おじいさん(4)

「てめぇが勝手に桜郎のこと言ってんじゃねぇよ!」

『む? お前、近衛桜郎を知っているのか?』

「うるせぇ!!」

 

 床に刺さったままの羽根を、晴が手に取った。羽根の根元はナイフと同じくらいに尖っている。梟がまた嘲笑う。


『やめておけ。妖は近衛家の血を使わないと殺せぬ。お前のような普通の人間でも倒せる妖は、この世にたった1体しかおらぬ』

「あぁ? 1体だぁ?」

「……〝コウ〟と呼ばれる妖だよ」


 眉を顰める晴の疑問に答えたのは、二郎だった。いつの間にか短刀を持ち直し、立ち上がっていた。


「〝狐狗狸こっくり〟という言葉を、君は知っているか?」

「え? あぁ、一応は」

「そのうちの真ん中の漢字、〝狗〟。一説では犬の姿を持つ妖だと言われているけれど、誰も姿を見たことがない。僕の祖先でさえも遭遇していない」

「じゃあそいつはどこにいるんだよ?」

「分からないんだ。所在も存在も。狗は謎に包まれている。––––狸は〝人間の肉〟と〝人間の命〟を食う。狐は〝人間の罪〟と〝人間の寿命〟を食う。けれど、狗が何を好んで食べるのかは伝えられていない。唯一の情報は、狗には何故か近衛家の血が効かない。狗を殺せるのは、近衛以外の人間だということ」


 静かに説明しながら、二郎は晴の前に立った。それから晴の手から羽根をそっと取り、梟と真っ直ぐに向き合う。

 二郎の左目は相変わらず真っ黒だが、もう虚ではなくなっていた。この羽根を晴が持った時、羽先が二郎の鼻の近くを通った。そして、に気づいたからだ––––。


「ここはゴミが多くて、悪臭がすごい。だからすぐには気が付かなかった。……おじいさんの羽根からは伝染病の匂いがする」


 羽根を嗅ぐ二郎に、梟の双眼がピクリと揺れ、晴は〝何だそれ?〟と尋ねてくる。


「妖が罹患する病気だよ。独特の腐臭を持つ」

『あぁ、その通りだ。私は老いている上に、病にかかっている。お前のような腑抜けでも、すぐに殺せるぞ?』

「……僕は、おじいさんを殺しません。貴方からは、狐や狸みたいな邪気は感じられないから」

『何?』

「近衛の屋敷に行きませんか? 屋敷には薬があります」

『……なんだと?』



 これまでずっと高圧的に話していた梟の声に、初めて驚愕が入り混じった。



「この病は、。貴方は13丁目に暮らす妖たちの身を案じて、10丁目に来たのではありませんか? 誰もいないこの教会で、1人で死を待っていたのではありませんか? 貴方の病は治るのに」

『……私を救おうと? お前に何の利がある? 何が目的だ?』

「助かる命を無駄にしないでほしい。父のように死なないで欲しいだけです。それが僕の利であり、目的であり……願いです」


 二郎が短刀を着物の袖の中に入れる。

 その間、梟は二郎を信じられないものを見るような目で凝視していた。さらにその梟を見ていた晴が、小さく嘆息する。


「この人の家に連れてってもらえば?」


 ぶっきらぼうに言われ、梟はハッとした。


「てめぇはムカつくけど。10丁目じゃ病院に行きたくても行けねぇ奴ばっかだ。こうやって縁が有ったってことはたぶん、てめぇはまだ死ぬ時じゃねぇんだろ」

『……!』



 もうじき、あの世から迎えが来る。

 それまで深く眠り、静かに夢を見ていよう。


 でも驚くことに、近衛の人間がやって来た。

 ちょうどいい。

 もういっそ、挑発して、怒りを買って、殺してもらおう。



『……と、思っていたのだがな』


 梟は床に降りて、


『おかしな小僧どもだな』


 翼と瞳を、そっと閉じた。


 


 

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