晴の妹(中)
一度ではなく何度も何度も。この場にいる全員が一斉に、診療室のドアを見た。けたたましい音の発生源はそこだった。外側から誰かが激しく叩いている。
晴が丸イスから立ち上がって、二郎を奥の部屋に引っ張っていく。
「ここでいろ。じっとしておけよ」
それだけ言い残し、晴は診察室に戻っていった。
「……誰だろう? まさかギャングでしょうか?」
『……。いや、それにしては〝気配〟が小さいな』
医学書ばかりの本棚に段ボールの山、質素な机とイスが置かれた部屋で、二郎と梟は小声で話す。
じっとしておけと言われたが、こうも物々しい空気だとそうもしておられず、暖簾の隙間から診察室をそっと窺う。
荒々しい訪問者に応えようとした小鳥遊を晴が無言で制し、彼がドアを開ける。
すると、
「お兄ちゃん!!」
聞こえてきたのは、この場に全く似合わない可愛らしい声だった。
女の子だ。
年齢は恐らく10歳くらい。金色の髪に、晴と同じ焦茶色の大きな瞳。桜色パーカーに、紺色の短いズボン。
「……って、花!?」
「花ちゃん!」
晴と小鳥遊がほぼ同時に少女の名を呼んだ。
(あの子が、晴の妹……)
少女は両目からぽろぽろと涙を落としている。嗚咽を数回繰り返して、晴に抱きついた。
「うわああん!! よかった! お兄ちゃんが生きてたーーーーっ!!」
「は? 何言ってんだ?」
「今日、男の人が死んでたって、聞いて! その男の人はまだ若くて、作業着を着てたって! だから私、もしかしたらお兄ちゃんのことかと思ってっ、う、ひっく」
「……それで、じーちゃん達の家から飛び出してきたのか?」
梟が〝じーちゃん?〟と不思議そうに呟く。
二郎は以前に晴から聞いたことを説明した。晴は妹とアパートに暮らしていて、隣の部屋には老夫婦がいる。彼らは信用出来る人たちで、晴が家にいられない日は、妹の面倒を見てもらっているらしい。
「お前1人でここまで来たのか? 危ないだろ!」
「だ、だって!」
「1人で外を歩くなって何回言わせんだ!」
「その子は1人ではありません。私も一緒にいました」
一旦は和らいだ緊張感が、再び蘇っていくのを二郎は肌で感じた。
花が叩いていたドアの向こうには、花以外の人物がいた。
「
晴が口にした名前。
ギャング〝青藍〟のリーダー、
愛は、二郎が最初に見た日と同じ様子だった。肩まで伸ばした空色の髪に、中華風の模様が刺繍された白い服と、青色のロングスカート。それから、オロオロして自信が無さそうな顔つき。初めて聞いた声もやはり弱々しい。
「何でアンタが……?」
「よ、余計なお節介でしたら申し訳ありませんっ! 偶然、花ちゃんが泣いているのを見つけて、つい気になってしまって……。」
「……アンタは1人なのか?」
「いいえ、お姉ちゃんが護衛の方たちを付けてくれていました。……でも彼らは、私を心配するあまり、〝子供に関わっている場合ではない〟と反対されて……。それで、その……撒いてきました」
愛は恥ずかしそうに顔を赤くしながら答えて、
「で、では、私は護衛さんたちのところに戻ります! 失礼しました!」
頭を下げて小走りで去っていった。
「……いつ見ても、ギャングらしくない娘だ」
小鳥遊の言葉に、晴は首を横に振った。
「油断できねーよ。現の妹なんだからな。……ほら、花。帰るぞ」
「……うん」
「……もう泣くな。余計ブスになるぞ」
「っ! ブスじゃないもん! 普通だもん! お兄ちゃんのバカーーっ!」
まだ泣き止んでいない花と手を繋いで、晴は外へ向かっていく。
「30分くらいで戻ってくるから」
ドアが閉まる寸前、晴が言った。小鳥遊ではなく、自分に向けられたメッセージなのだと、二郎は察した。
「……厄介なことにならないといいけど」
不意に小鳥遊が独り言を漏らした。暖簾をくぐって、二郎は尋ねる。
「厄介なこと……ですか?」
「あぁ。何故か北条現は晴をえらく気に入っていて、自分のチームに入れたがっている。今のところ、晴は上手く距離を置いているようだが……。今回、愛に〝借り〟を作ってしまった。影響がなければいいのだけど」
二郎は、先ほどの少女を思い返した。
あの子の、晴が生きていると確認した時の顔。止まらない涙。
きっとあの子にとって〝晴の命〟は〝自分自身の命〟と同じなのだ。
あの子にとって晴……兄は〝世界〟なのだ。
兄がいなくなれば、自分の世界は終わってしまうと信じているのだ。
(あの子は、僕に似ている)
二郎も、死んだ父に頼っていた。命の、世界の、精神の支えだった。
(彼はずっと、この町に住み続けるのだろうか?)
自分は13丁目からは逃げられない。けれど、彼には選択肢があるはずだ。
『……おい。次男坊』
「はい」
二郎の思考を遮ったのは梟だった。
『さっきの愛という娘。髪色が派手だったな。人間らしくない。まるで妖の髪のようだ』
「人間は〝へあからー〟という道具を使って、自分の髪を好きに染めることが出来るそうです。僕も最初は驚きましたが、この町には金や銀、青に橙と、奇抜な髪色を持つ人が多いです」
(……いや、髪色だけではないぞ)
あの愛という少女。
そこもまた、人間らしくない––––。
(次男坊は気づいていない。あの生意気なガキのことで頭がいっぱいか)
まぁ自分に害が無ければ良いと、梟はそれ以上は何も話さなかった。
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