第2話

 あれからどのくらい経ったのだろうか。一週間、いや、そこまでは経ってないのかもしれない。あれほど五月蝿く感じたカモメの声も、今はどこか落ち着く。そんなことを考えながら、ミナトは無限に続く海を見つめていた。

「よう、船旅には慣れたか?」

 そんな彼の背後から男が気さくに話しかけた。

「……イザナギさん」

「海を見つめるの好きだねぇ。さっきからずっとここにいるじゃない」

「好きではありませんよ。ただ、何も考えたくないだけです。この、何も無い海原を見つめることで」

「ヘぇ〜、そりゃ結構。だが、その世界とももうそろそろお別れだ」

 イザナギはミナトの隣に立ち、遠くを見つめた。その視線の先にうっすらと陸が見えてきた。

「ほれ、あれが俺たちの国の玄関口、新美にいみだ。ようやく船から降りられるな」

「……そうですね」

「おいおい、もっと軽く接してくれていいんだよ? まだ緊張してるのかい?」

 そっけない態度を取るミナトの肩をイザナギは笑いながら強く叩いた。

「緊張は最初からしてませんよ」

「そう? ならいいや。それはともかく、そろそろ降りる準備、やっておけよ」

 イザナギはミナトに背を向け、反対側にいる仲間のところへ歩き出した。

「……あ、それと──」

 イザナギは何か思い出したように足を止め、振り返った。

「お前と一緒にいた嬢ちゃん、ちゃんと隣にいてやれよ。今はあんな感じだが、いつ壊れるか分からないからな」

 彼は真っ直ぐにミナトの瞳に語りかけた。その言葉に応えるように、ミナトは小さく頷いた。

 

「あっ、ミナトいた! おーい!」

 港に降りたクシナダは荷下ろしの手伝いをしているミナトの元に駆け寄った。

「やぁクシナダ、調子はどう?」

「おかげさまでね。ミナトこそ、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃなかったら手伝いなんかしてないよ」

「そっか、そうだよね!」

 作業をするミナトの横でクシナダは全力で笑った。それを見たミナトも、なんとか笑顔を作って見せた。そんな二人をイザナギは後ろから見つめていた。三回ほど頭を掻きむしった後、彼は二人に近づいた。

「よぉ、お二人さん。船旅はどうだったかい?」

「イザナギさん。はい、ありがとうございました」

 軽く話しかけるイザナギにクシナダは笑顔で対応した。

「荷下ろしを手伝ってくれているところ申し訳ないけど、今からお前たち二人は俺と一緒に都に向かってもらうけど、いいかい?」

「今から、ですか?」

 クシナダの問いかけにイザナギは軽く頷く。

「俺の嫁さんからお前たちを早く連れてくるようにって言われてんのよ。あいつ鬼嫁だから、怒らせたくないんだよねぇ……」

 イザナギは苦笑いをした後、首をガクッと落とした。

(その人、どれだけ怖いんだろう……)

 クシナダは不安を抱いた。連れてくるようにと言われているということは、ほぼ確定でその鬼嫁と対峙することになるからだ。

「……ねぇ、大丈夫かな? 少し怖いんだけど……」

「大丈夫、食べられたりはしないと思うよ」

「ふふっ、なにそれ」

 返ってきたミナトの回答は、不安を抱いていたクシナダの表情を軽くした。

 しばらくすると、三人の元に一台の牛車が到着した。

「ほれ、乗った乗った」

 イザナギは二人の背中を強く押した。その勢いのままに二人は荷台に乗り込み、イザナギもその向かいに乗った。彼が尻を軽く二回叩くと、牛はゆっくりと歩き出した。

 

「なぁ、お前らってさ、付き合ってんの?」

「えっ⁈」

 道中、ずっと空を見上げていたイザナギの突然の質問に、クシナダは思わず声を上げた。

「つつつ付き合っているというのは、だだだ男女のかかか関係という意味でででですか?」

「そりゃもちろん」

「クシナダ、落ち着いて」

 明らかに動揺しているクシナダを見て、ミナトは彼女の右肩を必死に揺らした。

「で? 付き合ってんの?」

 クシナダが頬を赤くし俯くその横で、ミナトは首を傾げた。

「その付き合うっていうのは、どういう意味ですか?」

「さっき嬢ちゃんが言ってたろ。男女の関係だよ。お前らの間に恋愛感情はあんのかって意味だ」

「その“恋愛“って、何ですか?」

 純粋に聞き返すミナトに、イザナギは「マジか」と声を漏らした。

「あのー……」

 その会話を聞いていたクシナダはゆっくりと顔を上げた。

「実は、ミナトにはまだ恋愛を教えてないんですよ」

「教えてない?」

「ミナトは最初、全く言葉が喋れなかったんです。私が少しずつ教えていったんですけど、恋愛とかそっち系の言葉はどうも……」

 自分で話しながらクシナダの頬は再度熱を帯びていった。

「へぇ〜、なるほどねぇ」

 一度頷いた後、イザナギは軽く口角を上げながら上体をミナトへと近付けた。

「お前は、嬢ちゃんのことが大切か?」

「もちろん、そうですけど」

「どのくらい?」

「何にも代え難いくらい」

「……だとよ、嬢ちゃん」

 ミナトの純粋な返答を聞いていたクシナダは、両手で顔を覆いながら俯いていた。その様子を見て、イザナギはヘラヘラと笑っていた。

「いいねぇ、青春だねぇ」

 イザナギは再度、空を見上げた。雲一つない晴天を飛ぶ二羽の鳥を、彼は見つめていた。

 

 新美から都までは半日程度で辿り着いた。大きな門が開かれると、一本の道を沢山の平屋が挟んでいた。様々な声と人が行き交う道をただまっすぐ進むと、大きな橋の前で牛車は止まった。

「着いたぞ。ここが我が国“大和”の中心、宮原みやはらだ」

 ここで三人は牛車を降り、イザナギを先頭に歩き出した。

 橋を渡り終わると、先程までの街並みとは一変し、敷地内は林とも言えそうなほど木が生えていた。その神聖な雰囲気に圧倒されながらも、二人はイザナギの後を静かに追った。

 少し歩くと、三人は大きな階段の前に着いた。それを登り終えると、目の前に大きな建物が聳え立っていた。

「ここが本宮だ。行くぞ」

 そう言ってイザナギは足を動かし、建物の中へと入っていった。その様子はどこか緊張しているようにミナトには見えた。

「そういえば、イザナギさんの奥さんって“鬼嫁”なんだっけ」

 歩きながら、クシナダはミナトに囁いた。

「うん、たしかそうだったね」

「大丈夫かなぁ。やっぱり怖いよ」

「大丈夫、多分食べられるとしたらイザナギさんだ」

「それ余計に怖いよ⁈」

「……おい」

「はいぃっ!」

 イザナギの呼びかけにクシナダは肩を跳ね上げた。いつのまにか、三人はとある部屋の前にいた。

「二人とも、気引き締めろよ」

 イザナギはひきつった笑顔で言った。それに対し、二人も頑張って笑ってみせた。それを確認すると、イザナギは大きく息を吸った。

「よし、行くぞ」

 イザナギは部屋の襖に手をかけ、それを思いっきり開いた。


「よお、遅れてごめんなイザナミ」

 そう言って頭を掻くイザナギの視線の先には、静かに筆を走らせている女性がいた。紅白の着物を身に纏い、長い黒髪に金色の髪飾りを添えているその女性は、イザナギの顔を見てくすりと微笑んだ。

「別に怒ってはいないさ。謝るなよ、イザナギ」

 そう言うと、イザナミはゆっくりと立ち上がり、三人の前までゆったりと歩いた。

「はじめまして。私の名は伊邪那美命いざなみのみこと。イザナミと呼んでくれ」

「ど、どうも。櫛名田比売くしなだひめです」

天乃未奴人あまのみなとです」

 深々と頭を下げた二人にイザナミは優しく微笑んだ。

「そうかしこまらなくていい。確かに私は女帝で君たちより地位は高いが、そういうのはどうも苦手でな。楽にしてくれ」

 そう言いながら、彼女は右手で二枚の座布団に誘導した。

(あれ? 思ってたより怖くない?)

 クシナダは安堵しながら座り、それに釣られてミナトも腰を下ろした。イザナミとイザナギが二人の正面に座ると、隣の部屋から一人の少女が入ってきた。

(私と同じくらいの子……)

「あ、お茶でーす」

 そう言って四人の前に湯呑みを置き終えると、少女は足早に部屋を出ていった。

「さて、本題に入ろうか」

 お茶を一口味わったイザナミが、湯呑みを置きこう言った。

「君たちはあの島、西野芽島の生き残り、で合っているのか?」

「は、はい。そうです」

「その時、何が起きていたのか。分かるか?」

 優しい口調ではあったが、イザナミの瞳は重く二人を見つめていた。その視線に縛られたようにクシナダの唇は開かなかった。

「正直、何が起きたのかは分かりません」

 息が止まっていたクシナダの隣で、少年は真っ直ぐに答えた。

「分からない? 何故だ」

「あの時、僕たち二人は村から離れた森の中にいました」

「何故森の中に?」

「木の実や山菜を採るためです。かなり遠くまで歩くので、村の中でも特に若い僕ら二人が担当していました」

「成程な。では──」

 同じような問答が繰り返され、その全てをミナトが答えた。クシナダは彼の隣で時々頷くだけだった。ある程度の質問を終えると、イザナミはゆっくりと湯呑みを口に当て、それを置くと同時にくすりと笑った。

「君たちを我々の仲間として迎えよう。これから宜しくな」

 そう言って彼女は右手を差し出した。先ほどまでとは打って変わり、彼女の瞳は温かかった。その目線でクシナダの緊張は一気にほぐれ、二人は柔らかめな握手を交わした。

「さて、今日から君たちは宮原ここに住むわけだが、もちろんタダではない。“働かざる者食うべからず”だ。君たちにはそれぞれ仕事を与える」

 そう言うと、イザナミは手を二回鳴らした。すると、外から先ほどお茶を持ってきた少女が入ってきた。

「クシナダ。君は彼女、天細女命アメノウズメと共に働いてもらう。仕事内容は彼女から聞いてくれ」

 そうイザナミが言うと、アメノウズメはクシナダの両手をがっしりと掴んだ。

「え、えっと、あの……」

「そういうことだから、よろぴっ!」

「よ、よろぴ?」

 謎の挨拶を交わすと同時に、クシナダはアメノウズメに引っ張られながら部屋を出ていった。

「さて、君にも仕事を与えねばな。……となると──」

 イザナミが彼に目線を向けると、「分かっているよな?」と言わんばかりの笑顔を見せた。その顔を見て、イザナギは頭を掻きむしった。

「わーったよ。俺が面倒を見る、それでいいか?」

「あぁ、頼んだ」

 イザナギは席を立ち上がると、ミナトの後ろに立ち彼の頭に手を置いた。

「来い、少年。仕事場に案内してやるよ」

「は、はい」

 やれやれ、と溜め息を吐きながら部屋を出ていくイザナギの後をミナトは慌てて追いかけた。

「あ、ミナト。少し待ってくれるか?」

 部屋を出ようとした彼に、イザナミは声をかけた。

「君は、何かを隠しているだろう?」

 その言葉に少年は驚愕した。その様子を見て、イザナミは優しく微笑んだ。

「ただ、君は私たちに敵意があるわけじゃない。恐らく、君自身にもまだ理解できていない事があるのだろう。我々が惑わぬよう、嘘を交えた真実を言っていたな?」

 彼女は全てを見透かしていた。ミナトが小さく頷くと、イザナミは嬉しそうに笑った。

「そうか、なら君は信頼できる。それに、西野芽島については我々は今後も調査を続けるつもりだ。もちろん、君にも協力してもらうがな」

 ミナトが会釈で返すと、イザナミは後ろにいるイザナギに目線で指示を送った。

「ほれ、行くぞ少年」

 イザナギがそう声を掛け、二人は廊下を歩いていった。

 

 それから数分間、イザナミは天井を見上げていた。

(櫛名田比売。彼女は至って普通の少女だ。天細女命とは息は合うだろう。恐らく、とも。ただ……)

 顎を上げたまま、彼女は息を大きく吐いた。

(天乃未奴人。彼に敵意が無いのは本当だ。しかし、彼が隠している事とは何だ? 何か、巨大なものを隠しているのは分かるのだが。もし、我々の想像が及ばぬものだったら……)

「……これは、面白くなるな」

 

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八岐大蛇 紅柚子葉 @yuzuhakurenai_77

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