MOONLIGHT

抹茶塩

 特性銀河ハイペリオン、第4E系、保護観察用保全惑星カンブリア。

 それが、私の故郷ほし

 この青く、美しく、低俗で低品質な惑星から何億光年も離れた場所に位置する。

 高層ビルの大ガラスから見える無数の星の中の一粒。

 私のふるさと。

 もう帰らない場所。

 もう足を運ぶことのない場所。

 どれがどれだかわからない砂粒の集合を見ていると、上半身の第3の心臓が位置する場所が締め付けられたように感じるのは、何故なのだろう。

 初めてのことで、戸惑う。だから私は、部屋の中でさっきからのうずくまってパズルを組み立てている存在に聞いてみた。


「なあ」

「なに?」

 

 振り返って、私を見るそれに、私の中で言いようの表せないざわめきが発生する。


「キミは、なにかを見たりして、心臓が圧迫されるような錯覚を抱いたことはあるか?」

「胸が圧迫? なにそれ、痛そう」

「痛くはないんだ。痛覚が受け取るような刺激は何も発生していないはずなのに、何故だか心臓が苦しい。まさか病気だろうか」

「……ふふふっ、ねえ、何を見たらそうなったの?」

「私が以前いた、私が発生した星だ。とはいっても、ここからの眺めでは、どれがそれなのかはわからない。漠然とした位置情報を頼りに、推測できる位置を視ていた」

「へえ、珍しい。あなたが故郷のことを語るなんて、初めてね」


 そうだったろうか。以前にこうしたときは、話したような気がしたのだが。


「それはね、デジャヴュっていうのよ。実際には経験していないのに、ずっと前に経験したような感覚になるの」

「そうなのか……。待て、私はいま言葉にはしていなかったのだが。まさか、思考が読めるのか? 地球人のキミが」

「いいえ? でも顔を見ればわかるわ」

「何故だ、顔面はただのパーツの集合だ。それ自体は何も情報を発しはしないはずでは?」

「そんなことはないわよ? 唇の動きとか、目の動き、眉の動き、表情って、意外といろんな情報があるのよ? まあ、あなたはちょっと、少ないけどね」

「……この体は、皮に過ぎない。本当の私の姿は、キミたちとは似ても似つかないし、顔だってないようなものだ。借り物の体だから、表情は創れない」

「知ってる。……それでもわかるわよ」

「何故?」

「女だから」

 

 右目だけを閉じ、口角上げて見せる(ウィンクというのだそうだ)彼女。

 非論理的だ。全く根拠がない。それともまさか雄と雌で分析能力に差があるのか?地球人は。


「納得いってないわね」

「まただ、また読まれた」

「読んでないってば、分かるだけ」


 そういって、彼女は作業に戻る。

 切り分けられて、無造作に転がるピースを丁寧に拾い上げながら、もとの形通りに並べていく。 

 そうして完成したパズルには、一片の狂いもない。

 その様子を見ながら、私は感心する。

 彼女の器用さと、その愛情しょくよくに。


「それ、やはり食べるのか?」

「うん。当然でしょう?」

「そうか、……なんというか、いいのか?」

「え?」

「君たちの間では、こういうことは禁忌なんじゃないのか?」


 禁忌、犯してはならないモノ。それは私の故郷にも確かにあったが、この星のそれは少々特殊だ。……と、私は思う。倫理という規範に基づいた、道徳。

 奇妙だ。しかしこう思うのは私が異星人の文化を知らないからこそなのかもしれない。


「当然でしょ? やっちゃいけないわよ。もしバレたら、あたしはきっと、いいや絶対死刑だね」


 振り向かずに、背を向けたままそうのたまう。

 

「なら何故」

「うーーん。なんだろう。例えばさ……あなたって、排泄はするの?」

「もちろんだ。私も生物である以上、老廃物の体外廃棄はしなければならない」

「そっか、それって、当たり前のこと?」

「そうだ」

「でも、だれにもそうしろって言われてないのに?」

「……他存在からの刺激の結果ではなく、生得的備わった機能だ。これを怠れば、個体の機能が不調になってしまう可能性がある」

「つまり、生きるのに必要ってこと?」

「そうだ」

「そっか」


 そこで作業の手を止め、振り向きながら。彼女言う。


「あたしも、それよ」


 振り向いた彼女は、生まれたままの姿で、しかし頭の上から下半身まで、その大半が赤く染まっている。

 普段はブロンドの髪も、すっと整った高い鼻も、柔らかい唇も、細い首元も、なだらかな肩も、小ぶりだが形の整った乳房も、無駄のないくびれのついた腰も、張りのある臀部も、程よく肉のついた太腿も。

すべてすべてすべて――真っ赤だった。

私には美醜の価値はわからないが、この光景はいつも、美しいと思う。こころから。


「そうしないと、生きていけないから」


 そう口にする彼女は、目尻の下がった、困惑したような表情をした。食事の前はいつも、彼女はこういう顔になる。こういう表情は、なんというのだろう。私が持つ知識の中にはそれに該当するものがなかった。


「そうか、大変なんだな。キミは」

「そう、大変なの。あたしは」


 そう言いつつ、食事を開始しようとする彼女に、私は当初聞きたかったことがあったのを思い出す。

 

「そういえば、まだ最初の質問に答えてもらっていない」

「……なんだっけ?」

「既知のものを見て、心臓が締め付けられるような感覚になるかという質問だ。キミが私の思考を読むせいで話がそれたんだ」

「だから読んでないって……」

「で、どうなんだ?」

「……まあ、あるわよ」

「そうなのか。……これは病気か? もしかしてこの皮の不備なのか?」

「ううん、どっちも違うわ。あなた、故郷を見てそう感じたんでしょう?」

「そうだ、だが今までそんなこと一度もなかった。ここに来るようになってからだ。これはおかしい」

「んふふ」

「何が可笑しい?」

「それって、あたしとここで出会ってからってこと?」

「そういうことになる」

「そっか。そっかそっか」


 口角を上げ、頬を弛緩させる彼女。

 なんだ?よくわからない。どこにそんな顔をする要素があった?


「それはね、懐かしい。だよ」

「懐かしい? どう、いう感情なんだ? それは」

「うーん、改めてそう言われると難しいわね。なんだろうなあ」


 真っ赤に染まった頭をひねりながら、彼女はうなる。うんうんと考えているようだった。そんな難解な感情なのか?そうだとしたら、私には一生分からないのではと、思考演算を巡らせそうになったとき、「そうね」彼女は言った。


「――どうしようもなく、心が魅かれることね」


 心が魅かれること。どうしようもなく。魅かれる。魅かれる。つまりはその対象に対する関心や興味がほかのものよりも大きくなるということか?どうしようもなく?

 よくわからない。よくわからないが。


「悪くない、悪くない感情だ」

「そう? ならよかったわね」

「ああ」

「もう食べていいかしら? さすがに鮮度が落ちちゃうんだけど」

「む、すまない。邪魔をした」

「べつにいいわ。ちょっと楽しかったから」


 そういうと、彼女は完成したパズルに向かい合う。

 手を合わせて、祈るようにして。

 その動作は、かつて彼女が愛した、二ホンという国の少女から教わったのだそうだ。

 偶然にも、それは私の故郷にも存在するものだった。

 ただし、個体の動作停止の際にするもの――つまりは死んだときのものだったが。

 しかしこの場合、どちらでも同じだ。


「いただきます」


 それが彼女の、愛の言葉だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る