ! ざまぁねぁな、クソババアぁ‼」




「なーんて、ね」




 春正は、殴打の体勢でがら空きになった林田の首元に、深くナイフを突き刺した。

「まったくぅ、ここまで手のかかる子は、はじめてだったよ」

やれやれといった様子で、ナイフを引き抜く春正。

林田から噴水のごとく噴き出る血が、皇女グランマの身体を真紅に染めた。

 しかし、皇女グランマは眉一つ動かない。

「くそやろっ……!」

 林田は春正の顔を鬼神のような形相で睨みつけ、そのまま倒れ果てた。

 血の池となった林田の横を、ぴちゃぴちゃと音を立てながら、春正は歩み寄り、林田の顔の側でしゃがみ込んだ。

「聞こえてないと思うけど、気がかりで死ねないと可哀そうだから。皇女グランマはね、特別なの。だから男の血を浴びたって死なない。自身の弱点すら克服しちゃったの。だからぼくを直接指揮してるんだよ」

 林田の頭を二度ぽんぽんと叩き、皇女グランマと共に、その部屋を出ていった。



「今日はご苦労だった。また明日には契約変更の儀式を行う。しっかり休んでおけ」

「わかったよ、皇女グランマ

 春正は自室に戻り、切れ切れになったパーカーを脱ぐ。その背中には、赤く禍々しい円環状の呪術印が刻まれている。

「ぼくは皇女あいつに逆らえない」

 悲愴にくれた顔で、春正はひとり呟いた。

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5分で読める物語『誰か助けてよ。』 あお @aoaomidori

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