黒い至上主義宣言~星間物質の凌辱と四人掛けシートの天啓:佐山大翔のつり広告から始まる奇妙な物語

水原麻以

戦闘純文学 「黒至上主義宣言」

戦闘純文学 「黒至上主義宣言」


「黒至上主義宣言」


 佐山大翔(さやまはると)が何気に、つり広告を見上げるとそんな言葉がわさわさと干されていた

 彼にとってその熟語は単なる惹句ではなかった。けば立った極太フォントがグザッと網膜に突き刺さる。シャンプーが目に入ったような痛みに耐えられず、彼は思わず声をあげた。


 それほどに強烈な売り文句だった。白地の三分の二を占領している「それ」は、背景色を蹂躙しているというより、屈服いや凌辱という表現がふさわしい。


 佐山の嗚咽をきっかけに、四人掛けの男たちが振り仰いだ。そして、平等に衝撃を受けた。


 広告を手掛けたコピーライターは天才肌だ。いや、神に等しいといっても過言ではない。創世記にいわく、この世は神がかり的な言葉で作られた。


 はじめに言葉ありき、だ。

 原初において、造物主が「光あれ」と唱えると、明暗が分かれた。そして、宇宙が開闢したという。

 大翔が賜った天啓は四人掛けシートを撃った。男たちは寝耳に水だった。いきなり頭上の脅威が降ってきたのだ。


    

 例えば、育毛ブラシで頭を促進中のオヤジ。例えば、消費増税におびえる零細業者、競馬新聞を握り締めたオッサン。例えば、バッテリーの切れた黒い液晶を眺める肥満体。


 こうした想定外の波及効果も計算ずくだったのか。そこまで考えているのなら、広告主は神に違いない。


 もはや、それが何の広告であるか、どうでもいい。印象深い言葉が独り歩きして、消費者の興味が勃興する。大衆心理を逆用したうまいやり方だ。


 佐山も思わずスマホを取り出した。おもむろに「黒至上主義」で検索。

 そのものずばりで該当なし。


 しかし、類似候補がヒットした。


『もしかして【純粋数学至上主義】?』


 的外れな提案も言語神の思し召しなのだろう。佐山は従順な子羊のように従った。


 ハイパーリンクが朱色に変わり、ブラウザ画面が遷移する。


 アフィリエイターが適当にでっち上げたサイトが表示された。検索エンジンを釣るために、さも有益そうなコピペが散りばめてある。


 純粋数学至上主義 純粋 数学至上主義とは、読んで字の如く純粋数学が文句無しに一番エライのであって、不純な数学は下賎の民の戯れ事であるとする思想である。ここで純粋 数学とは《続く》

 」


 そうか。

 黒が豪(すご)いのか。

 では、黒がなぜに最強であるのか。


    

 さる研究によれば、観測で得られる全恒星のスペクトルを平均化した結果、宇宙の色はカフェラテ色であると計算されたという。コーヒー牛乳色の宇宙?おかしいではないか。


 地球を中心とする人類の視野より、宇宙は圧倒的に広い。当然、その中に含まれる星の数は事実上は無限大であり、地球にふりそそぐ星の光は膨大だ。星の光は距離の2乗に反比例して弱くなっていくが、地球からある距離だけ離れた星の数は、距離の2乗に比例して増えるだろう。宇宙が無限ならば、あらゆる距離の星の光がどんどん足し算されてしまうので、宇宙は夜でも明るくなってしまう。


 理論上は。だのに、夜空が白くない。コーヒー牛乳色だ。何かが間違っている。

 責任の所在が明らかでない場合、人は便利な言葉を発明する。不慮の事故、偶然、運命のいたずら、悲劇。


 人は思考する生き物であるから、因果関係を欲する。


 偶発的で、説明不可能なマイナス要因として片付けられてきたものの正体はこれではないのか?

 佐山はついにラストボスにたどり着いた。


「黒い至上主義」


 しかし、宇宙の翳りは、内在的要因であるから、自己責任だ。しかし、それ自身の構造的問題ではない。

 何が正しい、何が間違っている。、

 スマホのバックグラウンドアプリが新着(ブレイキング)ニュースをポップアップした。

 形而上から俗世へ。唐突に液晶画面が堕落する。

    

 旅客機同士のニアミス事故。双方の乗員乗客あわせて500人以上。機体は空中爆発。幸い日本人はいないもよう。

 最後の一行は余計だろうと佐山は腹立たしく思った。同時に、この憤りに違和感を感じた。


 日本人の安否を付け加える理由は報道上の配慮だ。無用な問い合わせが殺到すると現地が混乱する。

 決して外国人をないがしろにしているわけではない。だが、このフレーズで日本人の多くは「よくある対岸の火事だ」と関心をそらしてしまう。腹黒い。


 彼は揺れる電車の中で真実にぶち当たった。

 なるほど、そういう事だったのかと、佐山はひとりごちる。

 黒い至上主義とは、宇宙に遍在する理不尽から生じる社会病理だ。


 ドイツ、ボーデン湖上空で起きた不幸な事故。

 目を覆いたくなるような続報が飛び込んでくる。墜落現場から子供たちの遺体がたくさん回収されている。終業後の長期休暇を利用したツアーのようだ。

 子供たち罪は無い。幸せに育って欲しい、学校で成績を修めた褒美に、と親たちは送り出したはずだった。

 その想いは幼い命で購われた。容赦ない黒の応酬、


 この世に神も仏もないのか。

 佐山は考えた。

 古来、人々は暗黒を悪の代名詞としてきた。闇が断罪されるのであれば、光は善だ。陳腐な二元論を持ち出すまでもない。

    

 そして、悲しいことに宇宙では暗黒物質が支配的だ。

 星の光は距離の2乗に反比例して弱くなっていくが、地球からある距離だけ離れた星の数は、距離の2乗に比例して増えるだろう。宇宙が無限ならば、あらゆる距離の星の光が無限に加算されて、宇宙は夜でなくなってしまう。

 これは矛盾であるから、星の数は有限である筈だ。

 これについては、たとえば「星明りは星間物質で遮蔽される」という説明がされたりもしたが、「星間物質は光を吸収するが、その吸収率は無限ではない。赤外線などを散乱する。それらも加味するとやはり宇宙からくる光の挿話は無限大である」と反論される。

 はて、これはどこかしら聞き覚えのある学説だ。

 何と言ったか。

 佐山のスマホ脳は、反射的にヤフー知恵袋を開いた。ポツポツと質問文をフリック入力する。

 そして、投稿。

 打てば響くように罵倒が返ってくる。


「オルバースのパラドックスぐらいググレカス」


 佐山はネットの暗黒に今更ながらは直面した。みごとなまでに病的な暗黒だ。


 電車はいつのまにか半蔵門線に入っていた。終着駅だ。


「黒い至上主義か」

 わかったようなわからないような顔をして彼は扉から一歩を踏み出した。

「あっ、お客様」

    

 ホームの駅員が止める間もなく彼は陥穽に落ち込んでいった

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒い至上主義宣言~星間物質の凌辱と四人掛けシートの天啓:佐山大翔のつり広告から始まる奇妙な物語 水原麻以 @maimizuhara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ