うざい(1)
「ははははっ! この人、バカだ!」
晴の大きな笑い声が空気を震わせる。
「随分と騒がしいが、どうした?」
隣の診察室から小鳥遊がやって来た。暖簾を開けた彼女の目に飛び込んできたのは、両手で腹を抱える晴、机の上でため息を吐く梟、それから晴の対面に座る二郎。
「なぁ先生、見てくれよ。この人、風船ガム膨らませすぎて顔面ぐちゃぐちゃ」
『……お前が〝風船ガムをサッカーボールのサイズまで膨らませたら、願い事が叶う〟などと嘘を吐くからだ。この次男坊は風船ガムなど初めて食うものだから、信じてしまったのだ』
梟が小鳥遊への状況説明も兼ねて言うと、彼女はこめかみの辺りをおさえた。
「まったく。晴はまた余計なことを!」
小鳥遊が晴を叱ろうとするのと同時に、二郎がスッと腕を伸ばす。そして晴の額に、見るからに痛そうなデコピンを放った。
「いってぇ!!」
「……君は、笑いすぎだ」
「だってアンタ、
〝何回も〟。
そう言えるほど、晴と二郎は約束を重ねていた。こうして1ヶ月に1度に会う行為は続き、出会ってから気づけば1年が経っていた。
二郎は相変わらず黒髪で和装姿だが、晴の容姿は変わった。焦茶色の毛髪を金に染め、ピアスの数が増えた。
ティッシュでガムを必死に拭う二郎を、晴はニヤニヤしながら観察している。
小鳥遊の口角が緩やかに上がった。
「ふふ。二郎くんといると晴は楽しそうだな」
「は!? いや、べ、別に楽しいっつーか……この人が天然だから笑えるだけだし!」
「そう照れるな。私は安心しているんだ。晴は知り合いは多いが、友達はいなかったからな。あぁ、そうだ。来月は晴の誕生日だし、二郎くんと梟さんも一緒に祝ってくれないか?」
二郎が、小鳥遊と晴を交互に見渡した。
「……誕生日なの? そうか。
「18歳だよ! 分かるだろ!? 俺とアンタ同年代なんだから!」
「じゃあ贈り物をしよう……。何が良い?
「絶対に要らねーし、そもそも何でそのチョイスなのか分からないし、アンタは俺をどういうキャラだと思ってんだよ」
ここで、晴が急に不機嫌そうな顔になった。彼は常にこういう顔をしているのだが、今は不機嫌さの中に〝憂鬱〟が混ざっている。この一年で、二郎はその些細な色の混入を見抜けるようになった。
「……
〝何かあったのか?〟と二郎が問う前に、晴は答える。晴の方もまた、二郎が何を言いたいのか察するようになっていた。
橙色のツナギのポケットから一通の封筒を取り出す晴に、小鳥遊の表情も曇る。
「まさか行くんじゃないだろうな? ギャングとは関わるな。万が一、お前がギャングのメンバーになったりしたら、私はお前の母親に顔向けが出来ない」
「行かねーよ。でもここ最近、北条愛と絡むことが多くて正直だりぃ。あいつ、何考えてんだ?」
北条愛。10丁目で勢力を伸ばし続けるチーム〝
約1年前、迷子だった花を、愛が助けた。それ以降、晴は愛と町で出くわす頻度が増えたという。
「……あの子は、君のことを慕っているんじゃないのか?」
二郎の記憶ではオドオドして気弱そうな、薄水色の髪を持つ少女だったのだが、意外と積極的な人物なのかもしれない。
晴はとても整った顔立ちをしている。(二郎は10丁目で初めて〝イケメン〟という呼び方を知った)。町を歩けば女性たちがチラチラと彼を見てくる。
「うわ、やめろ。縁起でもねーこと言うな」
「縁起……?」
「俺はそういう話はいいんだよ。てか、アンタは? 好きな奴はいねーの?」
「いるよ」
晴、小鳥遊、梟がキョトンとした。意外だった。感情をほとんど表に出さないこの少年が、さらっと色恋を白状したことが。
晴が机に身を乗り出して訊く。
「マジで? 誰?」
「……従姉妹。半妖で、うさぎの耳が付いていて……。名前は〝
「へー。どんな子?」
「優しい子だよ……。ずっと昔、あの子が悪い妖に襲われていたところを助けた。その時から僕なんかに懐いて、そばにいてくれる」
––––しかし。
「今は、彼女と上手く話せなくなった」
狐を恐れて。
妖と戦えなくなった。
不甲斐ない自分は、彼女の目にどう映っているのか。それを知るのが恐ろしかった。
二郎は言葉の続きを紡げず、不自然に黙ってしまった。
「……あー、まぁ、いろいろあるわな」
沈黙を破ったのは晴だった。狐に関する事情を知っている彼は、やはり察してくれた。
「俺もそういうのあんまり考えられねーし。少なくとも妹が大きくなる日までは」
「……妹さんが結婚相手を連れてくる日まで?」
「は? 連れてきたら相手をしばくけど」
「それだと君も妹さんも一生結婚出来ないぞ……」
診察室の黒電話が鳴った。
小鳥遊が受話器を取る。
(……?)
二郎はすぐに違和感を覚えた。聞こえてくる小鳥遊の口調がおかしい。いつもと違う。彼女は、明らかに動揺していた。
「晴!!」
小鳥遊が叫ぶように呼んだ。
「大変だ! 花ちゃんが……っ」
––––––––
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