十四年の旅の末、勇者様との結婚を命じられました。

萩原なお

第1話


 その日、人類は歓喜した。

 勇者一行が十一年の長き旅の末に魔王を討ち取ったのだ。

 だが、彼らは国に帰ることはなかった。長を失った事で各地に散った魔族を討つことを選び、旅を続けた。




「——その後、勇者一行は三年の歳月を魔族討伐に費やした。魔王討伐までの日数と合わせ、十四年! 短くとも長き道のりは過酷そのもの! 旅立った仲間を失った。新たな仲間が加わった。苦しくも苦い思い出を抱えた我々は十四年ぶりに懐かしい祖国へ帰国した! 聞こえるか諸君、この歓声を!」


 しんと静まり返る馬車の中、まるで役者のように大きな手振りでモーリスは語る。大声で抑揚よくようをつけて話すのを同席する三人は冷めた目で見つめた。


「おいおい、つれねぇな。もっとテンションあげようぜ!」


 誰からも反応を返して貰えないモーリスは、この場で最年少のルナに絡む事にしたらしい。一般的なものと比べて広いが、大柄なモーリスが動けば誰かしらの足に当たる。

 モーリスの正面に座っていたライラは、足を横に寄せて当たらないようにした。


「なあ、ルナ。聞こえるだろう? この歓声を! 俺達の帰りを祝福する民衆の声を!」

「聞こえない」

「おいおい、ガキの癖に耳が遠く……ん? 確かに聞こえねぇな」


 馬車は王都を駆けている。目隠しのカーテンをめくり、外を見ると勇者一行を一目見ようと集う民衆が溢れかえっていた。

 この王都に住むであろうほぼ全ての人間が馬車を囲んでいるのに不自然なほど何も聞こえない。

 理由に心当たりがあるモーリスはライラへと顔を向けた。


「ライラ、音を消すなんて無作法な真似すんなよ。奴らは俺達を出迎えてくれたんだぜ? その声を聞かないなんて酷いやつだ」

「モーリス、気付かなかったの? ライラ、ずっと消音魔法かけてたよ」

「んん? んー、いやいや気付いていたさ!」


 モーリスが手を左右に振って否定する。気付いていなかったのは明らかだが、矜持プライドのせいか「俺は民衆の心の声をだな」と不思議な言い訳を繰り広げた。

 その頬は少し赤らんでいる。羞恥しゅうちからきたものではなく、酒を飲んだからだとライラは推測する。常日頃のように前後不覚になるほど深酒していないのは、これから対面する人物への敬意からだろう。

 本音を言うと一滴も飲んで欲しくはなかったが、こうしなければ不安と緊張にさいなまれ、受け答えもままならない。失言をしない限りは大目に見てあげよう、と思った。


「ねえ、ライラ」


 隣に座るルナは甘えるようにライラの腕に抱きついた。


「まだ着かないの? 転送魔法使おうよ」

「駄目よ。これは英雄の凱旋がいせんなのだから、国民の気持ちを無碍むげにできないわ」


 ライラはルナの頬を優しく撫でる。


「なら、魔法解けよ。民衆の声に耳を傾けようぜ」

「でしたら、モーリス様だけ解きましょうか」


 言うや否やライラはモーリスに施した消音魔法を解いた。

 二秒も経たず、モーリスが両耳を塞いで「消音! 消音!」と叫ぶのでまたかけてやる。こうなる事は分かっていたのだから大人しくしていればいいのに、とライラは思った。


「耳、取れると思った……」

「取れてしまえばよかったのに」


 毒を吐くルナをたしなめつつ、「それにしても」と前置きしてライラはため息をこぼす。


「なぜ国王陛下はわたくし達を呼んだのかしら。旅はまだ途中だというのに」

「あ? んなもん決まってるだろ。なあ! カーティス!」


 モーリスはにやにやといやらしい笑みを浮かべて、今まで無言を貫くカーティスの肩に腕を回した。


が終わったんだもんな~」


 これが他人ならカーティスはとっくの昔に殴っていた事だろう。誰も手綱を握れない獣でも十四年の月日を共にした仲間には情を覚えるらしく、不快そうに眉根を寄せるだけに留めている。

 だが、いつ短気なカーティスがキレるか分からず、ライラはひやひやした。悲しいことにカーティスはライラ達三人が束になってかかっても敵わない程に強い。

 最悪の事態が起きた場合、モーリスを生贄いけにえに、ルナと避難しようと心に決めた。


「カーティス様に絡むのはおやめなさいな」

「あ? んじゃあ、ライラが構ってくれるのか?」

「嫌です」


 酔っぱらいに絡まれるなんてごめんだ。ライラは冷たくあしらい、視線を窓の外へ向ける。

 不思議なことにカーティスがモーリスの相手をしてくれるようだ。思ったよりも機嫌がいいらしく、モーリスの自慢話や脈絡のない話に相槌あいづちをうっている。

 馬車の中は普段の旅と同じ雰囲気で満たされていたが城が近付く度に、ライラの心は得も言われぬ不安が広がっていた。




 ◇◆◇




 ヴァロン王国が王、アルバートは十四年ぶりに故郷に足を踏み入れた三人を大広場にて出迎えた。贅沢三昧だったからか、年齢からかは不明だがすらりとした体付きがでっぷりと肉々しくなっていて、ライラは驚いた。

 モーリスは緊張から、カーティスは興味ないからか平然としているが変わりすぎだ。一瞬、誰か分からなかった。


「ご苦労、諸君。かの悪名高き魔王をよくぞ討ち取ってくれた」


 アルバートは代表者であるカーティスに語りかけた。

 カーティスは答えない。頷きもしない。恐ろしいまでに完璧な無表情をアルバートに向けている。


「セドリック・アッカーの件は残念で仕方がない。四人揃ってまた会いたかったものだ」

「……」

「彼は英雄の一人として歴史に名を残すことだろう。もちろん、諸君らもだ。魔王を討伐し、満身創痍の中、世界のために己を犠牲にした精神、称賛に値する」

「……」

「……カーティス・オルコットよ。何か話してもよいのだぞ」


 それでもカーティスは無言を貫く。

 さすがに気まずくなったのかアルバートが助けを求める眼差しをライラに向けた。


「お久しゅうございます。国王陛下」

「久しいな。ライラ・パーシヴァル。“春の宵”と呼ばれたそなたの不在を貴族の男達は悲しんでいたぞ」


 まあ、とライラは上品な動作で口元を覆い、微笑む。公爵家の出身であるライラは、こういった場には慣れている。カーティスの冷たい対応に疲弊ひへいしていたアルバートにとって、助け舟に見えたようで次々と他愛のない話を振ってきた。


「娘ができたそうだな」

「はい。旅にでて三年目に魔族に襲われた村で唯一生き残った子を娘として迎えました。正式な手続きはこれから行う予定です」

「ほう、その娘はどこいる? 姿が見えんな」

「名前はルナといいます。ルナは別室にいるので、国王陛下がよろしければ後で紹介いたします」


 ルナはヴァロン王国民でもなく、アルバートが厳選した勇者一行の仲間に正式に認められていないことから別室での待機を命じた。強がりなところもあるがまだ子供。国王との謁見えっけんは緊張していたようで、安堵あんどしていた。

 可哀想ではあるけれど、公爵家の人間になれば、嫌でも王族や貴族と接点を持つことになる。王族にしては寛大かんだいなアルバートを練習相手にしようとライラは決めた。


「四十も近いというのにあいも変わらず美しい。そなたが良ければ予の妃に、あ、いや、なんでもない。すまん。本当にすまない」


 滑舌よく話していたのに急にしどろもどろになったのでライラは怪訝けげんな目を向ける。

 アルバートは顔を真っ青にさせて、だらだらと冷や汗をかいている。まるで首元に刃物を当てられたような、命のやりとりがある際にする表情だ。

 ライラの気遣わしげな視線を受けたアルバートはわざとらしく咳払いをすると一変して、真面目な顔を作った。顔は青白いままだが。


「旅も大詰めではあるがそなた達の任を解くことにする。残りの人生は何一つ憂うことなく過ごせるように手配しよう」


 アルバートはカーティスに向けて言葉を発したが、またもや完璧な無視を決め込まれていた。

 予想通りだとライラは頭を深く下げる。すかさず魔法を使用してカーティスとモーリスの頭を押した。動作はぎこちないが二人共頭を下げたのを確認してから了承の意を伝える。

 ——任を解くことにする。

 つまり、ライラ達の旅は正式に終わりであることを意味していた。

 これからは本格的に家業に専念しなくては、と意気込むライラを一瞥いちべつしたアルバートは「それから」と前置きすると信じられない言葉を発した。



「勇者カーティス・オルコット、魔導師ライラ・パーシヴァル、両者の結婚を命ずる」



 慎重な硬い声にどうやらこれが本題だと察したライラはラベンダー色の瞳を大きく見開かせた。

 すぐさま隣にいるカーティスを盗み見る。国王相手にも臆さず、己を貫くカーティスが今の言葉でキレるのではないかと危惧きぐすると同時に拒否して欲しいと願う。平民ではあるが勇者である彼はある程度の発言力を持っている。

 王命であってもこの世界を救った英雄の言葉があれば、断ることは可能だ。


「承知いたしました」


 しかし、ライラの願いと反してカーティスは珍しく笑顔を浮かべると深く頭を下げた。怒るどころか嬉しそうに自分とライラの結婚を受け入れる言葉を吐き出した。

 祝福ムードの周囲と裏腹にライラは自分の直感が間違っていないことを理解し、卒倒しそうになるのを公爵家次期当主のプライドで堪え忍ぶのだった。




 ◇◆◇




 応接間にて、勇者一行の英雄譚を本にしたいという記者と対談していたライラは、隣にあったはずの重みが膝の上へ移動していることに気が付き、視線を落とした。膝の上には柔らかな甘栗色の髪が広がっている。自分とは正反対の真っ直ぐな髪に指を通しながら、ライラは小さく微笑んだ。


「ルナ、眠るのならお部屋に帰りましょうか」


 返答はない。すぅすぅと寝息が聞こえることから本格的に寝たと悟ったライラは近くにあったブランケットを手繰り寄せ、ルナの体を包み込む。


「あ、お嬢様はお疲れですか」

「緊張していたみたいです」

「なるほど。では話を切り上げる前にひとつ聞きたいことがありまして、よろしいですか? 手短に終わらせますんで」

「ええ、どうぞ」

「カーティス様とご婚約されたと聞きました」


 甘栗色の髪を撫でる手が止まる。

 ライラの顔がこわばったのを違う意味で勘違いした記者が瞳をきらきらさせて、秘密の話をするかのように小声で続けた。


「カーティス様と言えば、強くてかっこいいと有名ですが、それと同時に気難しい性格の持ち主だと聞いております。お二人が婚約されたきっかけとは何でしょうか?」

「それは記事にするつもりですの?」

「いえいえ、国王様から口外はするなと言われています。時期が来たら許可を出すと、なのでの為に少しでも情報をまとめようかなぁと」


 これは下手なことは言えない。この場で発したライラの言葉次第で記事の内容は大きく変動してしまう。

 悩んだ末にライラは頬に手を添えて、長いまつげを伏せた。


「それは秘密です。お恥ずかしいので……」

「婚約したてですもんね! いやぁ、でもカーティス様がライラ様と、いや他人と一生を共にするなんて考えすらしませんでしたよ」


 記者はライラの態度から取材の続行は不可能と判断したらしく、身支度を整え始めた。


「じゃあ、こちらを。話を聞いた中で本に載せたいところをまとめましたんで、ぜひ詳しくお聞かせください。あ、でも載せないで欲しい事があれば言ってくださいね」


 記者が退出するのを見届けてから、ライラは手渡された封筒をテーブルに置くと天井を見上げた。


「やはり、ってみなさま言いますよね」


 カーティスは勇者と呼ばれているが百人中百人が同意するほど性格が捻くれている。出会った当初から身分も歳も上な国王やライラ相手にも臆さず、タメ口で話したり、酒場で酔っ払いに揶揄からかわれたのに苛立ち、村一つを半壊させたり。強さことが正義といわんばかりに魔族を討ち滅ぼすことに専念しすぎて、周囲を巻き込むことも数知れず。


 それでもカーティスが罪人ではなく、勇者として旅を続けたのは着々と実績を積んでいたからだ。誰もが太刀打ちできない高位魔族や魔獣、さらに魔王まで討ち取った時点でどれほど捻くれた性格破綻者でも世間は英雄として持ち上げる。


 しかし、愛国心が高いモーリスや公爵家令嬢であるライラと違って、愛国心は毛頭なく、地位も低いカーティスを繋ぎ止めるくさびはない。自由気ままなカーティスが他国へおもむき、移住なんてすればその国が力をつけてしまう。

 以上のことからカーティスを野放しにできないと考えた国王は、法的に縛り付けるために何度もお見合いと称して、旅先に女性を派遣した。高官の娘、医師の娘、伯爵家の孫娘——どれほど美しく、才に溢れた女性でもカーティスのお目通りには敵わなかったようで、人の心はあるのかと問いたくなるぐらい無情に切り捨てていた。

 それでも諦めない女性はいたが、何を思ったのかカーティスは魔族の首を女性に手渡した。すぐさま女性は悲鳴をあげて帰っていった。

 それを学習したのかカーティスはお見合い相手が来る度に魔族や食料にする獣の生首を見せていた。女性にプレゼントを贈るのは常套手段ではあるが生首はない。モーリスとライラに叱られても平然としていた。


 だからこそ、ライラに目をつけたのだろう。王家の血を汲む公爵家の頭領娘であり、魔王討伐を掲げた仲間、年嵩としかさではあるが、女であり、配偶者もいない。カーティスという獣の扱いも長けている。

 十四年も共に過ごしてきたことが仇になってしまった。


 ライラは悩ましげに息を吐く。カーティスのことは嫌いではない。勇ましく、ライラ達がピンチにおちいればさりげなく助けてくれるところは好ましく思っている。

 だが、彼は二十八歳。男盛りの真っ最中、自分のような年増と結婚なんて罰以外なんだというのだろうか。好きでもない相手と結婚する覚悟は持っていたが、それは相手も公爵家に入る覚悟がある上で成立している。戦闘大好きなカーティスと夫婦生活なんて続けれる自信がない。


 その時、コンコンと扉がノックされた。ライラが入室を許可すると扉は開き、プラチナゴールドの髪が覗く。

 カーティスだ。

 今一番、会いたくなかった人物にライラは歪みそうになる顔を懸命に堪えた。


「カーティス様、今、記者の方とお話していたんです。わたくし達の旅を書物にまとめたいと。楽しみですね」


 ああ、とカーティスは簡潔に返事をするとライラの元へまっすぐ近づいてきた。その時、さり気なくルナの頭を撫でるのを見逃さない。人間嫌いのカーティスだが拾った時、まだ赤ん坊だったルナの事は気に入っているようでこうして可愛がってくれる。ルナは嫌がっているが。

 幼少期はカーティスのことを父親だと慕っていたのに、とライラが思い出に浸っているとカーティスが名前を呼んできた。


「はい、どうかされましたか?」

「ここにサインを」


 淡々と、まるで業務連絡の一種のように目の前に差し出された紙を見て、ライラは固まった。


「えっ、と……」


 どうみても婚姻届である。

 しかも、夫側——つまり、カーティスが記入すべき欄はすべて埋まっている。あとはライラが記入すれば、すぐ役所に提出できる状態だ。


「早くしろ」

「お待ちになって」


 カーティスは器用に片眉を持ち上げる。口をつぐんだところを見るとライラの言葉の先を待っているようだ。


「カーティス様、少し冷静に考えましょう」

「俺はいつも冷静だ」

「……今回の件は普段より冷静に考えなければなりませんのよ。政略結婚っていうのは子を為すことも含まれているのです。特にカーティス様はこの世界を救った英雄。また魔の者が力をつけた際の抑止力としてカーティス様の遺伝子を継ぐ子が必要なのです。妊娠できるか分からないわたくしなんかより、もっと若い娘の方がいいでしょう」


 カーティスは眉間のしわを深くさせる。


「わたくしの学院時代の友人に娘がいまして、確か歳は十九と若く、見た目も心も綺麗な子なんですよ。家柄もいいし、もしカーティス様が乗り気なら紹介いたしますわ」


 にこと愛想笑いを浮かべる。戦闘力は劣るが容姿端麗で家柄もいい。何より四十近い自分よりもカーティスに合うはずだ。


「……書け」


 たった一言。たっぷり悩んだ末に放たれた言葉にライラは滝のような汗を流す。

 腹周りに肉がついてきた自分なんかより、若くて美人な伴侶の方が嬉しいはずだ。だって、男とはそういう生き物だろう。




 ◇◆◇




 受け取った——否、無理やり手渡された婚姻届とにらめっこを続け、早一時間。にらみ続ければ記入されて文字が変わらないかなー、その間にカーティスと国王の気が変わってくれないかなー、と期待しながら待っていてたが文字は変わらないし、報告はない。

 カーティスは用事があるようで婚姻届を手渡してくるとすぐ出ていってしまった。応接間に残されたライラは顔を覆った。逃げ道がないとはこのことだ。王命であり、本人は乗り気、少しずつだが外堀を埋められていく。

 逃げ道がないことに泣きそうになっているとモーリスが酒瓶を手に執務室へ入ってくる。


「お、やっと受け入れるのか」


 ライラの手にした紙が婚姻届だと知ると楽しそうに笑いながら、先程、記者が座っていた席に腰を下ろした。


「入れませんよ。わたくしの年齢をご存知なくて?」

「あ? 三十八だろ」

「あら、覚えているのですか。なら話が早いです。カーティス様との結婚、どうやったら破談にできるか知恵をお借りしたいのですが」

「やーなこった。変に関わってカーティスに怒られたくないもんでな」

「カーティス様は絶対にわたくしと結婚した方が怒ります」


 モーリスは白んだ目を向ける。


「お前なぁ、分かってねぇな」

「カーティス様の事は誰よりも分かっているつもりです」

「分かってねぇじゃん。仕方ねぇ」

「もしかして、国王陛下と何か企んでます?」

「企んでねぇよ。俺はな。ヒントをいくつか出すから自分で考えろ。本当はひとつって言いたいところだけど、お前は気付かなそうだからな」

「ひとつでけっこうです」

「いーや、絶対、百パー気付かない。百万ダルク賭けてもいいぜ」

「なぜでしょう。とてつもなくムカつきます。あと、そんな大金持っていませんよね」


 ここまではっきり言い切られるとは思わなかった。

 しかも、万年金欠男が百万ダルクも賭けると言うなんて。


「では、まずひとつ目。俺達の旅が延長された理由とは」

「理由って、魔族を討つためですよね?」

「そりゃあ表向きだわな。本当の理由は何だ?」

「……王様に命じられた、とか」

「ぶっぶー。はい、じゃあ言い出した?」


 ライラは記憶を辿る。なにせ三年前だ。だいぶ古ぼけているが、確か血と瓦礫がれきが散乱する魔王城で四人集まったはず。そこで各々がこれからの行く末を語り合った。

 それで、確か旅が続行されたのは、


「……カーティス様が〝これじゃ平和が訪れない〟と言い出して」

「うんうん、そうだな。ちなみにお前は魔王討伐した後、どうするつもりだった?」

「父の跡を継ぎ、婿をとるつもりでした」


 当時、ライラは三十五になったばかり。その年齢で妊娠出産した前例が記録に残っていたこともあり、すぐ国に帰り、婿をとるつもりだった。

 公爵家の後継者としての責務を果たすつもりだ、と何度か話した事がある。自分よりも若い癖にもう忘れたのかと胡乱な目で妙に穏やか顔をしているモーリスを見つめる。


「お前を国に返せば、すぐお婿さん迎えるわ、身分も違うから会えなくなるからなぁ」

「手紙をいただければ、時間を作る事は可能ですのに」

「そういう事じゃないんだよ」


 モーリスは酒瓶に直接、口をつけて豪快にあおる。


「お前がルナに勉強を教えていた時、カーティスは何をしていた?」


 村を魔族に殺され、変える場所がないルナを公爵家の養子に迎えるには必要最低限の教養が必要だ。旅路の合間にライラはルナに読み書きを教え、テーブルマナー、社交界のマナーを叩き込んだ。

 その間、カーティスは何をしていたかと問われても自分達の側で宙を見つめていたとしか言えない。身分相応の学力しかないカーティスは読み書きができないので、ライラが勉強を教えると言ったが断られた。

 あれ、とライラは手の中にある婚姻届を見つめる。少し歪だが、丁寧な文字で記入されている。カーティスが他人に代筆をお願いするなんて考えられない。これは誰が書いたのだろうか?


「公爵家の婿養子になるなら教養が必要だからな。読み書きできない男じゃ落とされちまう」

「婿養子?」

「カーティスがルナを大切にする理由は?」

「ルナが可愛いから?」

「お前が養子に迎えると公言したからだ。馬鹿め」


 モーリスは酒を呷る。中身が出ないと知るや否、ふらふらと立ち上がった。


「ルナはお前の娘。お前と結婚したら自分の娘にもなるんだから当たり前だろ」

「待って下さい。その言い方じゃ、まるでカーティス様はわたくしを好きだと聞こえます」

「あいつの行動を思い返してみろ」


 言われた通り、ライラはカーティスの行動を振り返る。読み書きがまったくできなかったカーティスがこうして婚姻届を記入するようになった。ノックの仕方も分からず、勝手に入ってきたのに注意してから守るようになった。モーリスや亡くなったセドリックが娼館へ誘っても嫌そうにしていた。そういえば、ライラがピンチの時は必ず助けてくれる。モーリス達の時は命に関わらないと助けないのに。


 そこまで考えるとライラは両手で顔を覆った。顔が火にあぶられたように熱い。いや、火が出てしまいそうだ。


「やっと分かったか」


 モーリスはにやりと唇を持ち上げると眠るルナを抱き上げた。


「ほぅらルナぁ、寝るならお部屋にいこうぜ」


 モーリスが応接間を後にしようと扉を開けて、出ていく姿が指の間から見えたがライラは止める事ができなかった。



「——おい、カーティス。あとは自分でどうにかしろよ。お節介はこれっきりだからな」



 その言葉が聞こえて、ライラは弾けたように席を立つ。

 扉の方向を向けば、見慣れたプラチナゴールドの髪が揺れていた。扉越しでずっと聞かれたのだと理解したライラはすぐに駆け寄ると扉を閉めた。


「ライラ、開けてくれ」


 カーティスにとって、こんな扉、紙同然だと知っている。その気になれば腕力のみで打破できるのに、強硬手段を取らない時点でライラの考えを尊重してくれるつもりなのは分かっていた。


「自分の言葉で伝えたい」

「む、無理です!」


 無駄な抵抗なのは分かっている。

 だが、扉を開けるわけにはいかない。真っ赤な顔は絶対に見られたくない。ライラは取っ手を掴む手に力を込めて、籠城するのだった。




 ***




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十四年の旅の末、勇者様との結婚を命じられました。 萩原なお @iroha07

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