04-01 『魂』

 生体パーツ交換が当たり前の現代では、技術と資源がふんだんに注ぎ込まれた人体は貴重な財産だ。

 ほとんどの遺体は提供され、あまさず再利用される。


 しかしそれでは葬送が成り立たない。


 故人を偲ぶのに物理的な『象徴』はいまだ強烈な意味を持っており、人々は形見を必要としている。

 かつては骨などの部位を保存して死者を偲んでいたというが、今はそういうわけにもいかない。


 一方で、脳以外の生体パーツをカジュアルに乗り換えられる現代では、人間のアイデンティティを交換可能な肉体に宿らせることに、もはや無理が生じてきた。


 私を私たらしめる自己同一性を、『この肉体が存続しているから私は私である』という理屈に依存できなくなったのだ。


 そこで導入されたのが『魂』と呼ばれる無機パーツだった。


『魂』は乳児のうちに心臓の脇に埋め込まれる。

 機能らしき機能を一つたりとも持たない、持たせることを禁じられている、本当にただ〝ある〟だけの物質だ。


 なんの役割も持たないが『魂』の摘出や交換は重罪とされており、一度埋め込まれた『魂』は持ち主が死ぬまで共にあるものとなる。


 もちろん生体パーツ交換手術の際も『魂』は厳重に保護され、心臓外科医でもなければ外殻に触れることすら許されない。


 その『魂』が、私を私たらしめる根拠となっているのだ。

 肉体は交換可能だが、心臓のとなりに同一の『魂』がある限り、私は私である、と。


 そして『私』を『私』と定めるためのたった一つのよすがである『魂』は、持ち主が死ぬと今度は遺された者たちの拠り所となる。


 墓を建て『魂』をおさめ、自宅には『魂』の刻印番号を記録してそこへ祈る。


 たしかに『魂』は物理的になんの機能も持たないが、現代を生きる人の心にとっては、非情に重要な意味を持つのだった。


 その『魂』は、死後の摘出が義務となっている。


 材質が頑丈すぎて、再利用の際に邪魔になるのだ。

 火葬場や一部のゴミ処理場の炎ほどの設備ならば焼き尽くすこともできるだろうが、翻して言えば損壊させる手段はそれくらいである。


 それに『魂』はその人物が死んだことを証明するものでもある。


『魂』は生体外殻に覆われており、生前は中を確認してはならない。

 死後判明する『魂』の刻印番号を生前のIDに紐付けすることで、死者ははじめて死者として登録される。


 だから、サトウ・タナカの遺体は『魂』の摘出を避けては通れないはずだった──普通ならば。



 だがこの遺体には傷跡がない。

『魂』を取り出した痕跡が、どこにもないのだ。



 おれはかすかにためらうと、彼女の身体を抱き起こした。

 もう一度、今度は口に出して詫びる。そして衣服をすべて取り去ると、彼女の肌を確認した。


 傷は──なかった。


 目を皿のようにして、表も裏もごろりとひっくり返して、指先でも触れて探した。


 だが見つかるのはせいぜい、ごくありふれた、若者らしい生体パーツ交換の痕跡くらいだった。死後の傷はひとつもない。


(どういうことだ)


 痩せた遺体にドレスを着せ付けながら、考える。


 現代の技術なら、適切な処置さえすれば生前の傷はほとんど残らない。


 多少の痕跡は残るものの、どんなに深い傷でも半年ほどすれば医療技術と自己再生能力の合わせ技で傷跡は消えてしまう。


 だが死者には自分を再生する能力はない。

 どんなに精巧に整えたとしても、それなりの痕跡が残るはずなのだ。


 いちおう金持ちの間では、死者の尊厳のために摘出の傷を小さくしてやりたい、という要望がなくはない。


 だがこの少女は〝火葬場送り〟だ。

 あくまでも本人希望の火葬とはいえ、とっくに死んだ人間の、見えない傷を厭うほど、この少女は大切にされていたのだろうか。

 リボンの長さも、襟のボタンすらも頓着しないのに?


(いや──そうではなく──)


 そもそもがそんな次元ではないのだ。

 傷を小さくする、とかいう問題ではない。傷は『ない』のだ。どこにも。


 おれは嫌な鼓動を立てる心臓をなだめながら、少女の身体にドレスを丁寧に着せていった。袖から腕を引っ張り出しながら、考える。


『よく焼いてやってください』


『くれぐれもお願いします』


『しっかり焼き尽くしてあげてください』


 思えば不自然きわまりないオーダーだった。

 もしかするとあれは故人の遺志を守るためではなく、もっと違う〝なにか〟を隠すため、ではないだろうか。


(それに……)


 今になっておれはようやく思い至る。

 あの依頼人たちは〝不自然〟だったのだ。


 沈痛な面持ちで遺体を運び込み、どうかこの子をお願いしますと涙した。

 真っ赤な目元と握りしめたハンカチ。彼女のためにという言葉。


 あの悲嘆に暮れた様子は、火葬場こんなところで見るものじゃない。

 もっとまっとうな葬送の場で見るべきものだ。


 火葬場では、嘆きも涙も苦しみも、いつだって死者のためじゃない。

 彼らがこぼすのは愛を拒否され、一方的に〝こちら側〟に遺された、依頼人自身のための涙でしかないのだから。


 遺体にドレスを着せ終えて、あとはリボンを結ぶばかりになった。

 そっと彼女を台に下ろす。後頭部がこつりと小さな音を立てた。


 リボンを手に取ろうとして、だがなにかが気にかかる。


 おれはリボンの脇に置いてあった書類をもう一度まじまじと見た。

 なんとなく引っかかる。


(そうだ、見覚えがあるんだ)


 死亡者IDは二十九字。普通に考えたら見覚えなどあるはずがない。


 だが、おれの記憶はかすかに警告を鳴らしていた。なんとなくだが、文字列の形、全体のシルエットに覚えがある。

 気のせいかも知れない。だが、そうではないかもしれない。


 おれはリボンを取らずにデバイスに手をやった。ログインしてデータを呼び出す。


 該当のデータが物理ペーパーでなおかつ〝処分〟を頼まれていたら終わりだったが、幸いにして──これが幸いと言っていいのかは甚だ疑問だが──そうではなかった。


「……あった」


 つい先日、焼いた遺体。

 二本の傘と共にやってきて、傘が乾く頃に帰った夫婦。


 その父親である老父のIDと、サトウ・タナカのIDは──まったくの同一だった。


「……」


 くらっ、とした。ただのミスだと思いたかった。

 だがその可能性は限りなく低い。

 目眩のような、足元がぐらつく感覚。尋常な事態ではなかった。


 おれは台に手をつくと、細く小さな遺体を見つめた。


 冷え切った部屋の中、彼女は青白く、痩せた、美しい子供で、後ろ暗い陰謀の気配などひとつも感じられなかった。だが。


 不自然なオーダー。不自然な名前。

 傷のない胸。重複した死亡者ID。

 あきらかに──〝なにか〟ある。


 サトウ・タナカ。


 享年十五歳。


 死後一ヶ月ほど経過。誕生日の前日に自殺。


 身寄りはないが金はある。

 青から金に変わる、アートテックのグラデーションアイ。


 おれの知る彼女の情報はあまりにも少ない。




(この遺体に──なにがあるんだ?)





 

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