元悪女、生首と共に人生やり直します。

いづか あい

第1話

それは、抜けるような青空に、気持ちの良い風が吹いている日のこと。

私、ラシュカ・レイナートは、天井から差し込む陽光に照らされた教会の聖堂の祭壇を鬱陶しく見つめた。

いつもは神聖で正常な空気で満たされている白亜の聖堂も、なぜか今日は暗く、居心地が良くない。

最高級のシルクにパールとビーズをふんだんに使用された純白のウェディングドレスは、私からすればただの重い鎖…もしくは枷のようなもの。


そう、今日は私の結婚式。…相手はこのランセルツ王国の王子殿下。それだけ聞けば、うらやましがるものもいることはいるでしょう。

でも、私は絶対に嫌。断固拒否。無理なものは無理です。


なぜ私がこんなに嫌がっているかというと…原因はその相手にある。

私の相手、ランセルツの第一王子、シェリペ・リンデール様というのは、容姿は…まあそこそこ。身分は高尚でスペック的にはこの国一番かもしれない。

でも、女癖が非常に悪いので有名だ。あ、あと性格も。


幼少の頃は多少かわいげがあったけど、今はもう見る影もない。

年頃の令嬢達には手あたり次第手を出そうとするし、相当なギャンブル好きだし。


私の父は、この国で国王に匹敵する権力を持つ、『法皇』である。

近年特に、王家の評判はガタ落ちて、法皇の権力が日を増して強くなってきている。このままでいけば、政権交代みたいな話が浮上するのも時間の問題と言われるほど、民衆の支持が篤い。


現在の国王は平和主義で事なかれ主義。…そこで、一人娘である私と王子殿下の結婚話が浮上した。…ある意味、人質と言えるかもしれない。


俗にいう政略的な結婚というものだけど…私の場合、この結婚を定めたのは親どうしても家同士でもない。国王直属の命令なのである。


「王命」と呼ばれるものは、国の法律や規則でも覆すことなどできない。

これをなくす方法は、二つ。


「死」か、「王族自身が自らこの王命を撤回すること」。

そうなると…私と私の家族は後者を選ぶことにした。


「ついに来てしまったわね…」


苦しいため息をつくのは無理もない。‥だが、これは落胆のため息なんかじゃない。私はこの日のために、最大限の努力をしてきたつもりだもの。


「…そろそろお時間でございます」

「わかったわ」


控室を出ると、誰もいない廊下をゆっくりと歩いていく。

その先に待っているのは…


「ふん。…似合うじゃないか。ラシュカ」

「ありがとうございます」


すっと差し出された手を払いのけると、私はそのまま真っすぐ式場へと一人で足を運んでいく。


「お、おい!」

「…シェリペ・リンデール王子殿下」

「!」


くるりと一度振り返ると、怯んだシェリペに極上の悪女スマイルを贈る。


「私は社交界の中でなんと呼ばれているかご存じですか?」

「?!…お前は、わがままで高飛車で‥男をたぶらかす、顔だけは美しい悪魔のような令嬢だろ?」

「毒婦、悪女、ランセルツの毒花。…こんなところでしょうか?」

「そ、そうだ!この僕くらいしか相手にしてやらないんだからありがたく思…ぶっ?!」

「ああ、滑らかな舌ですこと」


バサッという音共に、ユリの香りが部屋いっぱいに広がる。

私は持っていた白ユリのブーケを目の前にいるシェリペ王子の口元めがけてぶちまけたのだ。


「さて、行きましょうか」

「お、おい」


追いすがる王子を無視して私は一人で聖殿の祭壇に昇る。

まさか、花嫁が花婿を置いて出てくるなど、前代未聞だろう。招待された客は皆ひそひそと話したり、中には非難の視線を贈る者もいる。


まあ、私の両親と弟は、にこにこと手を振っているけれど。


「ちょ、ちょっと待っ…」


ようやく祭壇に現れたシェリペにくるりと振りむく。

長い刺繍のヴェールとはがすとそれを手渡した。


「はい。お返しします」

「‥え は??」

「わたくしはランセルツ王国一の悪女でございます。‥王子殿下の恥など知ったことではございませんわ」

「ら ラシュカ!!…こんなことをして…」

「皆さん!!」


唖然とする王子殿下を無視して、私は観客…もとい、この結婚式の招待客のほうに向きなおる。


「私、ラシュカ・レイナートは、この王子殿下に永遠の愛も約束も、永久に誓わないことをこの場にいる皆さま方に宣言いたしますわ!!」


ざわ、と招待客が揺れた。

まあ、いい反応ですわね。私の最後の舞台ですもの‥こうでなくちゃね。


「……っ!!」


予期せぬ出来事に茫然としている王子殿下をねめつけると、彼の喉元を指さした。


「この間は、どこぞの下級貴族の姫君と。先日は‥ああ、お胸の大きな元シスターでしたっけ。…舟遊びと称して、素敵な一夜をお過ごしになられたとか」

「な、なにを」

「まだまだまだありますわよ?あなたの不正の数々。…教会の情報網を甘く見てはいけませんわ」


あら、顔が真っ青だわ。

そうそう、その調子。私にはある狙いがある。…確実に『それ』を遂行するため、私は王子殿下を追い詰めていく。


「…っ お 俺は、…いいからただ言え!!この俺に愛を誓うと!」

「はぁ?」


…っと、いけない。

このまま怒りに身を任せたら大変なことになってしまいますわ。私はたっぷりと間をあけてから、できるだけ妖美にほほ笑んだ。


「…シェリペ様」

「な、なんだ!」

「これ以上ご自身の恥をさらしたくなければ…わたくしと破談なさいませ」


なるべく表情筋を固定したまま、ラシュカはシェリペをじっと見つめる。

みるみる顔を真っ赤にするシェリペに、ため息をつきながら…私は奥の手を使う。


「この神聖な神殿で、神聖なる結婚式の前に犯した不逞の数々をす・べ・て、暴露されたくなかったら…破談なさい。」

「…ふん、証拠はあるのか?」

「ないとお思いですか?」

「……」


…本当のことを言うと、先ほど出したので全部ですけれど。

あとは天に運を任せるとしましょう。


「‥せっかくこの俺が悪女のお前を妻に迎えてやるというのに‥」


思っていたことと違うことを言われ、私は一瞬素に戻りそうになってしまう。

そう、私が欲しい答えはただ一つ。


「お前との結婚‥この場において破談とする!!異論はないな!!」

「!!」


ひく、と私の口元が緩みそうになる。

そこはこらえて、あくまで、神妙に。しおらしく。


「‥確かに承りました。では、本日この場にいらっしゃるすべての皆様が証人でございます」


飛び回りたい衝動を抑えながら、私は茫然と事の成り行きを見守る式の参列者たちに向かって、完璧なカーテシ―を披露する。無駄に華美な宝石が付いている薬指のリングを最後に外すと、静かに祭壇から降りた。


「皆様、それではごきげんよう」


そして、そのままくるりと踵を返した。


去り際、ちらりと自身の家族を見やると、二人ともにこにこと手を振っている。

父親に至っては、親指をぐっと立てている。


(‥お父様ったら、公衆の場じゃなければ手をたたいて喜びそうですわ‥)


門前に立つあっけにとられているシスターたちを押しのけ、木造の重い扉を思い切り開け放った。


「ああ‥やっぱり、とってもいいお天気」


本来なら花嫁を祝福するために友人や知人が外に待っているものかもしれないが、人影はまばらだった。

残念ながらラシュカには、心を許す知人も増してや友人など一人もいない。


(ま、予想通りですわね。どうせ祝福する気もないんでしょうし、知ったこっちゃありませんわ)


何が起きたかわからずぼうっとしている人々を無視して、人目のつかない森のほうへと駆け出した。

誰も追ってこないのを確認して、なるべく森の奥へ奥へと足を運ぶ。全力で走って、やがて息も切れてきたころ、すぐ近くにある大きな木にもたれかかった。


「ふふ‥ふふふっ‥!やった‥やったわ、やってやりましたわ!!!」


私は万歳を三唱したのち、銀で作られた重たいヒールを脱いで空中に放り投げ、草むらに大の字になって寝ころんだ。


「あはは!!あーはっはっは!!ざまあ見やがれですわよシェリペ・リンデール!!!」


…そう。私はラシュカ・レイナート。

ランセルツ王国においては、気に入らない者は罵倒し、熱い紅茶を相手にぶちまける、口を開けば悪口雑言。‥悪評高き泣く子も黙る『悪女』。


「これで‥!これで悪女卒業ですわーーー!!」


が、それは仮の姿。


「よかったぁ‥やっと、やっとまともな一人の人間として生きていける‥!今までどれほどの苦労をしてきたことか‥」


気に入らない者は罵倒‥も、それは私や家族に対して攻撃性のあるものにだけ。

熱い紅茶を相手にぶちまける…も、なんだかんだで人肌程度まで冷めたものにするように最大限の注意を払ったし…。

万が一相手の服にシミが付くようなものなら、あて先不明でクリーニング代を贈ったりしてきた。


そのどれもただのデモンストレーションの一つ。

全て計算の上、それも最終的に王子殿下に自ら婚約破棄を宣言させるための布石に過ぎない。


悪口雑言に至っては、目的となるための手段とは言え、言い終えた後は心の中で何度も謝罪と懺悔を繰り返していた。


その悪女は…今日で終わり。

あとは社交界云々全ての地位を投げ出して、私はただ一人の教会の信者として、これからを生きていくのだった。


今日、この日が…私の人生のやり直しのスタート地点となった。



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