Ⅱ
私の友人は、少々変わった性癖をしている。
それはこの人間社会においては致命的なもので、露見すれば彼女は迫害され、疎外され、最終的には絶滅されることになるだろう。
生きていくには、あまりにも重すぎる枷。
異端すぎる性質。
それを称して、彼女は「縛りプレイ」と言った。
縛りプレイとは何だろうか。
わからないことがまた増えてしまった。
この星に流れ着き、早数百年が経っても、私には理解のできないことが過ぎる。
故郷では瞬きのように感じていた時間が、ここではひどく長い。時間をただ無意味に消費し、この星の隅々を放浪していた数百年、なにもしてこなかったからだろう。
その空虚は、「退屈」という「感情」らしい。
新しく知った概念も多いが、やはりこの「感情」というのは新鮮だ。なにより私自身にそれが備わっていたことも、驚きだった。
故郷ではまったく意識してはいなかったのに。
この星に来て、特に彼女に会ってからはそれを意識する回数も、格段に増えた。
なぜだろう。
なぜ。
私はこの、「なぜ」という感情が好ましく思う。
「なぜ」という問いに対して、明確な答えがなくとも、その感情を抱いたという事実が、たまらなく私の3つある心臓を脈打たせる。
だから、私は今日も友人に問う。
「なぜ、キミは私の上で寝ているのだ?」
「なぜって、貴方がそこで寝ていたからだけど?」
理解できない。
脳髄の思考系がエラーを起こしたように私の挙動を鈍らせている。
「私がここで寝ていることで、キミに何か利益があるのだろうか」
「んー、まあ。あるわね」
あるのか。
「それは、なんだ?」
「ん~? そうね、第一にあなたの寝顔が見れること」
「寝顔……」
無防備なところを観察し、隙を見て危害を加えるつもりだったのだろうか。
「第二に、貴方の体温を感じられること」
寒かったのか? しかし今は真夏に差し掛かったところで、むしろ暑い季節なのだが。
「最後に」
私の胸の上に顔を乗せて、彼女は満面を穏やかにして笑顔を作りながら、言った。
「貴方の鼓動が、聞こえること」
妙に、全身がざわつくのを感じる。
そうしている彼女を見ると、3つの心臓が震えるように脈打つのが感じられる。
なぜだ?
この全身の血管が異常に活動を活発にしているのは。
どんな感情だ?
苦痛はないが、妙だ。
ほのかに苦しいような、じわりと私の脳髄を何かが侵食していくような。
それが、何故かいやではない。
なぜだろう。
「変だ。おかしい。妙に全身が痒いような気がする。なんだか、キミの顔を見ていられない」
「んふふふ、そーなの?」
「ああ、キミのその顔を見ていると、最近いつもこうだ」
「! ……それ、ほんとう?」
「ああ、キミに会ってから様々な感情を学んでいるが、こういう時はなんて言えばいいのか分からない。キミは知っているか?」
私がそう問うと、彼女は口角を仄かに釣り上げてにこやかな顔で、
「ん~。ふふっ、ごめんなさい。知らないわ」
と言った。
こういう時の彼女は、嬉しく感じているときなのだということが最近ようやくわかってきた。
なぜうれしく感じているのか、その原因が分からないのがもどかしいところだ。
もどかしい、という感情もなかなか難しい。
「そうか……君でも分からないことがあるのだな」
「そうよ? 全知でも、もちろん全能でもないもの。あたしはただの一般人だから」
一般人という名称には疑問を覚えるが、その主張は確かにその通りだなと思った。
全知全能、か。そう言えば、人間は神という全知全能の創造主に対して信仰心を持つというが、それはいったいどのような「感情」から生まれいづるものなのだろうか。
神を持たない星から来た私にとっては、その概念を把握するのにかなり時間がかかったが、要は絶対的な価値判断を持つ架空の超越的な存在にすがり、自信の幸福と不幸に意味を持たせる行為なのだろう。
そうしなければ、きっと不確かすぎるのだ、世界は人類にとって。
では、胸の上の彼女はどうなのだろう。
それを聞こうとしたが、一転、真剣な表情になった彼女の言葉に阻まれてしまう。
「でもね、あなたのことは全て知りたい。……あなたのことでだけは、全知でいたい」
そこまで深刻そうに告げることだろうか。
「……私の教えられることなら、いくらでもキミに教えるが」
「ふふ、ありがと。でも、そう言うんじゃないのよね」
「?? よくわからないが。私じゃ力になれないのか?」
「ん~。あなたから教えてほしいわけじゃなくて、自然に知っていきたいの」
「自然に?」
「そう、自然に。普通に過ごしている中で、いろいろなことを知っていきたい」
「それは……なかなかに面倒ではないか?」
「それが、いいのよ」
ふふ、と薄く笑って、また彼女は胸に顔をうずめてしまう。
しばらくすると、すうすうと小さな寝息が聞こえてくる。
……よくわからないが、彼女は面倒を好む傾向があるからな。そういうものなのだろう。
安らかに寝息を立てる彼女の横顔を見ながら、私は思考する。
私たちはいつまで、こうして二人だけの時間を過ごすことができるのだろうか。
奇跡などと、故郷にいた時にはぜったいに使うことはなかった言葉が自然と自分の口から出たことに、表情が緩む。これはたしか、失笑だ。
世間からあぶれ、息をひそめながら生きる私たちが出会ったのは、つい一年前のことだ。
私は隠れる場所を求め、彼女は安全に食欲と愛欲を満たす場所を欲した。
そうした事情を満たすために、私たちは人気のない郊外ではなく、都会の真っただ中に位置するビルに居を構えている。
最上階、地上600メートルの高さにある一部屋で、私たちは重なるように存在している。
外部からのセキュリティは万全だが、内側への眼はほとんど開かれていない。そんな状況はとても都合が良かった。
生活は彼女が賄ってくれており、私は完全に無職である。一時期仕事をしようかと考えていた時期もあったが、彼女に猛反対されてしまった。
確かに正体がばれるリスクもあったし、仕方ないことであるが、少し情けなかった。
そんな彼女は普段は繁華街のバーでストリッパーをしている。
そんな就労形態があることにも驚いたし、それを享受するものがいることも、また驚きだった。
利用客はほとんどが女性らしい。上客がいるようで、給料もいいと聞いた。
上客の内、彼女が気に入ったものには特別なサービスがあるという触れ込みが出回っているらしく、そのためにお金をつぎ込むものも多いのだとか。
だとか、とか言ってはいるがサービスの内容には私も関わっている。
それは彼女の性癖に関わっている。
彼女は上客で、三大欲求の内のふたつを晴らす。
彼女はそれを、「生きるために必要なこと」と言った。
その手伝いを、私はしている。
準備と、後片付けだ。
彼女はとても行儀よく食事をするので、そこは心配ないのだが、いかんせん調理の段階でいろいろと汚すので、後が大変だ。
ただ、食事の間隔は長く、一度食べると1月は持つという腹持ちなので機会事態は少ないのが救いだった。
私が食事の光景を始めて観た時は、言いようのない衝動に打ち震えそうになった。
いまも、まれに感じることがある。
彼女の赤く染まる肢体をみると、どうしようもないほどに私の脳髄は揺さぶられて、3つの心臓は暴れてしまう。
最初は恐怖かと思っていた。
しかし違った。
これは「歓喜」だと、私は知った。
私は私たちの「初め」を思い出す。
「キミの、キミの手伝いをさせてくれないか」
最初に、私がかけた言葉。
「いいですよ。その代わり……」
そのころはまだ、彼女は敬語だった。
「あたしが死んだら、あたしのことを、どうか食べてはくれませんか」
彼女は、美しく、本当に美しく、真っ赤に染まりながら。
白い
私は答える。
「喜んで」
MOONLIGHT 抹茶塩 @112651451
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