おじいさん(3)

 いわく付きと教えられた教会の懺悔室から飛び出してきたのは、人間の言葉を話す梟だった。


「やはり妖か……!」


 晴を安全な場所へ逃がさなければ。

 二郎がそう判断した矢先、



「ここに溜まってたホームレスが出ていったのは、こいつが原因だったってことか?」



 と、晴が言った。

 二郎は驚いた。梟を見上げる晴の表情には動揺も恐怖も無かった。その顔立ちと声にはいつも通りの不機嫌さと、意外なほどの冷静さが有る。


「……君は、妖を見るのは初めてじゃないのか?」

「? 初めてだけど?」

「……」

「つか、どうして妖が10丁目ここにいるんだ?」

『それはこちらのセリフだな。何故、近衛の小僧が10丁目こんなところにいるのだ?』


 宙に停止したまま、腹話術ふくわじゅつのように鬱金色のくちばしを閉ざして話す梟。


 二郎は訊き返した。


「貴方は僕を知っているのですか?」

『近衛の血は、匂いで分かる。妖を殺す忌々しい血。それにその顔に巻いた包帯は、かの有名な次男坊であろう?』


 梟はゆっくりと下降し、二郎の目線の高さに近寄ってきた。

 

『お前の一族は排他的で、閉鎖的。外に出るのは禁じられているはず。なのに、こんなゴミのような町で、下品なガキと何をしている?』

「あ? てめぇ、焼き鳥にすんぞ……うぐっ!?」


 晴の口が、二郎の左手で塞がれた。


「妖の口車にのってはいけない。本当に殺されるぞ。君が死ねば、妹さんはどうなる?」

「––––」


〝妹〟という言葉が出ると、晴はおとなしくなった。そんな2人の様子に、梟は〝ほう?〟と首をかしげる。


『お前たちはどういう関係だ? もしや〝友達〟か?』

「……それは……」


〝友達〟という定義を知らない二郎は言い淀んだ。

 しかし梟は彼らの関係性を勝手に断定したようで、クスクスと笑った。聞く者に不快感を与える笑い方。それに呼び起こされたかのように、祭壇場に転がったダンボールの中から、黒ずんだ丸い物がふよふよと浮いてきた。

 二郎と晴が探していたサッカーボールだった。


『次男坊よ、狐殺しはどうした?』

「!!」


 二郎の心臓が大きく反応し、一瞬で背中が冷たくなる。


『一族の宿敵である狐を倒しもせず、ボール遊びか? ん?』

(あ……)


 右手に持っていた短刀が落ちた。床と短刀がぶつかる金属音が響くと同時に、二郎の両膝も崩れる。晴はギョッとした。


「おい、大丈夫かよ?」

「き……ね」

「は?」

「狐を、殺さない、と……、でも、でも……、もう父さんが……、守らないと、家族を…、狐……きつね、」


 二郎の呼吸がだんだんと荒くなっていき、肩が上下に動く。短い息と息の合間に聞こえる声は、ひどく弱々しかった。

 梟の笑みが失せ、怪訝そうな表情になる。


『どうした? まさかお前は狐が恐ろしいのか? 巷の噂では、次男坊は歴代で最も強い力を持っていると聞いたが』

「……ちから……」


〝力〟という単語が、力無ちからなく呟かれる。

 その刹那。

 梟の横を浮遊していたボールが二郎に向かって勢いよく飛んできた。


 梟の攻撃はこれで2度目だった。さっきは晴に向かって羽根を飛ばしてきて、それを二郎が守った。


 今度は、逆だった。何かに捉われたように動けなくなっている二郎の前に晴が立った。

 晴はボールを受け止めようとしたが叶わず、跳ね返ってどこかへ転がっていく。両手に走る強い痛みに、晴の端正な顔が歪んだ。


「……いってぇな」

『ふん。に守ってもらうとは、情けない』

 

 虚になった二郎の左目を、梟は瞳を細めて睨みつけた。


『息子がこんなザマでは、近衛桜郎も浮かばれないだろうな。哀れな男よ』


 一層、胸を深く抉るその言葉に。

 その名前に。

 開口したのは、


「黙れ!」


 晴だった。


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