第1章-4
教室の入り口に立ち、恵太は煙たく思っていることを隠そうともせず、竹内を見下ろした。
中学生ぐらいに見える背格好。顔立ちも幼いつくりのままだが、にきびと横に広がった鼻がアンバランスに目立っている。特に人望があるわけでも、画期的な企画を打ち出すわけでもないのに、盛り上げたい気持ちだけが先走って空回りしている小男。どうしてもと頼まれた時だけ部に顔を出す恵太ですら、竹内に対しての印象は出来上がっていた。この春から新しく新聞部の部長になったそうだが、消去法で選ばれたに違いない、と恵太は幽霊部員なりに推測している。
「やあ坂井くん、すまないね話し中のところ」
竹内がセリフじみた声と笑顔で言う。目を細めて表情を作っているつもりだろうが、恵太には引きつった顔にしか見えなかった。
「先輩、わざわざ直接来てもらって悪いんですけど、俺の答えは変わらないっすよ」
セールスマンを家に入れまいとするように、恵太は引き戸のレールでできた境界線から出ず答えた。竹内の用件は分かりきっている。先日スマホでメッセージが送られてきた件だ。廃部寸前の新聞部が、活動を校内でPRするために特別号を作るのだという。そのメインとなる記事の作成を、恵太にも手伝って欲しいという依頼だ。先代の部長から、坂井恵太は人数合わせだけの存在だと伝わっているはずなのに、とうとう教室まで訪ねてくるとは。いくら人手不足だろうとはいえ、恵太は理解に苦しんだ。
「そんなこと言わないでよ。これは、坂井くんにしか頼めないミッションなんだから」
「俺にしかできない?」
話しながら横目で唯の方を振り返る。唯は恵太たちの方を窺っているようで、目が合ったところで大げさにあくびをした。訳すると『退屈だ』ということだろう。恵太としても、さっきのクイズの答えを考えたくて竹内の存在が一層煩わしい。
「そう、坂井君にしかできない。なぜならこの事件の取材には、女性の力が必要でね。ところが新聞部には現在、女性がいないときた」
「それが俺になんか関係あります? 俺のこと、男って知らなかったんですか?」
皮肉を込めて分かりきったことを言った。いっそ怒って帰ってくれたら新聞部と縁を切れるいい機会になるのに。だが竹内は皮肉に気付かないのか、変わらぬ調子で話しを続けた。
「それはもちろん知ってるよ。そういうことじゃなく、坂井くんには誰か女性を紹介して欲しいのさ。我が新聞部は、悲しいかな女性というものに大変縁遠くてね」
「紹介?」
待たせたままの唯が気になりながらも、恵太は竹内の説明を聞くことにした。竹内が本気で恵太にしか頼めないと思っているのであれば、この機会に面と向かって断っておかないと後々面倒なことになりそうだと感じたからだ。唯は恵太がいないとき、一人で本を読んで過ごすことが多いのでこちらに構わずそうしてくれることを願う。
竹内の話によると、特別号は見た人の好奇心が刺激されるような、ミステリーや都市伝説の解明に挑む内容にしたいそうだ。革新的な内容になると竹内は息巻いていたが、恵太には間々ある話としか思えなかった。そしてメインの記事というのが、ここ最近ネット上で話題を目にするようになった、あるロックバンドのファンによる後追い自殺の件についてだった。恵太にはあまり興味のない話題だったが、バンド名と陰惨なワードが画面上に一緒に並んでいるところを、何度か目にしたことがある気がする。
事の発端は三年前、ヘイトロッカというロックバンドのメンバー一人が自殺をしたことに始まったという。世間的にはあまり名の知られていないバンドということもあって、テレビでの報道はほとんどなかったぐらいだ。波紋を呼んだのはその後、何人かの女性が後追い自殺をしたということが明るみになってからだ。
一時期は連日ワイドショーで取り上げられ、恵太もその一連の騒ぎは記憶にある。ところが連日話題を独占していたのがウソのように、ある日を境に報道されなくなった。竹内によればそれはさらなる後追い自殺を助長しないよう、報道規制がかかったためとのことだった。そして事件は次第に忘れられていき、後追い自殺をする者も最初の数人で終わったというのが世間で知られている話だ。だが、実際には自殺は止まっていない、と竹内は喜ばしいことかのように興奮気味に話す。奇妙なことにメンバーの自殺した七月六日になると、その一年後も二年後も、命日にファンが自殺しているというのだ。このままいくと二か月後の七月六日、今年も新たな自殺者が出るだろうと。これは竹内の独自調査というわけではなく、ネット上でまことしやかに流れている情報であり少し調べれば誰でも確認できる話らしかった。
「それでその話のどこから、女を紹介して欲しいって事になるんです?」
一向に話が核心の部分まで進みそうにないので、恵太は相槌を打つのをやめ、竹内に問いかけた。竹内は、「お、少しは興味が出てきたかな?」 と、どこまでも前向きな反応をよこしながら続ける。
「実はそのヘイトロッカは騒ぎの後に解散しちゃったわけだけど、ファンが作った独自の会員制サイトが生きてるんだ。しかも、女性限定の」
ここまで話を聞いて、ようやく竹内の言わんとすることが掴めてきた。そのサイトに入会して、内情を探れる者を探しているということか。
「サイトぐらい、女ってウソついて入っちゃえばいいじゃないですか」
「そう簡単にいかないから困っているのさ」
竹内はドラマかアニメの登場人物にでもなったかのように、芝居がかった抑揚とともに手を広げる。日常のやりとりでは違和感があって、鼻につくと恵太は思った。
「結構うるさいマニアが管理しているみたいでね。身分証明書の写真と顔写真を管理人に送らないと、入室パスワードがもらえない。そこで、我が部では一番女性の知り合いがいそうな君に白羽の矢が立ったというわけだね」
竹内が指をまっすぐ立てて恵太に向けてきた。払いのけたい気持ちを隠すため、恵太は視線を横へ逸らした。
「あの、その話長くなります?」
背後から、唯がひょっこり顔を出して話に入ってきた。てっきり本でも読んでいるかと思い、油断していた。この後の竹内の出方が予想できて、恵太は唯を追い返そうとしたが竹内の指の方が早く唯を指す。
「ほら、ここにぴったりな女性が一人」
人差し指を唯の前で止めたまま、したり顔の竹内が言った。突然の指名に、唯は怪訝そうに恵太の方を窺う。
「何事?」
「何事か、説明しよう」
意気揚々と、竹内が同じ説明を始めた。一度話したことでこなれたのか、恵太に話した時よりも淀みない。聞き流しながら、恵太はますます新聞部と竹内ともにまとめて辟易してきていた。先代の部長は、部の参加に否定的な恵太を引き込んだことに、後ろめたさがある様子が伝わってきた。自分の代で部が終わらないようにという願いも理解できたので、恵太は前部長の頼みを断ることができないでいた。しかし竹内の態度は厚かましいとしか感じられず、今すぐ退部届を出したい気持ちと前部長との義理との間で心が揺れる。隣からは、唯の生返事と愛想笑いが聞こえてくる。転校してきた当初は、クラスメイトに愛想笑いすらしていなかった記憶があるが、唯なりに改めているところもあるのだろうか。話に興味が無さそうなのは隠しきれていないが。
「ごめんなさい、私はやめておきます」
唯の迷いのない言葉で、どうやら竹内の話が終わったらしいことに気づいた。竹内は少し早口になって「お願いだ」「やっと見つけた頼めそうな人なんだ」「すぐ終わることだから」と繰り返した。
「うーん、女の人ならいいんですよね? 他の人にお願いしてもらった方がいいですって。先輩の友達とかの方が、話が早いですよきっと」
唯の提案は、現新聞部にとってハードルが高いであろうことを恵太は知っている。恵太にしても特別交友関係が広いわけではないが、女の協力者を挙げるという意味では資格がある部類に入るのだろう。幽霊部員である恵太のところまで竹内が頼み込みに来ているのは、他にその資格がある部員がいないからに違いない。竹内はそのことには触れず、代り映えの無い台詞ですがり付いている。
「そんなこと言われても」
不毛な問答が続き、唯が恵太に助けを求める視線を送ってくる。大体、竹内は事情を知らないとは言え依頼の相手が悪い。恵太と竜海以外、会話することすら否定的な唯が、胡散臭い新聞記事のための協力など応じるはずがなかった。恵太は頃合いと判断し、竹内に結論を伝えることにした。
「先輩、嫌がってる奴に何言ったって無駄ですよ。唯は特に頑固ですし。他に紹介できる女子はいないんで、諦めた方がいいっすよ」
二人の白けた空気がようやくいくらか伝わったのか、あるいは説得し疲れたのか、竹内は「はーあ」とほとんど話し言葉のようなため息を吐いた。
「もしかしたら誰かが死ぬのを止められるかもしれないのにさ」
今度は情に訴えかける気か。意外としぶといと若干の感心すら覚えたが、恵太に翻意させるほどのものではなかった。
「それ、どういう意味ですか?」
恵太とは違った反応を見せたのは唯だった。何が心に触れたのか、珍しく恵太と竜海以外の話の先を知りたがったのだ。その重大さに気づくはずもなく、竹内は続けた。
「我々は、そのサイトの登録者と会ってインタビューをしたいんだよ。もしその時に噂通り自殺願望があるような人が来たら、一応説得は試みるよね。本当に死なれたら後味悪いし」
「そういうことなら」
嫌な予感がして、恵太はしかめた顔で唯を見た。気づいてか気づかずか、唯は取り返しのつかないことを口走った。
「私、手伝います」
恵太には、唯の考えがまったく理解できなかった。
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