色留袖と、カーヌーン
増田朋美
色留袖と、カーヌーン
色留袖と、カーヌーン
今年は梅雨に入ったのが早くて、もうじめじめして、雨ばかり降っている日が続いていた。梅雨寒というのか、寒い日が続いて、なかなか洗濯物が乾かない日ばかりの季節だった。
杉ちゃんと、蘭は、着物の帯を入手するために、カールさんの店を訪れた。ドアをあけて、コシチャイムがカランコロンとなった。こんにちは、といいながら杉ちゃんたちが店に入ると、売り台の前に一人の女性がいて、店の店主のカールさんとなにか話しているのが見えた。
「だから、お母さまでしたら、黒留め袖を着るのが通例で、色留め袖は、いとこさんとか、直接血縁のない、親戚の方が結婚した場合に使うんです。お母さまが、色留め袖をきて結婚式に出るという例は全く見たことがありません。もう少し、考え直していただけないでしょうか!」
と、カールさんが、客の女性にそういっている。
「どうしたの、カールさん。」
と、杉ちゃんが聞くと、
「いやね、この人ったら、娘さんの結婚式に色留め袖を着るといって聞かないんだ。本来色留め袖は、そういう時に着るもんじゃないよね。」
と、カールさんはいった。
「ああもちろんです。色留袖っていうもんは、いとこさんとか、またいとこさんみたいな、血縁関係のない親戚の結婚式に着用するもので、実の娘さんの結婚式という場合では着ませんね。お前さんは、お母さん何だから、黒留袖を買うんだな。たとえそれが、着物を必要としない結婚式であってもだ。」
杉ちゃんもそういうことを言った。すると女性は、こういうことを言うのである。
「そんな事、とっくに知ってます。私は、娘の事を娘と認めないから、黒留袖は着用しないんです。そりゃ、相手の男がまともな男だったら、私も認めますよ。ですが、今回はそういうことじゃありません。娘は、人生失敗したんだと思います。きっと、数年で終わって帰ってしまう事でしょう。そうなるから、今回の結婚式には、黒留袖を着て、祝ってあげようかという気持ちにはなれないんです。」
「とっくに知ってますって言いますけどね、お前さん。娘さんが一度は好きになって、愛しているって言う男でしょう。そういうことなら、ある程度覚悟はできていると思いますよ。それを承知で祝ってやるのが結婚っていうもんだろう?違うのかよ?」
杉ちゃんがそういうと、
「そうなんですが、うちの子は、絶対今回の結婚は成功しないと思うんです。絶対何か、間違いが出て、おわりになると、私ははっきり分かっているんですから。第一、男のほうがまともじゃないんですよ。そういう男と、結婚するなんて、うちの子もどうかしてる。それを私は何回も言いましたけれど、うちの子は聞いてくれないものですから。」
と、女性は答えた。
「そうだけどねえ、お前さん。娘さんだって、いつまでもお前さんの手元においておくわけじゃないんだよ。それに、娘さんだって、ひとりの人間だろ。親子関係は特別だって言うが、どんな奴でも、必ず新しい自分の世界に飛び込んでいくもんだろうが。それってさ、すごいことだと思わない?お前さんが一生懸命育てた娘さんが、新しい保護者のもとに巣立っていく。それはある意味、彫刻家が自分の作品を、どっかに置くのと同じようなもんだ。結婚式はその除幕式。それはとても、嬉しいことだと思うけど。お前さんは、嬉しくないのかい?そういう事。」
「嬉しくないどころか。喜んであげるような気持ちにもなれません。それに、あなたが子供は自分の作品であると言うのであれば、私は、娘をあんな男と一緒にさせるような、そんな風に育てた気持ちはありません。いわば、彫刻で言ったら、失敗作です。私が一生懸命育てて、手をかけて、その成果があんな男なんて。私は、腰が抜けた位驚きました。そんなわけで、私は、娘の結婚を祝ってあげられるような気持ちじゃないんです。」
「そうだけどねえ、でも、娘さんが娘さんなりに生きて、その成果としてその男を選んだとお前さんは言うが、その男とはどんな男なんだ。どっかの変なところから来たのかな?其れとも犯罪者とかそういうやつか?どうなんだ?言ってみな。」
杉ちゃんがそういうと、蘭はその女性の顔を見た。この女性、何日か前に、自分の家に刺青の依頼でやってきた女性とどこか似ているのだ。単に顔だけと言うわけではない。口調や、しぐさとか雰囲気が似ているのである。
「あの、失礼ですが。」
と蘭はその女性に声をかける。
「こんな事言って間違いだったら、申しわけないと思うんですけど、長岡由実さんと何か関係がありますか?」
長岡由実さんとは、蘭が背中をあずかった女性である。確か彼女の背中に、唐草文様を彫った覚えがある。
「長岡由実は私の娘です。私は、長岡由実の母で、長岡千歳です。あの、あなたは、由実とは、」
と女性が言いかけると、
「ええ、僕は、彼女の背中に唐草文様を彫りました。確か彼女、偶像崇拝が禁じられているとかで、中東に関係あるものが欲しいと、そういったものですから。僕は、刺青師の伊能蘭と申します。」
と、蘭は自己紹介した。杉ちゃんも、
「僕は、蘭の大親友の、影山杉三だ。商売は、和裁屋。よろしくね。」
と言うと、女性、つまり長岡千歳さんは、又変なものに出会ってしまったなという顔をした。
「由実さんが、背中に唐草文様を彫ったのも、お母さんから離れたくて、それを、自分だけでも意識しておきたいという理由からだったんです。由実さん、お母さんの事を沢山話してくださいました。お母さんはいい人だけど、一寸ばかりしんどいと。僕は、彼女が結婚すると言ったら、おめでとうよかったね、と言ってやりたいですが、お母さんはそういう気持ちになれないのですか?」
蘭が、そういうと、千歳さんは、
「ええ、なれるわけないじゃないですか。由実は、まだ、社会にでて間もないのに、そんな碌でもない男を選ぶなんて、こんな大きな間違い、私が是正しなくて、どうしたらいいんですか。考えてみれば、あなたたちがおかしいんです。由実の背中にそんな物を彫って、其れから由実の言動がおかしくなり始めたんですから。」
と言うのであった。
「そうでしょうか。」
と蘭は言った。
「由実さん、ただ、お母さんから自立したくて、それで僕のところに来たんだと思います。彼女は、きっとなにか、思いがあったんだと思うんです。刺青を彫るってのは、そのひとつをかなえてやる事ですから。」
「そうそう。人間ってどうしても、変えられないけど、その中で生きていかなきゃならないこともあるからな。それに耐えるために、神仏を彫ったりするんだ。」
杉ちゃんがそう付け加える。
「そんな事ありません。私は、娘に幸せになって欲しいんです。そのためには、結婚するんだったら、まともな人を選ばなければだめだと言っているんです。もし、娘がそういうことができないんだったら、親である私が、訂正するのは、いけないことなんですか?」
「ちょっと待って。その、まともでない男というのはどんな人物なんですかね。たとえば、何か普通の人とは違う特徴がありましたか?日本人というと、働きもので、家庭を養って、子供を作って、子孫を残して行くことが、理想的な日本人と言われるんでしょうが?」
と、カールさんが彼女に言った。
「もし、そうではない人であっても、それでその人は悪いと決めつけるのは、まずいと思いますよ。それはある意味、ここにいる杉ちゃんや蘭さんのような人達を差別している、いわばヘイトクライムとかそういう思想につながる事にもなるという事ではないですか?」
「ヘイトクライムと言うのなら、それでもいいです。ただ、私は、親として、娘に幸せになって欲しいんです。平凡であることが幸せなのは私も本当によく知っています。私、夫と離婚して、ひとりで娘を育ててきました。それで、娘には、学校の同級生にいじめられたり、学校の先生にも馬鹿にされたり、そういうことを、さんざんされてきて、本当にかわいそうなことをしてしまったと思っているんです。だから、まともな男性と結婚して欲しいと願うんです。それが、いけないことなんですか?これから、娘は私と同じことを繰り返すことになるなんて。そんな事、由実にさせたくないんです。させたくないんです。」
「いや、そういうことじゃなくてね。その男性がどんな人物なのかを、知りたいんだけどねえ、、、。」
と杉ちゃんが言うと、
「お店の方には大変申しわけないんですけど、、、。」
千歳さんは、一寸小さな声で言った。
「刺青師の先生にはもうご存じかもしれませんが、あの、由実が、中村櫻子という女性のもとに通うようになって、、、。」
「ええ、それはしっています。由実さん本人から聞きました。中村先生のところにカーヌーンという楽器を習いに行き始めたと彼女は嬉しそうに話していました。中村先生は、イスラム教の基づいて、女性たちに自立を促す事業をやっているのは、僕たちもしっています。イスラム教と言うと、わけの分からない宗教と言われる事が多いですが、世界的に信仰されている宗教でもあります。」
蘭は、千歳さんの話しにそう解説した。
「そこで出会ってしまったんです。その男は、中村さんの直近の手伝い人で、名前はアリーというペルシャの男でした。」
「はああ、なるほどね。つまりそのペルシャ人の男性が、由実さんに好意を抱いてくれたわけか。それで、由実さんももしかしたら、ペルシャに行きたいとでも言ったのか?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「そういうことじゃないんです。彼は、日本が好きで、日本に永住したいと言っているんです。でも、其れだって、果たして本当かどうか。そういう中東の人っていうのは、簡単に人を捨ててしまうと、聞いたことがあったので、、、。」
千歳さんは、小さい声で言った。
「まあねえ。そう見えるかもしれないけどさ。若いやつってのは、一度や二度は苦労したいと思う事もあるんだよ。だから、それでいいことにしてやろうよ。そうしてやろう。もし仮にそうなったとしてもそれは仕方ないことでさ。そういうときに人生は捨てたもんじゃないって、言ってやることも必要なんじゃないかな。」
杉ちゃんがそういうと、カールさんが複雑な顔をした。
「まあ確かにそうかもしれません。外国人というのは、あまり信用できるもんじゃないって、この店を開く前にいわれたことがありましたよ。でも、ねえ。いつまでも偏見が取れないでいるっていうのも、進歩が無いっていうか、そういう感じに見えなくもないけど、、、。」
「まあ、日本はほかの国に比べて、新しい物を受け入れる姿勢が苦手だと言うけれど、その変な名前の男に会ってみたいもんだな。どんな男なのかそっちの方が問題だと思う。そいつが何処から来た
とか、そういうことよりも。」
と、杉ちゃんが言った。蘭も、この時ばかりは杉ちゃんの言う通りにしたいと思った。おもえば、自分のところにやってきた時の彼女は、何だかもうどうしようもない絶望感に襲われているような、そんな感じの女性だった。自分の家は経済的には恵まれているが、自分の居場所が何処にもないと、涙をこぼして言っていた。表面的に言ったら、幸せな女性かもしれない。そういう悩みはぜいたくなのかもしれなかったけど、悩みというものは非常につらいものである。それを、男性と知り合うことで少し解決できたのなら、これほど嬉しい事は無いと蘭は思うのだ。蘭もある意味、千歳さんと同じような
不安もあった。
不意に、誰かのスマートフォンがなった。千歳さんのものであった。一寸いいですかと言って、彼女はスマートフォンを取る。ところが直ぐに千歳さんはえっと言って、どこの病院へとかそういう話を始めた。ということは、誰かが体調でも崩したのだろうか。杉ちゃんも蘭も心配そうな顔になった。
「どうしたんですか?」
と、蘭は千歳さんに聞いた。
「ええ。今、由実から連絡が入りましたが、なんでもアリーというひとが、脚立から落ちたとか、、、。」
「はあ、それでどうしたんだよ。」
と杉ちゃんがすぐ言うと、
「はい、頭を強く打って、今病院に。」
と千歳さんは言った。
「じゃあ、すぐ行ってあげよう。どこの病院に行ったんだ?彼女もひとりでは心細いだろ。」
杉ちゃんは、千歳さんの全身を一通り確認して、
「お前さん、これでよかったと思っているんじゃないだろうな。それは、人間を否定することになるから、それはいけないぜ。どんな奴でも、娘さんが愛している人なんだから、そいつに一大事があるんなら、すぐに行ってやるべきだと思うけどな。」
と一寸きつく言った。でも、千歳さんには、杉ちゃんの発言は届かないようだった。杉ちゃんのいう通り、これでよかったと言いたげな顔をしているのだ。
「僕が病院に行きます。いちおう、由実さんとは、面識もあるのですから、誰かがそばにいてやった方が良いと思います。」
蘭は、急いでタクシー会社に電話した。千歳さんは、まだ行きたくなさそうな顔をしていたが、
「お母さん、行ってやってください。」
とカールさんに言われて、仕方なく蘭が頼んだタクシーにのせて貰うように御願いした。アリーさんが運ばれた病院は、富士市内でも有名な富士整形外科だという。
「富士整形外科なら、ここからすぐ近くですね。おそらく10分程度で行けると思います。こういう時こそ、本当の事が試される時なのかもしれない。」
「ほんとだほんとだ。カールさんのいう通りだ。蘭、タクシーは直ぐくるって?」
杉ちゃんが聞くと同時に、店の前に大型のワゴン車、つまり障碍者用のジャンボタクシーが一台止まった。蘭と杉ちゃんは、カールさんに御礼を言って、運転手さんに手伝って貰いながらタクシーに乗りこむ。千歳さんは、御願いしますと言って、助手席に乗り込んだ。走りだすタクシーを、カールさんは、頑張れよという目つきで見送った。
富士整形外科は、すぐ近くだった。カールさんの言う通り、10分程度しか、かからなかった。杉ちゃんたちは、タクシーにお金を払うと、運転手に手伝って貰って下ろしてもらい、病院の入り口に突進した。そして、長岡由実という女性と、その夫で、外国人の男性が運ばれてこなかったかと聞くと、杉ちゃんたちは、手術室の前へ案内された。多分、緊急手術でもやっているのだろう。蘭が由実さんは何処かと聞くと、あまりに動乱しているので、別室で休ませていると看護師が言った。じゃあ、由実さんにあわせてくれ、と蘭が言うと、二人だけ来てくれという。そこで杉ちゃんはその場に残ることにし、蘭と、千歳さんだけ別室に行った。
蘭がその部屋の扉をノックすると、はい、という泣き声が聞こえてきた。蘭が自分の名前を名乗り、お母さんと一緒に来たといってドアを開けると、由実さんは、椅子に座っていた。隣には男性看護師が待機していた。
「由実さん、大丈夫ですか。」
蘭はとりあえず其れだけ言う。
「お母さん、アリーは、お母さんの部屋の窓を拭こうとして、梯子から落ちたのよ。」
泣きながら、由実さんはそう言った。
「前々から、お母さんの部屋の窓に鳥の糞があるので、不憫でしょうがないと言ってたのよ。其れなのに、お母さんがあんなこというから、、、。」
「分かりました。由実さん、落ち着きましょう。動転してしまう気持ちは分かりますが、幾ら騒いでも、世のなかが変わるわけでもないから。それは、覚えておいてください。」
蘭は、由実さんのそばへ近づいて、そっと彼女の肩に手をやった。
「アリーさんは、由実さんの事も、お母さんの事も愛していることはちゃんと分かってます。お母さんだって、其れも分かってくれると思います。」
「うそ、だって私が、アリーと一緒にお母さんに会いに行ったとき、あれほど激怒して、すごく怒って。だから私、アリーが、お母さんの窓を掃除に行きたいと言った時、お母さんに連絡をしないで内緒で行かせたのよ。お母さんがあの人にうちの敷居はまたがせないって、怒鳴ってたから。」
丁度その時、失礼しますとひとりの女性の声がした。だれだろうと思ったら、中村櫻子さんその人であった。千歳さんは、彼女を見て嫌そうな顔をしたけれど、櫻子は平気であった。偏見の目で見られるのは、慣れているという感じだった。
「由実さんから電話を貰って、来させてもらいました。大変なことになりましたね。今状況を聞いて来たんですけど、アリーさんは、今血種を摘出しているようです。どうなるかは、真っ最中なので何とも言えないと。私たちは、ただ祈るしかないのよ。」
確かに櫻子のいう通りでもあった。蘭も、由実さんにそう言ってやりたかった。こういうことは本来お母さんがしてやるべきことではあるが、お母さんの千歳さんにはできなさそうだった。蘭は、櫻子がいてくれてよかったと思った。
「由実さん祈りましょう。アリーさんがよくなって又一緒にカーヌーンを弾けるように。大丈夫よ。あたしたちは、悪いことなんてしてないんだし。悪いことをしていないんだったら、アラーは絶対人間を見捨てはしないわ。」
ここで蘭は、ほかの宗教にはないイスラム教独自の長所を見つけたような気がした。耐えるとか、愛するとか、そういうことを教えてくれる宗教はよくあるが、人間を見捨てないと言ってくれる宗教は少ないのではないか。そういうところが、アリーさんというひとと、由実さんを結び付けたのかもしれない。
「ええ、僕もそう思います。由実さん、今は落ち着かないかもしれないけど、その気持ちは大切にしていってください。」
蘭は、由実さんに言った。由実さんに届くかどうかは不詳だが、櫻子も蘭も今は同じ気持ちなのだと思った。お母さんの千歳さんのほうは、まだ別の思惑があるらしく、そのような表情はしていなかったが、お母さんもきっと分かってくれるだろうなと蘭は思った。
一方。
手術室の前で、杉ちゃんが待っていた。丁度、手術中の表示板が、杉ちゃんの目の前で消えた。
色留袖と、カーヌーン 増田朋美 @masubuchi4996
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