第41話 2021年7月9日(金) 覚悟の質問

私は深く息を吸い込んだ後、今回の病院付き添いのもう一つの目的について確認した。


「先生、一つお伺いしたいことがあります」

「はい、何でしょうか?」


「間質性肺炎は、現在では病状を抑えることはできても治癒することがほぼ不可能な病気だと知りました。そのことを踏まえてお伺いしたいのですが、生体肺移植の必要はありますか?」


間質性肺炎は難病であり、悪くなった肺の部分は治癒はしない。

そうなると肺の状態を治すためには、根本的に肺そのものを取り換えるしか方法がない。

つまりは臓器移植である。

間質性肺炎の治療法の一つとしていくつもの病院のWEBページで記載がされており、実例はいくつもある。

ただ、臓器移植には問題がいくつもあり、その中で最も大きなものは母の年齢だ。


これは臓器移植学会のガイドラインに記載されていることだが、母の年齢では、脳死患者のドナーから臓器を提供してもらい、それを移植してもらうことはできない。

母がガイドライン上、可能なパターンは3親等以内から提供される生体肺移植だ。

しかし、これも年齢制限があり適用対象は65歳までとなっている。

今年の6月で64歳になった母は、年齢的にもギリギリなのだ。

だからここで医者に話ておく必要があった。

いざというときに行動できるように。


3親等という条件から考えると現実的には、提供者は私と妹二人になる。

生体肺移植では、二人分の片側の肺の4分の1を切り取り、それを移植する。

だから私一人がいくら覚悟したところで妹のどちらかに同意をしてもらわないと対応は不可能である。

また、この分の肺を切除しても、これまでの生活を送るのに支障はないそうだが、移植された臓器は当然再生することはない。

それを考えると母の性格上、そのまま提案しても子供の身体にダメージを与える臓器移植を受けたくないと判断するだろう。

そして移植手術が成功したとしても、その後は生涯、移植された臓器の免疫反応と付き合うことは避けられない。

投薬や食事制限、体力低下といった制約がずっとついて回る。

その意思を覆すためには、手を考える必要がある。


他にも移植手術を受けるとなると、大手術になるため地元の病院ではできず、大きな病院に長期間入院することになり、移植する側される側のスケジュール調整も必須になる。


いずれにせよ移植が必要な状況であれば、妹への説明と同意、母の説得、スケジュールの調整等の問題が出てくる。

準備のために時間が必須なのだ。


そんなことを考えていた私とは対照的に、医師は苦笑いの表情になった。


「現段階ではその必要はないと思います」


その言葉を聞いて少し安心している自分がいた。

今日の検査の結果を見ての判断だろう。

呼吸器系の専門医ならば私の知っていることくらいは当然承知しているはずだ。

肺移植の一年後生存率は80%程度。

重症化して一刻を争うのであれば賭けに値する確率であるが、今の投薬の必要のない状況からすれば20%で最悪のケースがある挑戦をするのはリスクの方が圧倒的に大きいと考えたのだろう。


「わかりました。心配だったので質問させていただきました。ありがとうございます」


私は今回の医師の判断に素直に従うことにした。

現況を考えると、この医師への印象を悪くしたくない。

今後、もしも母の状況が変わって本当に移植が必要になった場合は、この医師からの紹介状が欠かせない。

病院の臓器移植に関する記事を調べていると親族間の移植については、親族間にプレッシャーを与えて問題になってしまうこともあるため、医師からは治療法として積極的に提案しない場合もあるらしい。

ただ、今回、私から医師にその話をしたことで、移植が必要になった場合でも医師から提案しやすい環境にはなったはずだ。

そうであれば、今回の付き添いの成果としては十分だ。


私がもう一度医師と研修医に向かってお礼を言って診察室を出ると、母は病室の向かい側にあるベンチに座っていた。

会計がすぐに終わったので私が出てくるのを待っていたのだ。


「先生と何を話したの?」

「生活で注意しないといけないことはないか聞いてた」


移植のことは現段階では私の心にだけとどめておけば良い。

正直に全てを話しても良いことは何もない。


緊張が解けたためか私はどこかでゆっくりコーヒーを飲みたい気分になった。



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アラフォー独身ヲタリーマンの日記 ~ 婚活と難病の母 ~ @kinozuka_noya

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