グラデーションカラー
「その前に君の名前を決めておこうか。無縁仏は嫌だろう」
真昼は臆することなく抵抗する意思を示した。
「それって、どういう?」
彼女の怯える様子がスクリーン一杯に広がった。
真昼はドローンを発信源に派遣していた。機械は闇を恐れない。地平線をあっという間に越え、夜が支配する領域に突入した。
どういうわけか映像は届かない。だが、未知の観測基地は確かに存在した。そこで彼は宣告したのだ。
偵察機能を備えたドローンは恒天観測計画推進本部が随時掌握している。これが部外者との戦闘で失われる事は全人類に対する犯罪と見做される。
一気に形勢逆転した真昼はドームすれすれにドローンを降下させる。
恐慌状態に陥った女は反撃に出ようとするが、真昼が最後通牒を突きつけた。
「核の炎で闇を晴らしたいか?」
流石に全面降伏せざるを得ず、彼女は折れた。
「よし休戦成立だ」
真昼は便宜上、彼女の名前をウサギと名付けた。夜行性でもなく薄明薄暮性動物ゆえに夜昼なく隠密行動する。
「夜子は候補から外したのね?」
「あまりにもベタだ」
「いいわ、ウサギは見たこともないけど」
「なんとなく雰囲気が似ている」と真昼。
「これからどうするの?」
「まずこっちの闇を片付けたい」
「そのためには昼間の世界について知らなきゃ」
真昼とウサギは互いの環境について情報交換した。
「太陽が東から昇って西に沈む頃眠りにつく。その後は知らない。たまに目覚めた時には太陽はいつも空にある」
朝夕がありながら不思議なことに沈まない太陽の話をウサギは興味深く聞いていた。
どんな顔をしているのだろう、ドローンのカメラが回復すればいいが。
「何もかもハッキリしていて焦げるように熱い世界。信じられない。真昼はよく生きていけるわね」
木を見て森を見ない指摘だ。スピーカーの前で真昼は苦笑した。
「俺は逆に夜が嫌だ。光がない世界ってこうも不便なのか?」
三次元プリンターが機材の完成を告げた。彼は通信を打ち切り苦心惨憺してドームを闇から救い出した。
ウサギの基地には陰湿な攻撃兵器が配備されているらしく、粘着したタールや幻惑用ホログラム液を除去するため基地を丸洗いした。
「実存主義を徹底するために犠牲を払う社会こそどうかしてるわ。見張り番に人生を捧げるなんて」
「手探りで生きていく毎日こそ非生産的だ」
「そういう貴方こそどうして夜の世界の女と付き合ってるの?」
言われて真昼はゾクッとした。夜の女。何という妖しい響きだ。もちろん彼に不純な経験や女性遍歴はない。が、ウサギの言動に心が揺れた。
「い、色々報告しなくちゃいけない。夜の存在や君の事も」
バツが悪そうに言うとウサギが悲鳴をあげた。
「それだけはやめて。お願い。怖いの。私を護って」
「人を平然と殺せる癖に?」
「まだそんな意地悪を言う。わああ」
無線越しに泣きつかれた。姿が見えずとも感じられるこの肌の温もりは何だろう。
「わかったわかった。俺に任せろ」
戸惑いながら真昼は基地の全機能を復旧させ、都合のいい情報だけを報告した。
観測基地とドローンの件で喧嘩した事やウサギと交戦した記録は苦心惨憺して改竄した。
本部は鵜?みして真昼に観測の継続を命じた。それから暫くはウサギと楽しいお喋りで毎日が飛ぶように過ぎていった。
独りじゃないって素敵だ。
「ねぇ。清々しい朝ってどんな感じ?」
瞼を開けた時にはもう世界が茜色に屈している。地平線のグリルに乗った太陽が形勢逆転していく様を観ているとめっぽう気持ちがいい。
やがて白熱した大地が勝利の凱歌を奏するとまるで自分が祝福された気持ちになる。生きる活力を自然と分かち合う喜びに日々堆積した負の感情が薄らいでいく。
「ねぇ、トラツグミの声って聞いたことある?」
ウサギは見返りに夜のしじまがいかに饒舌であるか興味深く教えてくれた。とっぷりと暗黒に閉ざされた世界は八方ふさがりではなく表現力豊かに語り掛ける。
「生き物がいるのか? 聞かせてくれ」
真昼は録音データに聞き入った。
「笛みたいでしょ? 最初は肝を冷やしたわ。誰かの悲鳴かと思った。こんな場所で?」
ウサギは集音器越しに夜の世界を眺めていた。見えないところで確かな命が息づいている。
彼女の体験談を通じて真昼の五感が補完されていくにつれ闇に対する恐怖心が薄らいだ。
「不思議なもんだな。俺は光に依存していた頃の自分が他人に思える」
「私も暗くないところっていいかなと考えてる」
愛おしいウサギと一緒に暮らしたい。男子共通の願いを実現するにはどうすればいいか。
まず彼は決死の覚悟で地平線に挑んだ。
だが健康状態の悪化と観測任務の影響を考慮するとドローンで深入りできない。
妥協案として自分に似たドローン・ボットを作成してウサギの元に送り込んだ。
「かわいい」
プリントアウトされたウサギそっくりなボットを彼は愛しんだ。
『貴方の腕の温もりがわからない』
ボットを通したウサギは不満げだった。
「わかった」
真昼は二つ返事で改良に勤しんだ。振り向けば間近にウサギがいる。ウキウキ気分の真昼と裏腹にウサギの心は沈んでいった。
彼は親身になって接してくれるが真意はどこまで浸透しているのだろう。日増しに彼の愛情表現が大仰になる。それが嘘くさく感じる。
もしかしてボットを偏愛しているのではないか。疑心が募ったウサギは彼を試してみることにした。
同じころ、真昼のドームは武装したドローンに包囲されていた。
『抵抗は無駄だ出雲真昼。貴様の容疑は固まっている』
人の形をした水銀が銃口のような指先を白熱させている。恫喝が乾いた空気をいくら震わせど返事がない。
『恋人ごっこがバレないと思ったか? お前は改竄したつもりだろうが観測網全域に及ぶ”不自然な整合性”が仇になった』
水銀はぬるっと胸元からパネルを取り出した。画面に真昼の偽造データが羅列される。
『越境を企てる馬鹿は多いのでね。ここ十年でお前は別格だが』
水銀野郎の警告に耳を貸す暇はなかった。ウサギが助けを求めてきたのだ。
「ボットが暴走するかよ? 自律機能は無いぞ」
真昼はあり得ないことだと首をひねった。
「現に襲われてるの。このままじゃ私、殺される」
スピーカーからはドシンバタンと生々しい音が聞こえてくる。
「待ってくれ!」
真昼が動こうとした瞬間、銃を突きつけられた。目の前に銀色の顔がある。
『どうした? 白馬の王子様。構ってちゃんを助けてやれ』
「構って……? 自演だというのか」
真昼は顔を強張らせた。ウサギは試すような子じゃない。
「誰か知らないけど! ソイツを信じるわけ? 護ってくれるって??」
ウサギが声を荒げる。
「待ってくれ! 推進本部の奴らがこっちに来てる」
真昼が弁解するとウサギは落胆した。
「じゃあ、死ぬまで待てっていうの?」
「どうすりゃいいんだよ」
「助けいかせてやってもいいんだが? 行けよ」
水銀が真昼に譲歩した。
「背中から撃つ気だろう?」
真昼は水銀を睨んだ。すると彼は肩を竦めた。
『何を信じるかは君次第だ。因みに君は観測基地の検診結果を無視した。君は強い。だが大半の人類は心が弱い。白黒つけたがる。そこで観測計画は不安という夜の闇を隔離する為に』
「だったらどうして闇を放置する? なぜ宇宙全体を真実で照らさない?」
『払拭はできない。せいぜい多数決で闇をねじ伏せるぐらいだ。君も五日前の朝、襲われただろう?』
反論されて真昼は恐ろしい事実にたどり着いた。
「もしかしてウサギは”闇”なのか?」
『そうだ。必要悪だ。白黒つけるための』
「そんな!」
真昼は衝撃を受けた。それでも彼は心を決めた。
「行かせてくれ。自演であってもいい。俺はウサギを護る」
『彼女が嘘つきでもか?』
水銀は痛い所を突いた。
「構わない。俺の思いは真実だ」
すると水銀が「参ったわね」と女の声で言った。うねうねと形を変えていく。
「ウサギ? まさか、君が??」
あ然とする真昼の前に本人が姿を現した。
「貴方から昼間の…人間らしい生き方を学んだの。貴方の良心も曇った。これ何て言うんだっけ?グレーゾーン?」
「お、お前」
ウサギはあっけらかんと言う。
「闇には闇の観測計画があったの。お互い様よ♪」
「そういうことだったのか! してやられた」
真昼は彼女をしっかりと抱きしめた。
「これからもグレーゾーンなお付き合い。よろしくね」
屈託のない笑顔に真昼は腹をくくった。
そう、人間関係は割り切れないものだ。互いに相容れない筈の昼と夜が密やかな薄暮の逢瀬を重ねている。別に構わないじゃないか。二人の将来に影がないわけではない。
それでも真昼は強い意志でそれを振り払った。
観測計画本部がいずれ嗅ぎつけるだろうが、その時はその時だ。決着をつけるのは誰でもない。この俺なのだから。
ウサギをちろと見やる。彼女の表情は晴れやかだった。
ウサギと籠の鳥 水原麻以 @maimizuhara
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