03-01 サトウ・タナカ

 冬の底より冷え切った安置室で、おれはその遺体と向き合った。


 夜明け前、隠すように運び込まれた小さな身体。

 細い手足、白い頬、長いまつげに整ったくちびる。

 死してなおはっきりとわかる。美しい少女だった。


 顔立ちももちろんだが、肌もきれいで髪はさらさらに手入れされているし、爪も桜色に光っている。

 痩せてこそいるが栄養状態は良さそうで、どうも病死という感じではなかった。


 だが特筆すべきはその身なりだ。


 死装束として着せ付けられた白いドレスは彼女によく似合っている。おそらくは手編みらしい、繊細で凝ったレースと胸元の青いリボンが鮮やかだ。

 しかも驚くべきことに、ドレスの布地は本物の絹だった。


 とんでもない良家のご令嬢。

 そう言われても手放しで信じるだろう。

 火葬をはじめて十年間、こんな遺体ははじめてだった。

 あまりにも、火葬場には似つかわしくない。


 火葬許可証に目をやる。一枚きりの物理ペーパー、かつアイズ・オンリー。

 内容のメモや複製は厳禁、火葬が終わり次第すぐに処分すること。


 ずいぶん厳重だが、珍しいことでもない。

 このご時世、火葬なんてのは外聞が悪い。良家のご令嬢ならなおさらだ。

 外部に漏れる可能性は少しでも低いほうがいいはずだ。


 今回も、言葉を濁してはいたものの、これだけ『ちゃんとした』ご遺体だ。

 財務省関連の人間からの紹介というのも考えると、おおかたまた、人目を気にして書類を処分させるクチだろう。


 遺体を持ち込んだ依頼者たちの様子を思い出した。

 男ひとりと女ふたり。いかにも『お付きの人』といった風情の彼らは、最初おれの名を見て驚いたようだった。


 だがおれを知っている人間など珍しくもなんともない。

 ためらいがちな視線を投げかけられても丁重に無視していると、彼らはすぐに火葬の話をはじめた。


 いわく、生前に強く火葬を希望していた。

 どうかくれぐれも、良く焼いてやってほしい。

 とにかくしっかりと、あの子のためにもすべてを焼き尽くしてあげてほしい。

 たった一つの、最期のお願いだったから。


 そう涙する彼らから、おれは彼女を受け取った。


 死化粧や身なりの整えは必要ない、棺からも出さなくていいと言われていた。

 しかし、はいそうですかと焼くのも信念に反する。


 おれが遺体を焼くのは遺族のためじゃない。死者のためだ。

 透明窓から見た顔だけでは、葬送はできない。


 安置台に横たわった少女の姿を、ざっと確認する。

 ここに持ち込まれるまでにずいぶんと待たされたらしい。小さな身体はエンバーミングを受けていた。


 だが、そのエンバーミングがどうにも引っかかる。


(いやに雑だな)


 表面に噴射するナノマシンにはむらがあるし、こんなに厚く吹き付ける必要もない。おかげで肌に妙な艶感が出ている。


 厚みとむらのせいでナノマシン同士の結合が悪く、施術から一ヶ月経過したのも手伝って、コーティングが弱ってしまっていた。


 それに皮膚の色を見る限り、血管中の防腐液は複数メーカーのものがブレンドされている。


 肌色調整にしたって、せめて同一メーカーで済ませるべきだろう。

 おかしな凝固反応が出たらどうするつもりだったのか。


 急な死で慌てていたにしたって、いくらなんでもいい加減すぎる。エンバーマーは誰だ。


 苛立ち混じりに確認するも、施術者はまったく知らない名だった。


 どうやら相当立て込んでいたらしい。門外漢の医師がとりあえずの知識で不慣れなエンバーミングをかけた、といったところか。ひどい話だ。


 書類を見やる。故人の名はサトウ・タナカ。変わった名前だ。

 この文化圏ではあまり見かけない姓名の上、どちらが名字だか名前だか判別がつかない。


(どうも、イレギュラーが多いな)


 見下ろした書類にどことなく違和感を覚える。


 その奥に、ピントのずれた少女の姿。美しい死に顔にそっと焦点をあわせると、長いまつげが見えた。


 ひんやりした頬に影を落としているそれに目が留まる。おや、と思った。


 濡れたような艶と、独特の毛色のニュアンス。おそらくはアートテック社製だ。


(……こんな子供がアートテック?)


 しかもこの毛色、たしか虹彩とセット売りで受注生産の限定品だったはずだ。


 澄んだ青色から淡い金色にかけてのグラデーションアイで、アートテックの中でも最高級のライン。

 さらに受注は優良客のみときていて、滅多に手に入らないシロモノだ。


 アートテック、グラデーションアイ、希少極まりない限定品。


 どれもこれも、子供の小遣いでぽんと買えるものではない。

 それが三拍子揃っている。おれはふたたび書類を見た。


 生体交換が趣味の若作りした大人かと思ったが、やはり違う。


 サトウ・タナカは享年十五歳だった。十五歳、という数字にかすかに眉根が寄る。雑念を追いやって生年月日を見ると、表情がふたたび歪んだ。


(誕生日の前日に死んだのか……)


 あと一日生きれば、十六歳になれたのに。だからなんだと言われればそれまでだが、かすかに胸が痛んだ。


 見下ろした遺体は痩せてはいたが綺麗だった。

 その姿が──ひとつの景色とかぶって見えた。



 灰色の小さな死体袋。

 透明なビニール窓から覗く、痩せた子供の白い顔。


 血の気の失せた頬は、小さな擦り傷にまみれていた。

 駆け寄ることも許されなかった。



「……」


 おれは静かに目を閉じて、光景を振り払う。


 子供の遺体は好きではない。それが火葬ならなおさらだ。



 なにせ──ここに来るということは、サトウ・タナカは決して幸福ではなかった、ということなのだから。


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