03-02 サトウ・タナカ

 火葬が後ろ暗い埋葬法となったのはいつからか、おれは知らない。


 物心ついたころにはとっくに、火葬とは『普通じゃない』人の行きつく成れの果てと言われていた。


 はずれ者、危険思想者、奇人変人、迷惑者、

 反社会的傾向、アウトロー、大昔の価値観を引きずる前時代の異物。


 呼び方は数あれど、要するに今の体制から見捨てられ、はじき出された者たちだ。


 愛による相互扶助で全体の幸福を底上げする福祉社会。素晴らしい理想郷だ。


 だがどこにでもなじめない者はいる。


 他者を上手に愛せない者に、世間はこの上なく冷たい。


 助け合い、愛し合うことが当たり前の社会にうまく迎合できなかった者たちは、非情で冷徹で自己中心的な人間とみなされ、愛の名のもとに排斥された。


 彼らに愛がなかったわけではない。ただ、福祉点数──項目・公共の福祉における貢献、だったか──につながるような愛し方が、うまくできなかっただけなのだ。


 おれの養祖父もそうだった。


 火葬場の主としてはみだし者たちを弔い続けた祖父もまた、世間から『まともでない仕事をしている』と後ろ指をさされてきた。


 かつてはおれも同じ仕打ちをした。

 火葬など愛がない、不誠実で自己中心的な埋葬だと信じていたのだ。


 おれは世間が唱える愛の形を信じていたし、欲してもいた。

 育ててくれた恩義はあれど、かたくなに火葬を続ける祖父を理解できなかった。


 面と向かって非難したことも一度ではない。

 だが、祖父は一度も反論しなかった。ただ静かに、そうか、と言うだけだった。


 祖父は多くを語らない人だった。

 彼の愛は不器用で不格好でひどくわかりづらく、幼少のおれはいつも孤独だった。


 おれが祖父に愛されていたとようやく気付いたのは十年前、二十八にもなってのことだ。


 その祖父も死んだ。

 遺体はおれが焼いた。


 最後まで祖父は、社会から見放された、はみだし者のままだった。




(……この子も、はじき出されたのか)


 愛と奉仕の蔓延する、理想郷じみた社会から。


 痩せた子供だった。十五歳。あと一日生きれば、十六歳になれた。




 おれは静かに彼女の顔を見下ろした。

 白い頬、長いまつげ、まっすぐな鼻筋、整ったくちびる。


 美しい顔を見つめていると、ふと気がついた。


 下顎が固定されている。それ自体は珍しいことはでもない。

 しかし──この固定の仕方は。


(……自殺)


 おそらくは薬物による中毒死。

 歪んでしまったくちびるを元に戻したのだ。


 表情を整えるのに苦心したのだろう。よく見ると痩せた身体には、他にもいくつか薬物自殺の痕跡があった。ますます表情が渋くなった。


 もう一度書面を見る。依頼者の名はサトウでもタナカでもなかった。


 続柄の欄には『支援者』とある。

 彼女には身寄りがなかった。支援によって生活していたのだ。


 だが、ここまで身なりのいい要支援者がいるだろうか。

 持ち込んだ依頼人たちも、福祉支援者というよりは付き人や秘書といった風体だった。


(おそらくは公的支援ではなく私的な支援。それも相当裕福、あるいは有力な──)


 そこまで考えて、余計な詮索に気付く。すぐに思考を打ち切った。


 詮索はおれの仕事ではない。おれはただの火葬屋だ。遺体を焼くのが仕事だ。


 有機資源の再利用、人生最期の社会貢献など馬鹿馬鹿しい。

 あんなもの、強制搾取をきれいな言葉で取り繕っただけではないか。


『奉仕の愛』はおれたちを救ってはくれなかった。

 それどころか、愛はおれたちを追い立て、レッテルを貼り、排斥した。

 その上、死してなお肉体まで奪っていこうとする。なにが愛だと心底思う。


 この愛と欺瞞だらけの社会から見捨てられた連中を、火葬によって搾取から解放してやる。

 それだけが、おれに残った唯一の生きがいだった。


 あの依頼者たちからは、愛に恵まれた者のにおいがした。

 服装も立ち居振る舞いもこの上なくまっとうで、どことなく仕事帰りのリディアに似た雰囲気があった。


 理知と整然と真面目さに、ひとかけらの警戒心。なんとなく公人のような感じというか。


 もっとも、リディアの場合エプロンをつけた瞬間その雰囲気は霧散して、十年前の家庭的で儚げな様子が戻ってくるのだが。


 対面時、なんとなくの違和感を覚えたがなんのことはない。


 リディアの紹介ということは、彼らも財務省だの政治屋だのと繋がりがあるということなのだ。公的な人間と呼んで差し支えない。あの雰囲気も当然のことだろう。


 それに、これだけちゃんとしたご遺体だ。

 彼女には大きな支援者がついていたと予想される。


 だがあの依頼人たちは大物には見えない。せいぜい秘書といった感じだ。

 おおかた、〝雇い主〟である本当の支援者を知られたくなくて警戒していたのだろう。


 違和感の正体はそのあたりか。


 あとはまあ、『可能な限りすべて焼き尽くしてあげてほしい』なんていう変わった依頼を真面目くさった顔で告げられて、おれも調子が狂ったのかも知れない。

 妙な印象はそのせいだろう。


 なんとなく、また詮索に戻りそうな気配を感じておれは思考を打ち切った。

 そっと遺体に視線を戻す。

 エンバーミングの肌感はともかく、死化粧はきれいだ。手を入れるまでもない。


(あとは──ああ)


 胸のリボンが気にかかった。

 左右の長さが違っている。かすかに顔をしかめた。


 着せ付けた者は細かいリボンの長さなど気にしなかったのだろう。

 それがすなわち『彼女の死』に対する、周囲の関心の薄さのような気がした。


 アートテックの瞳、絹のドレス、整った肌や爪。

 長さの違うリボン、身寄りのない要支援者、そして自殺の痕跡。

 逝去日は誕生日の前日。


 ……他人から金だけを与えられ、孤独と絶望のうちに自殺した少女。

 そんなイメージが広がった。胸の底が重くなった。


 リボンに手を伸ばす。

 あとは焼かれるばかりとはいえ、サトウ・タナカは年頃の少女だった。せめて整えて送ってやりたかった。


 結び直そうと青をほどく。そのとき、襟元がはらりと開いた。

 どうせリボンを結ぶのだからと、襟のボタンすらきちんと留めていなかったようだ。


「……まったく」


 この様子では、他になにがあったか知れたものじゃない。

 どうせならすべての着衣を整えた方がいいだろう。


 ため息まじりに襟元に手をやったそのとき、開いた胸元から白い肌が覗いた。


(──白い?)


 ぴくっ、と手が止まる。まばたきをして、じっと胸元に視線を投げる。

 肌はやはり白いが、奥の方は影になってよく見えなかった。だが。


 おれは深呼吸をして、若いサトウ・タナカに心の中で詫びた。

 そして二つほどボタンを開け、ゆっくりとあわせを開く。


「……馬鹿な」



 息を呑む。現れたのは、傷一つないきれいな胸。




 それはつまり──ということを示していた。




 

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