【ショート ストーリー】美しい紅葉

神田伊都

本編

 ここは某県内の大型デパート、その一画にある美容院。


「整形してください」


 突然やってきた女の子が、険のある表情でそんなことを言った。

 出入り口で会計処理をしていた私は思わず目を丸くする。戸惑いつつも、小さな来客を見つめた。小学校の低学年くらいだろうか。前髪が眉毛に掛かっているせいで、ひどく暗い印象を受ける。ぼさぼさとした後ろ髪は、モミジの髪留めで無造作にまとめていた。


 迷子かな。むしろそれ以外の理由が思いつかない。それにしても、ただの迷子がいきなり「整形してください」なんて言うだろうか。

 私はカウンターから出て、その子の前に立ち、

「迷っちゃったのかな。お母さんかお父さんは?」

 そう聞いてみたけれど、

「いいから、整形して」

 と両目を吊り上げて私を見上げるばかりだった。威圧しているのだろうか。研修中なのに、厄介な客が来たな、と私は眉をしかめてしまう。

 ただの厄介な客であれば、クレーマー対応で穏便に済ませることもできるのだけど、いま目の前にいるのは女の子だ。邪険に扱うわけにもいかない。けれど、子どもへの対応マニュアルなんて見た覚えがなかった。

 不自然な間があいた分、空気がよどむ。

「えっと。お姉さんたち、いまお仕事で忙しいんだ。だからその、遊ぶならよそで」

「遊んでない。整形してって、言ってるの」

 と女の子がむっと眉をしかめる。し

 私は思わず天井をあおいだ。面倒な人を相手するのは苦手だ。それが子どもなら尚更。たぶん迷子だと思うけれど、迷子センターのアナウンスが聞こえる気配もない。少々強引な手段が頭をかすめる……ただ、それを子ども相手にやっていいものか。


「ちょっと待って」


 女の子への対応に手を焼いていると、店の奥から店長が声をかけてきた。ちょうど昼休憩から戻ってきたようで、私はほっとする。店長は一児の母だ。こういう子に対応するのは慣れているだろう。

 店長は私と女の子の間に入って、腰をかがめる。自然と、女の子の視線も下がった。

「お客様、お時間はありますか。すぐにご案内できますけど」

 店長の言葉に、女の子はぶすっと口をとがらせつつ、うなずく。

 昼時で、客がいない時間帯。店長の案内で、女の子は一番手前の席に通された。

 どうするのだろう、と私は店長を見守ることにした。

 店長は女の子のひざにブランケットを掛けて、背後に立つ。

 水色のエプロンを用意し、鏡に映る女の子を見てたずねた。

「整形ですか……ご希望がありますか?」

 うつむいたまま、女の子は答えた。

「変われるなら、何だっていい」

 つんけんした態度にも、店長は動じた様子も見せず、

「かしこまりました。それでは始めますので、この髪留め、外してもよろしいですか?」

 女の子がうなずく。

 店長は髪留めを外して、女の子の髪を持ち上げたり、なでたりして、毛の調子を確認する。

 それが済むと、ウエストポーチからすきバサミを取り出した。さくさくと、女の子の髪を手際よくカットしていく。水色のエプロンに、黒い髪がはらはらと落ちていく。

 前髪のカットも終わり、やがて店長はすきバサミを収め、コームで髪を整えて、満足そうに手を止めた。

 特別なことをしているようには見えなかった。彼女がやってきて、三十分も経っていない。ていうか店長、その子、明らかにおかしいじゃないですか。普通に対応するより、迷子センターとか警備員とか、他にやれることありそうですけど。

 困惑したまま見守っていると、ふいに店長がこちらに振り向いた。

「さ、研修生の出番だよ」

「え?」

「この子のシャンプーをお願い。私、ちょっと出て来るから、その間に相手をしてあげて。すぐ戻るよ」

 私は何か言い返そうとしたけれど、うまく言葉にならず、まごついている間に店長はさっさと店を出ていってしまった。

 店内に、謎の子どもと、二人きり。

 正直、店にやってきたときの印象が強すぎて、まともに対応なんてしたくない。

 しかし、お客様であることには変わりないわけで……。

 私はため息を押し殺して、彼女の元に向かった。

「席を動かします」

 子どもに対して敬語を使うことに違和感を覚える。

 席を回転させて、背もたれを倒そうとしたとき、女の子が私をにらんだ。

「これ、整形じゃないよね」

 当たり前だ。ここは病院じゃなくて美容院だ。

「まぁ、そうだけど」

「わたし、整形してって言ったのに」

 不機嫌そうな態度は、クレーマーと大差ない。顔の形を変えたいなら、その道の専門家にお願いしてもらえないだろうか。子どもの整形なんて聞いたこともないけど。

「とりあえず、髪の毛を洗うから。じっとしてて」

 少し強い口調で言うと、女の子は一瞬おびえるように瞳を揺らして、口をつぐんだ。

 ふいに胸が痛んだけれど、何事もなかったように、彼女の目元にタオルをおく。シャワーの湯加減を調節してから、髪を濡らす。

「熱くありませんか?」

 そうたずねたけれど、返事はない。黙々と手を動かす。手近においていた赤い瓶のシャンプーを手に、髪の毛を泡立てた。それをシャワーで流して、トリートメントを髪の毛に馴染ませて、また洗い流す。

 店内に流れている、静かなBGMがやけに大きく聴こえる。さっきからずっと、胸の痛みが取れない。シャワーを止めると、その音が余計に耳をついた。

 タオルで髪の毛をふきつつ、胸の痛みに耐えかねて、私は女の子にたずねた。

「どうして、整形したいの?」

 女の子は何も言わない。黙らせた仕返しかな。それとも別の理由だろうか。これだから子どもは苦手なのだ。何を考えているか分からない上に、その分からない何かに対応しなければいけない。分からないことが多すぎて、わずらわしい。

 背もたれを起こして、座席を元に戻す。

 やがて、鏡に映った女の子が、ふいに口を開いた。

「きどってる」

「へ?」

 最初、私に向けて言ったのかと思ったが、そうではなかった。

 女の子は声を震わせて、続けた。

「みんな、小学校のみんな、わたしのこと『きどってる』とか、『ブス』とか、言うんだ。

 お母さんに相談してもね、『楓(かえで)ちゃんが、何か悪いことしちゃったんじゃないの』って、言うの。だから、わたしが何か、みんなに悪いことしちゃったのかって思った。

 でも、良い子にしてても、悪口が終わらなくて……どうしようもなくて。

 それで、ニュースでみたの。悪いことした芸能人が、整形して変わったって。だからわたしも、整形すれば、変われるかなって。そしたらみんな、悪口言わなくなるかなって」

 最後にはもう泣いていた。

 こういう一面もあるから、子どもはもっと苦手だ。

 脈絡のない話をして、勝手に笑ったり、泣いたり。

(でも、まぁ……)

 分かる部分もあった。

 私はドライヤーを『弱』にして、彼女の髪に当てる。ドライヤーのゆるやかな風が、濡れて重くなった髪の毛を優しく揺らす。

「そういうものだよ、女の子って」

 いつまでも『良い子』ではいられない。仮に『良い子』でいても、同年代の子たちからの攻撃を避けられるというわけでもない。小学生とは言え、女子の社会がそれなり厳しいことに変わりはないのだ。

 だけど……。

 私はドライヤーの風を強くした。

「楓ちゃんは、すごいね」

 そう言うと、楓ちゃんの肩から力が抜けるのがわかった。

「なにが?」

「変わりたいって思って、いろいろ考えたんでしょ。それでここに来たんだよね」

 自分から変わろうとするのは、とても難しい。周囲から「若い」と言われる二十代の私でさえ、自分を変えようとするのに、抵抗を覚えることは多い。

 ドライヤーを止める。楓ちゃんの髪からは、しっかりと水分が飛んでいた。

「わたし、すごくないよ。ひとりで泣いてばっかりだし……ブスだし」

 そうしてまた、楓ちゃんはぽろぽろと涙をこぼした。

 私は楓ちゃんから視線をそらす。こういうとき、何と声を掛けたらいいのか。

 ふと、背もたれの側に、彼女の髪留めを見つけた。長く使っているのだろう。ところどころ紐がほつれていて、モミジも色あせている。

 私はそれを手に取り、洗面台の側にあった布を濡らして、モミジの表面をなでた。

「そうかな。楓ちゃんは、もうブスじゃないと思うけど」

 私は楓ちゃんの後ろに回る。

 そして、彼女の髪の毛を、モミジの髪留めでまとめてあげた。

「変わりたいって思った時に、実はもう変わってたってことは、よくあるんだよ」

 だから、ほら。

「顔、上げてごらん」

 私にうながされて、楓ちゃんがおずおずと顔を上げる。

 すると、楓ちゃんはうるんだ瞳をくるりと丸くした。

 店長がやったのはカットのみ。

 その後に私がシャンプーとトリートメントをした。

 パーマもカールも、何も特別なことはしてない。

 けれど、ごわごわしていた彼女の髪の毛はふわりと軽く、何より明るくなっていた。

 自分の変化に驚いているようで、楓ちゃんはしきりに前髪を触っている。小さく首を動かすと、それに合わせて、綿毛のように毛先が揺れた。

 私は頬をゆるめて、楓ちゃんの顔をのぞき込む。

「ね、変わったでしょ」

 楓ちゃんはちらっと私の方を見て、また鏡に目を移した。

「うん……別人みたい」

 しばらくして、店長がひとりの女性を連れて戻ってきた。

 店長曰く、迷子センターに向かったところ、ちょうど楓ちゃんを探していたお母さんと鉢合わせたらしい。

 髪をカットされた楓ちゃんを見て、お母さんは胸をなで下ろしたり、目を丸くしたりと忙しい。けれどすぐに落ち着いたようで、「似合ってるね」と楓ちゃんにほほ笑む。

 楓ちゃんは照れくさそうに頬を染めた。

 二人を見送って、使った席の掃除をしていると、ふいに店長が言った。

「モミジの花言葉って、知ってる?」

 私が首を横に振ると、店長はこう続けた。

「美しい変化、なんだって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【ショート ストーリー】美しい紅葉 神田伊都 @kanata1250

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ