おじいさん(1)

 籠を背負った老人が、教会の敷地内を歩いていた。右手に持った長いトングで、落ちているゴミを黙々と拾っていく。


 この教会はずっと昔に建てられた。

 そして、潰れた。


 慈善活動をしていた貴族が、荒廃した10丁目を宗教の力で変えようとしたのだ。しかしギャングの嫌がらせと脅迫に耐えられず、わずか2年で活動は終わった。


(馬鹿だよなぁ。この町の人間は、神なんて信じないのに)


 落書きだらけの外壁、割れたステンドガラス。枯れた樹木。

 敷地内に散乱したゴミは、ここを住処としていたホームレスたちが残したものだ。彼らの不信心のおかげで、老人は「ゴミ拾い」という日雇い仕事を貰えた。

 満足だった。何故なら、日給がすごく良いからだ。


(ここは、だからな。誰もやりたがらないから、雇い主が金を弾んでくれるんだよなぁ)

「ふざけんなよ!」


 トングで空き缶を拾おうとした瞬間、いきなり怒鳴り声が聞こえ、老人はギクリとした。

 足元のゴミばかりを追っていた目線を上げると、教会の角が見えた。あの角を曲がった先には、確か広い庭がある。


 老人は静かに近づいて、そっと角の向こうを覗いた。


 庭には、まだ10代後半の少年が2人がいた。


 一方は鮮やかな橙色のツナギ姿で、見るからにヤンキー。きっと10丁目の住人だ。


 もう一方は深い青色の羽織を纏った、見るからに金持ちそうな子供。間違いなく外の町から来た人間だ。


 ちぐはぐな光景だった。全く釣り合っていない彼らは、5メートルほどの距離を置いて、向かい合っている。


「俺のこと舐めてんのか? あぁ、コラ!?」

(あぁ、ヤダねぇ)


 あの和装の少年には悪いが、助けることは出来ない。10代のヤンキーに、自分のような爺が叶うはずがないのだから。


(お前さんたちが喧嘩してる理由は分からないけどさ。自分の身は自分で守ることが、10丁目の法則なんだよ。俺はこのまま帰らせてもらうよ)

「サッカーは足でボールを蹴るって何回も言ってんだろーが!! なのに何で俺が蹴ったボールを普通に手で受け止めて、普通に投げ返してくるんだよ!?」

(って、えーーっ!?)


 老人の足が思わず止まる。踵を返して、再び彼らを覗く。


 顔に青筋を浮かべるヤンキーに、和装の少年は無表情で口を開いた。


「……足で物を蹴ったら、〝行儀が悪い〟と一郎兄さんに叱られる……」

「いや、サッカーは蹴っていいんだよ! あんたがこの前、〝サッカーって何?〟って訊いてきたから教えてんだろうが! 兄ちゃんじゃなくて、俺の言うこと聞いてくんない!?」

「……ごめん」 


 サッカー? 教える?  

……は?

 あの2人、どういう関係なんだ!?


 老人が密かに混乱していると、ヤンキーは自身の髪をクシャッとした。


「あーあ。しかもあんたが投げたボール、教会の中に入っちまったし」


 ヤンキーの後ろには、教会の大きな窓があった。しかし窓と言ってもガラスの部分は完全に失せており、窓枠だけとなっている。


「ったく、どこ狙って投げてんだよ」

「本当にごめん。責任を持って、探す。そして次は、きちんと君の首を狙う」

「何で首なんだよ!?」

「生き物と対峙する時は、〝相手の首を斬れ〟と父さんが言っていた」

「俺が言うのも何だけど、物騒な教育受けてきたんだな!?」


 ヤンキーが窓枠に足を乗せる。すると和装の少年も窓の方へと駆け寄って行く。


「ま、待て!」


 老人は無意識に角から飛び出して、彼らを引き止めた。ヤンキーは〝あ?〟と気怠そうに首を傾げ、和装の少年はやはり無表情で見返してくる。


「ここに入るのはやめておけ! 知らないのか? この教会は〝〟なんだぞ!」

「?? 〝いわし〟付き……?」

「いや、ガチで聞き間違いすんなよ」


 ヤンキーは和装の少年に突っ込むと、老人へ向き直した。


「それくらい知ってるって。ここ、〝幽霊〟が出るんだろ?」


 老人は頷く。


「あぁ、そうさ。単なる噂じゃないぞ? 教会の中で、実際に奇妙な気配を感じたり、うめき声を聞いた奴らがいるんだ。昔はホームレスたちの溜まり場だったけど、今じゃ誰もいなくなっちまった。あまりにも気味が悪いから、ギャングさえ近寄らない場所さ」

「くっだらねぇ。幽霊より、、よっぽど怖ぇよ。あんたはそう思わねーの?」

 

 老人を一蹴し、ヤンキーは軽やかな動きで窓枠を超えた。


「それは……」


 その通りだが……。


 モゴモゴと言い淀んでいる合間に、彼らの姿は消えていった。

 老人はしばらく立ち尽くした後、溜め息を吐いた。

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