地図と錬金術の魔女と橋男 千三百二十三話

 地平線まで人が横になって並んでいる。

 人、人、人。

 地を人と言う人で埋め尽くし、山を人と言う人で埋め尽くし、視界を人と言う人で埋め尽くしていた。

 姿は老若男女様々で、服も来たり着なかったりだった。規則正しい感覚で寝転がっている姿はまさに異様だろう。いびきや、うめき声のつぶやきが点在し、この量ともなれば騒音ともなっていた。悪夢は悪夢だが、屍の国のではそこまで珍しい景色ではなかった。ただ現実感がなさ過ぎて、おそらく屍の国以外の人にはしっくりとした描写説明は無理だろう。

 人々の間隔はブロック状に固まって集まっており、移動のための道を少しだけあけてある。

 さながらそれは畔道のようだ。ならば人が固まっているのは畑か。

 橋男はそんな道を進んでいた。

 目の焦点が定まっておらず、顔もただれていた。肉は削げ落ち、骨がところどころ見えていた。足取りもおぼつかなく、倒れていないのが不思議な姿だった。

 いくら進んでも、人々の顔が変わるだけで風景は変わらない。実際に日が暮れてきてて、人々を朱色に染めた後、闇に飲み込んでいく。でも大丈夫、この畑のような場所にはガス灯が点在しており、夜道を歩く手助けをしてくれる。いや、実際はガスではなく妖精結晶による炎を使った灯りだった。そのため腐臭につられてきた虫たちが集まってくることはないのだとか。なんでも虫たちを誘導する効果があり、それはそれで虫の道が出来ているので、遠くから見ればさながらそれは黒い竜にも見え、黒い竜巻のようにも見えた。

 

 ここまで来るのに百年近くかかった。

 長かったと橋男は残った意識で考える。推定で六百年ほど生きてきたはずだが、本当に密度の高い百年だった。

 ふと畦道の正面から影が近づいてくるのがわかる。昔ながらのとんがり帽子の黒衣。妖精灯の光によって素顔が見え、予想通り魔女だとわかる。

 そして赤ん坊を抱いている。

「見回りは順調かい?」

 橋男は答えない。何か言おうとしたが、上唇と下唇がくっついていた、うまく発声できなかった。

 「実行は数か月単位で行う。だからまだ終わったわけではない。気を抜かないほうがいい」

 魔女は橋男が答えなくても言葉をつづけた。

「ただ何事にも休息は必要だ。少し言ったところに広場があるからちょっと話そうか」

 二人は言ったとおりに場所を移動する。

 確かに四角く切り取ったように人がいない場所があり、妖精灯が一つとベンチが一つあった。二人はそこへ並んで座り、景色を見つめる。

 魔女は人の群れを見つめて話し始めた。

「不死の病は肉体と魂と世界の三つに染みついていて容易にはとれない。だから別の世界に転生を行い、今の肉体を捨て輪廻の輪によって魂を研磨することによって死を迎えられる。転生は何度も行わなくても、不死の病がない世界で六十年ほど生きれば浄化できるはずだ。それがわかるのに三十年かかった。そして魂を別世界まで飛ばす手段が必要だ。それ相当の魔女を見つければいい、と言えば簡単だが、これまでの道のりを振り返ると決して楽ではなかった。複数ある魔女監獄を襲い、警部兵や軍と戦闘になったし、または脱獄させた魔女が、世界を滅ぼそうとしたりもした。山の中に魔女が隠れ住んでいると言われれば西へ行き、海上都市を魔女が支配していると聞けば南へ行き……最終的には親によって肥溜めに捨てられていたこの子――『箱舟と魂の魔女』をようやく見つけたわけだが。そして私こと『地図と錬金術の魔女』の範囲指定の能力により、この子の力を屍の国の民のみに作用するようにして、皆を転生させる。ということだな。屍の民の同意は九割ほど得ているが、残りの一割は転生を拒否する者がいるので、そのための力のいきわたり具合の調整。後でやっぱり死にたくなったという人たちのための、引き継ぎ。それもかなり時間がかかった……正直しんどい……とか漏らしたら、優しい一部の屍の民がこうやって集まって効率よく転生できる並びになってくれたというわけだ。正直来る前は民度が最悪の国だと思っていたが、こうしてみると、なかなかの国民性なんじゃないかな、と思うのは我ながらかなり麻痺してる気がする。まあ、慣れ親しんだ場所で死にたいという意見も無視できないので、皆が皆ここへ集まっているわけではないが。そしてこの集団転生を行うのを反対している国々の相手だ。理由は屍の国の屍材ならぬ人材を利用している国は多く、それが突然亡くなるというのは、非常に困るというものだ。先月もまた、梔子くちなしの国が攻めてきて、大規模な衝突があった。今は耐えしのいでいるが、時間の問題なので、早いところ集団転生にとりかかったほうがいい。

「何? 『すみません物覚えが悪い僕のために何度も説明していただいて』だって? ……かまわないよ。私と君の仲じゃないか。

「そういえばひどい顔だね。無理もない、先日の魔女との戦いによって、人の体を保っていることがかなり困難になっている」

「ただ……」

 橋男が声を出した。すべての臓器から絞り出したような声だ。

 魔女は目を見開いた。

「かまわない。ゆっくり話してくれ」

「僕自身は……変わっていない気がします。変わろうとすると……大抵頭がつぶれるような刺激を受けて……記憶を落としてしまいます。妖精結晶にある程度記憶は保管していますが……再生してもやっぱり他人事のような……感覚がいつも付きまとうんです。不変こそが……不死の病の本質とは本当の事のようです」

「それももう終わりだ。君は変われる」

「でも……怖いです」

「怖い? 海底の船を調べるために魔の深海に錨で沈んでいったり、不死者を家畜とする人食い鷲の巣で数年暮らして戻ってきたり、最強の魔女と言われる『魔女と人の魔女』相手にひるまなかった君が何を恐れる必要がある」

「本当に……長い時間変わらなかったのに……今更変わるというのが……怖いです……生きるということが……きっと感情の起伏も大きくなり……些細なことで感動したり……傷ついたりすることになると思います……もしかしたら幸せになるかも……幸せになるかもしれないんですよ……転生先は比較的平和な世界になるように選んだと聞いています……そんな世界で僕が幸せになっていいんでしょうか……いえ、だったらならなければいいと思うんですが……もしかしたら何かの間違いでなるかも……これまで必要とあれば何人も殺しました……他国の人から見れば信じられない冒涜的なこともしました……それに罪悪感を感じたことはありません……でもそれもこのでたらめな世界だからこそでした……そんな僕が……ちょっとでも幸せになりたいと思ってしまったことが……怖いんです……」

「……なるほどね。ただ身もふたもないことを言わせてもらえるなら……昔絶対当たる占い師に占ってもらったことがあるんだ。魔女の私が言うんだから本当に絶対当たる占い師だ。その占い師が言うにはな、私の前世は、凄い悪人だったそうだ。今でもかなりだが、それと比べようがないほどの極悪人だ。それを聞いて私は思ったね。すごくどうでもいいって」

「……」

「いやまあ実際に前世があっても前世の罪だとか業だとか、気にしたい人だけ気にすればいいんじゃないかなって思うよ。否定しないし、時と場合に夜が出来る限りは尊重しよう。でも私はどうでもいいかなって。これから転生する先だって、記憶の残り具合は様々になると思う。最初から覚えている場合と、途中で思い出す場合と、忘れてしまう場合。忘れたらほぼなかったことになると言っていいんだから、覚えていても事実上一緒じゃないかな。……と言葉を積み立てても言い訳じみたものになっているかもしれないね。……それでも」

「……」

「もう答える器官も崩壊しかかってるか……でも聴覚器官はまだ残っているね。じゃあ最後に聞いてくれ。君は長い時を経て、不変を拒否する選択を取った。私はその道は行かないが、その選択を取ったことは同じ時間を過ごした者として祝福をしよう。ただね。

 戻ってきたくなったらいつでもおいで。今まであれだけのことをやったんだ、いかなる不道徳もいかなる倫理の外れた行為もいかなる非論理的で矛盾した行為もいかなる恥知らずな行為も肯定しあって来た。戻って来た時には私の隣には誰かいるかもしれないが、君を拒否することはない。私は地図の魔女だ。君の道しるべとして残っておこう。私は錬金術の魔女だ。間違っていた道を行くことは決して無駄ではないと言える。まあそれでも」

 橋男の体が崩れ、魔女に倒れ掛かるような形となった。彼女は気に続ける。

「確かに君は幸せにはなってはいけない人間だ。だが幸せになりたまえ」

 そろそろかと魔女はつぶやき、畑を見ると人々が淡い輝きを発し始めた。

 光は肉体を脱し、空へと登っていく。薄くかかった霧に滲むように光は次々と飛びたち、やがて星と同化するように消えていった。

 一時的に昼と間違えるほどの明るさになり、その後また夜の暗さを取り戻した。


 ――おやすみなさい


 そう誰かがつぶやいた。

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地図と錬金術の魔女と橋男、あるいは僕たちのエンドロール 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa

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