明日の学校

増田朋美

明日の学校

明日の学校

雨が降って、梅雨空らしい日だった。いつも通り、杉ちゃんは、水穂さんの世話をするために製鉄所にやってきた。正輔君と輝彦君の二匹フェレットを連れてきていた。杉ちゃんが、布団カバーを取り換えたりしている間、正輔君の方は、水穂さんの体に張り付いて、遊んでいるし、輝彦君の方は、おいしそうにリンゴを食べている。

そこへ、会議から戻ってきたジョチさんが、四畳半に入ってきた。

「ただいま戻りました。其れにしても、輝彦君はよく食べますね。ほんとに、歩けたら、もっと活発なフェレットになったんでしょうね。」

ジョチさんは輝彦君の体を撫でてやりながら、そんな事を言った。

「まあ、そうかもしれませんね。でも、歩けないのは何か意味があるんでしょうから、そのために会えるけないでいるんでしょう。」

と、水穂さんは、少しため息をついた。

「よし。これで新しいカバーを取り換えたぞ。もう取り換えた当日に汚すのは許さないからね。」

杉ちゃんが其れと同時に、水穂さんの体にカバーをとりかえたかけ布団を被せてやった。正輔君が、水穂さんの体から離れて、もぞもぞと布団の中から出てきたのが、何だかとてもかわいかった。

「失礼いたします。」

と、利用者の女性が、四畳半に入ってくる。

「あの、理事長さん、ジャックさんたちが相談したいことが在るって来てますが。」

「はあ、一体何の相談なんでしょうか?」

ジョチさんが言うと、

「ええ、なんでも武史君の事で相談があるようです。」

と、利用者は言った。

「はあ。また?」

杉ちゃんが驚いてそう聞くと、

「とりあえず、お通しして。」

ジョチさんが言ったのと同時に、

「おじさん、又、ピアノ弾いて!また水族館とか、そういう楽しい曲がいい!」

と言いながら武史君が四畳半にやってきた。そのあとから、憂鬱そうな顔をしたジャックさんがやってくる。

「分かりました。武史君は僕が見ます。理事長さんは、相談に乗ってやってください。」

水穂さんがそういったため、ジョチさんは分かりました、といい、ジャックさんに食堂で話しましょうといった。杉ちゃんも、ジョチさんの後についていった。杉ちゃんたちが、食堂に移動すると、ピアノでサンサーンスの水族館を弾いている音が聞こえてきた。確かに水族館は、不思議な曲だ。調性も変わっているし、確かにお魚がいっぱいいるという感じだったけれど、一寸よくわからない、不思議な曲と言える。

「それで、今日の相談というのは何でしょうか。」

と、ジョチさんは、ジャックさんを、椅子に座らせた。杉ちゃんがとりあえず、お茶を出す。

「実はですね。この絵をみてください。」

ジャックさんは、一枚の画用紙を、テーブルの上にだした。

「はあ、何だこれ。岡本太郎の明日の神話みたいな絵じゃないか。」

と、杉ちゃんが言う通り、この絵は、岡本太郎の明日の神話と色使いや輪郭線の書き方など何処か似ているのだ。

「これを、武史が描いたんです。学校の思い出をかけという課題だったそうですが、幾らなんでも、核兵器の脅威にさらされているような人間の絵が、学校の様子だなんて、お宅でどういう教育をさせているんだと、学校の先生から叱られてしまいした。」

ジャックさんはそう説明した。

「はあ!確かに学校は、オウムよりこわい新興宗教という人もいるけど、、、。」

杉ちゃんは腕組みをした。

「そう思ってくれたならいいんですが、武史の学校では、そう思っている人はいないみたいで。今回は、退学をしろとまで言われてしまいました。武史の素行の悪さにはひどいものがあるそうです。このような絵を描くだけではありません。其ればかりではなく、授業妨害もひどいそうです。なんでも授業中に質問攻めでまくしたてたり、授業が終わったあと、先生を追いかけて先生に文句をいうとか。まあ小学校ですから、いろんな科目をひとりの先生が教えることになりますから、先生もむきになってしまうのではないかと思うのですが。なんでも、美術や国語でひどいそうなんです。美術ではわけのわからないモニュメントを作り、国語では、教科書に載っている答えを、自分はそうは思わないと言って、先生に文句をいうとか。」

ジャックさんは、悩んでいることを、杉ちゃんたちに話した。

「でも、武史から聞いた話ですと、本人に全く悪気はないし、ただ、答えが分からないので、先生に質問しただけだと言うんです。武史は、どうしても先生が出す答えに自分は納得できないので、理由を教えてくれと先生に聞くんだそうですが。そんな事、僕が幼いころを過ごしたイギリスでは、当たり前のようにやっていたんですよ。そういう子は、よく意見を言って授業を盛り上げてくれると言いますけどね。そういうわけだから、武史が何の悪さをしたのか、よくわからないんですよね。僕も、こっちへ来て、学校の制度が全然違うのは驚きましたが、日本では、自分の意見をなんでも話す子供よりも、黙って静かに勉強している子供のほうが、良い子なんですかねえ。」

「まあそういう事だ。それは、日本に住んでいれば誰でも分かるっていうか、当たり前のような事だと思われているんだろうけど、そういうことは、外国の人にはよくわからない事かもしれないな。」

と、杉ちゃんは言った。

「其れよりも、本当に退学をしろと、学校の先生が言ったんですか?」

ジョチさんはジャックさんに聞く。

「それを言ったのは、学校の先生が言ったんですか?」

「はい、そういうことだったんです。」

ジャックさんは、困った顔で言った。

「つっかえていること話しちまえよ。お前さんが、黙っていられないタイプだってことは、僕たちも知ってるよ。一体誰がそういうことを言ったの?学校の先生か?校長か?」

杉ちゃんに言われてジャックさんは、もう話してしまおうと思ったのか、いきなりこういうことを言った。

「ええ。武史が数学の授業でお世話になっている先生です。クラスを持っている先生ではありませんが、あの学校では、もうかなり年配の先生で、結構信用されている先生だったそうです。」

「男か?其れとも女?年齢はどれくらいだ?」

杉ちゃんが聞くと、

「女性の先生です。名前は、山本美佐江。50歳くらいの先生ですが、あの学校に、かなり長くいて、生徒さんからの信頼も厚い先生だったと。まあ、私立学校ですから、異動があるわけでもないですし、長くいることになっても仕方ないと思いますが、それにしても、学校の先生に、そういうことを言われてしまうとは。」

と、ジャックさんは答えた。

「まあ、先生の事情はともかくも、子供には教育を受ける権利があります。それなのに退学をしろというのは、生徒に対して、いってはいけない言葉ですよ。そこはちゃんと主張しても良いと思います。」

ジョチさんがため息をついた。

「もし、その女性教師が又そのような事を言ってきたなら、教育を受ける権利はちゃんとあるんだと主張していいと思います。生徒に、一方的に退学をしろというのは、教師であっても、いってはいけない言葉でもありますからね。もし、先生が又ひどいことをいうようなら、堂々と、文句を言っても良いと思います。その時は、僕も、微力でありますが、お手伝いさせていただきますよ。」

「そうそう。そういう権威のある人に手伝って貰ってさ。ちゃんと教育を受けられるようにしようよ。学校なんて、汚いものの温床でもあるからね。学校の先生ほど、まともじゃない奴はいないから。武史君だって、決して悪い生徒では無いと思うよ。ただ、自己主張が強くて、発言ばかりしているという生徒は、日本では嫌われるかな。」

と、杉ちゃんが言った。其れと同時に六歳の少年が、食堂に飛び込んできた。そして、涙をこぼしながら、甲高い声でいう。

「御願い!おじさんを助けて!」

「はいはい。分かりましたよ。水穂さんが疲れてせき込んでしまったんでしょう。そういうことができるんであれば、武史君は決して自分の事ばかり考えている少年ではありませんね。其れなら、やっぱり、悪いのはその、山本美佐江という教師です。」

ジョチさんは急いで立ちあがり、四畳半に戻っていった。ジャックさんも、すみませんと言って、其れについて言った。

「杉ちゃん、おじさんは助かるの?」

と、武史君は杉ちゃんに言っている。

「大丈夫だよ。急に倒れちゃうことはよくある事だから。武史君も、ずっとおじさんに水族館を弾かせるのでなくて、時々休みを取らせてやるようにさせてやってくれ。あのおじさんは、強い奴じゃないからな。それは、お前さんみたいに、細かいことが気になってしょうがない奴なら、分かると思うんだがな。」

と、杉ちゃんは優しく言った。こういう時、怒りもしなければ、責めることもしないのも、杉ちゃんであった。

「じゃあさ、武史君。もう少し、学校に対して、怒るのはやめとくか。」

杉ちゃんが言うと、

「そうだね。」

と武史君は、何か考えているような、そんな顔をして、そういうことを言ったのであった。

一方、四畳半では、薬を飲んで、布団で静かに眠っている水穂さんを眺めながら、ジョチさんは、血液で汚れた鍵盤を拭いていた。

「ジャックさん、もし、学校からひどいことを何回も言われてしまうようだったら、弁護士に相談したらいかがですか。学校の事で、弁護士を雇うなんて馬鹿なとお思いになるかもしれませんが、日本ではそうしないと解決できません。武史君の将来の事も考えて、やるときは徹底的にやった方が良いかもしれません。」

ジョチさんは、雑巾を片付けながらそういうことを言った。

「そうですね。イギリスの学校では、先生に質問して、それが授業妨害になってしまうのは、あり得ない話しでした。日本の教育制度は、なにが何だかよくわかりません。」

ジャックさんは、申し訳なさそうに言った。

「まあそういうもんです。日本人でも最近の学校のことはよくわからないですからね。まあ、そういうことになっても仕方ないですよ。」

ジョチさんはジャックさんを励ました。目の前で、静かに眠っている水穂さんを見て、ジャックさんはそうですよねという。水穂さんだって、まともな教育を受けていないんだもんな、とジャックさんは小さい声で言った。

その翌日。

ジャックさんは、重い顔をしている武史君の肩を叩いて、

「ほら、学校に行きな。」

と優しく言った。

「うん、行ってくる。」

と、武史君は、にこやかに笑って出かけていった。

学校と言っても、武史君のいっている小学校は、事情がある子供が多いということもあり、一学年50人程度の小さな学校だったから、一般的な小学校よりも規模が小さかった。其れなのに、担任教師以外の先生が多くて、先生の人数が目だってしまうような気がする。

「おはようございます。」

校門の前で、例の問題発言をした、山本美佐江先生が挨拶をしていた。

「おはようございます!」

と武史君は、にこやかに先生に挨拶する。

「はい、武史君、今日も元気でいいね。」

山本先生はほかの子供にも目配せしながら、武史君に言った。

「山本先生、おはようございます。」

ほかの学年の生徒が、そう声をかけると、

「はい、おはようございます。」

と山本先生は、武史君にしたようなあいさつではなく、しっかり生徒の目を見ていった。

「先生は僕に、どうして声をかけてくれないんですか。」

武史君はすぐ食って掛かった。

「先生が、僕にしてくれた挨拶と、ほかの子にする挨拶では一寸違うような気がするんですけどね。」

「武史君。先生はそんな事していませんよ。ちゃんと、武史君に挨拶してますよ。」

と、山本先生はいうのだが、

「でも、先生は僕に挨拶するのと、ほかの子にする挨拶が違ってました。」

武史君ははっきりといった。

「なんで僕には、そういうことをするんですか。」

それでは答えがみつからず、山本先生が困っていると、

「山本先生。保護者の方が、お電話です。有村さんのお母さんで、今日は、体調が悪いので学校を休ませると。」

と、校長先生が、山本先生に声をかけた。山本先生は、わかりましたと言って、すぐに職員室に戻って言った。武史君は、それを大人ってどうしてこんなにごまかすのが上手なんだろうという感じの顔をして、それを見ていた。其れから、一時間目の授業が始まったので、山本先生は武史君のことは忘れて、ちゃんと、指定されたクラスに行って、授業を始めたのであった。幸い小学校だったし、クラス担任でもなかったから、武史君とは、顔を合わさずに済んだ。

一時間目が終わって、山本先生が職員室に戻ってくると、

「先生、こないだの授業で分からないところがあったんですけどね。」

と、武史君がやってきたのでびっくりしてしまった。

「武史君、この間も、先生は教えたでしょう。数学は答えがひとつしかないんだし、ちゃんと考えれば、分かる事じゃないかな。先生が教えるのは簡単だけど、まず、どうやって解こうかを考えて先生のところにいらっしゃい。」

山本先生はそういったのであるが、

「ええ。それは分かっています。でも、問題文は分かるんですけど、これは、5から9は引けないですよね?」

と、武史君はそういうのである。

「それなら、もう答えは明確だわ。数学は、其れさえどうすればいいかを考えれば分かるはずよ。」

山本先生は、そういったが、

「でも、そのあとどうすればいいのか分からなくて。」

という武史君に、

「もう一回、過去の授業でやったことを思いだして、考えてご覧。」

と、山本先生は、そういって武史君を職員室から出した。

「はあ、今度は山本先生に付きまとっているんですか。あのイギリス男。」

と、ほかの先生が、彼女に聞いた。

「ええ、まあそうですね。全く、困りますね。あの子、質問ばかりして。早く日本の学校のシステムに、慣れて貰いたいモノだわ。」

と山本先生は言った。

「ほんとだよな。全く、困るよな。まあ、ああいう子は、いずれ特別支援学校とかそういうところに送られるでしょうから。俺たちが関わる事じゃないな。それでよかったと思うことにしておこう。」

そういう先生たちに、山本先生は、頷けなかった。そういうことは、その通りだと言っていいものだろうか。それでは、障害のある子というか、武史君のような子が行き場をなくしてしまうことは、予測できる事だ。

「山本先生が、すごいことをいうから、あたしたちも嬉しくなりましたよ。これでやっと、あのうるさい子供から、逃げられるじゃないですか。あの父親も、たいして頼りなさそうだし、きっと山本先生のいう通りにしてくれますよ。よかったですね、先生。」

別の女性教師がそういうので、山本先生は、武史君に、退学をするように言わなけれならないなと、思ってしまうのだった。でも、それは多分きっと、ほかの先生とは、違う意味で。

「まあ、いずれにしても、彼が、この学校を出て行ってくれるのは、時間の問題ですよ。それで僕たちは、やっと平和な生活ができるようになりますね。あーあ、あの生徒は、ほんと、授業妨害はひどい、それに、あんな気持ちが悪い絵を描いて。全く。学校の、名誉をぶっつぶすような、そんな存在でしたよね。」

そうほかの先生がそういっていると、山本先生は、武史君がかわいそうになった。

二時間目が終わって、山本先生が職員室に戻ってくると、武史君が、又やってきた。

「先生、やり方は分かりました。5から9は引けないから、隣の4から1を借りてくるんだよね。そして、15引く9は、6。そして、残りの4は、一つ貸したから1減って3。これでいいんでしょう?」

「そうよ。武史君。よくやったね。やればできるじゃない。ちゃんと勉強していて偉いね。」

山本先生は、そうほめてやった。

「武史君、本当は、自分でなんでも考えて、自分で答えを見つけ出すモノだよ。先生にいちいち分かった事を報告しなくてもいいんだよ。」

と、別の教師がそういうことをいうが、

「そうですね。でも、僕は分からない事があったから、聞きに来たのであって、その時の事はちゃんと御礼をするようにって言われたから、御礼をしに来ました。」

そういう武史君は、日本人にはない気配りを持っていた。日本人の生徒であればわざわざ勉強の事を教えて貰おうとして、御礼をすることはない。

「そんなことしなくていいのよ。武史君。そんな御礼なんて、言わなくていいの。それは、あたしたちは、当たり前に教えているんだから。」

山本先生がそういうと、

「いいえ、それは、ちゃんとおじさんから習いました。人にしてもらったことは、一生忘れるなって。僕は、先生の事忘れないよ。」

と武史君はいうのであった。そんな事言ってくれるなんて、武史君はしっかりしていますね、ほかの教師が言っているが、山本先生は、武史君を馬鹿にするという気にはなれなかった。

「武史君、次の授業に間に合わなくなるわよ。すぐに教室へ戻りなさい。」

山本先生が優しく言うと、武史君ははいと言って、教室へ戻っていった。

「山本先生。もう優しい先生を演じるのは、おわりにしたらどうですか。あの子、まだまだこの学校に居合わせてしまうことになりますよ。あたしたちは、あの子を追い出す事が本命でしょう。其れなら、もう優しくしなくても。」

ほかの教師がそういっているが、武史君の顔を思いだして、彼女は武史君の事を、馬鹿にすることはできないなと思った。

「でも、うちの学校では、もうあの子がいられたら、困るっていうのは分かっているんですから、ちゃんと、彼を追い出す姿勢を貫きましょうね。」

別の教師がそういっているが、山本先生はそうねとしか言えなかった。

その日、製鉄所に又武史君がやってきた。また大好きな水穂さんのもとへ行って、水族館を弾いてくれとせがむのかと思われたが、武史君は、縁側で宿題をやり始めた。水穂さんは、にこやかに笑って、武史君が勉強しているのを眺めていた。

「武史君、少し変わった子供から、普通の子供に成ろうとしているのかな。」

と、杉ちゃんは小さくつぶやいたのであった。








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明日の学校 増田朋美 @masubuchi4996

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