おじいさん(2)

「うっわ。荒れてんな」


 ヤンキー……晴が眉を顰めた。


「……臭い」


 和装の少年……二郎は、羽織の袖を鼻に当てる。


 外も汚かったが、教会内はもっとひどかった。

 足場など、ほとんど無い。酒の瓶、灰皿、黒い布、寝袋、衣類らしき布、裸の女性が表紙になった雑誌。挙げればキリがないほど、多くの種類のゴミが床に転がっている。信者が祈りを捧げる長椅子はランダムな方向に配置されており、さらに足場を悪くしていた。

 とにかくグチャグチャだ。二郎は、まるでゴミ箱に放り投げられた気分になった。


「この中からボール探すのかよ。だる」


 晴が小さくぼやいたのと同時に、二郎はハッとなった。


(……この匂いは)


 ゴミの腐臭の中に、微かに紛れ込んだもの。

 それは、


(妖の匂い……!?)


 13丁目ではありふれた感覚。

 最初は勘違いかと思ったが、誤りではない。意識を集中させるほど、その独特の気配は二郎の脳へ届いてくる。


(方角は……北か)


 教会の北側は、祭壇だった。そこには何故か、大人ほどの背の高さに積まれたダンボールが、幾つも並んでいた。礼拝堂がゴミ箱なら、祭壇は倉庫のようになっている。

 ダンボールで出来た柱と柱。そこの隙間に、二郎は目を凝らす。

 すると〝懺悔室〟と書かれたプレートが見えた。

 祭壇の奥には懺悔室があるらしい。


(あそこに妖がいるのか……?)


 どうして13丁目ではなく、10丁目に?


(確かめなければ)


 二郎は胸元に仕込んだ短刀に手を伸ばし、北側をじっと見据える。

 晴は二郎の様子の変化には気づかず、彼に話しかけた。


「仕方ねぇな。ボールは手分けして探そうぜ」

「……分かった。僕は北の方向を見てくるから、君は南と東と西を頼む」

「〝手分けして〟って言葉の意味を知ってるか? 何で俺の負担がデカいんだよ!」

「……こっちは、危ないから」

「は?」


 二郎は声を潜めて、妖のことを晴に伝えた。


––––伝えているうちに。

〝考えていたこと〟を声に出していくうちに、二郎はだんだんと〝違和感〟を覚えていった。


(……落ち着け)

 

 震えているのだ。短刀を握る右手が。


 父が目の前で狐に殺されて以来、二郎は低級の妖を狩ることさえ出来なくなった。力はあるのに、心がついていかない。


(ダメだ。怯えるな)


 もし悪い妖ならば倒さなければならない。

––––1人で、戦うのだ。

 父はもういないのだから。


(大丈夫だ。出来る。出来る……!)

「つーか、このダンボール、くそ邪魔だな」


 唐突に思考に割り込んできた声と音に、二郎は我に返った。

 唖然とする。晴が文句を言いながら、ダンボールの柱を足で盛大に崩していたのだ。


「な、何をして」

「あ? 向こうに妖がいるんだろ?」

「え、あ、うん」

「あんた、そこに行くんだろ?」

「……そう、だけど」

「一緒に行ってやんよ」

「……」


 想像もしていなかった発言に、二郎は開いた口が塞がらなかった。

 その口がようやく動かせるようになったのは、晴が4つ目の柱を蹴ろうとした時。


「やめろ!」

「っ! 何すんだよ!」


 二郎に羽交締めにされ、晴は暴れる。両者の筋力はあまり変わらないようで、離れたり捕まえたりを繰り返した。


「離せや!」

「妖は、ギャングや不良とは違う。君では倒せない! 殺されるぞ!」

「ハッ、強がってんじゃねーよ。震えてたくせによ!」

「!」


 バレていた。

 晴には、右手が見えないようにしていたのに。


 二郎は急激に恥ずかしくなったが、動揺する時間はたったの数秒しか与えられなかった。

 咄嗟に晴の両肩を掴んで、引きずり倒す。

 晴は背中を床に打ちつけたが、彼もまた痛がっている暇は無かった。


 晴が今さっきまで立っていた場所に、羽根が突き刺さっていた。

 色は焦茶、模様は縞々、長さはおよそ20センチ。

 


『……あぁ、やかましい』


 

 礼拝堂に木霊する、年老いた声。さっき会った老人男性に似た声質。


 残っていたダンボールの全てが、次々と勝手に崩れていく。

 ほこりが二郎と晴の視界を覆い、鼻と喉を突いて息苦しくさせる。


 しばし経って、彼らの目に映ったものは––––。



『消えろ、ガキ共。殺すぞ』



 両の羽を広広と開いた、ふくろうだった。

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