八つ当たり(11)
「さっかーって、何?」
声になって出た言葉は、全く違ったものだった。
(……あれ?)
自分は何と言った?
二郎は自身の発言にわけが分からなくなり、二の句が継げなかった。晴もポカンとしていた。
「ご、ごめん」
もう何度目になるか分からない謝罪をする。気恥ずかしくなって晴から目を逸らすと、車掌が懐中時計をチェックしているのが見えた。
「サッカー、知らねぇの?」
その声に、二郎は再び視線を戻す。晴はベンチから腰を上げて、車両の方へ来ていた。
「し、知らない……。13丁目には、そんな遊びは無い」
「えっと、ほら、ボールを足で蹴るやつだよ」
「??
「いや、逆に蹴鞠を知らねーよ」
「申し訳ありません。そろそろ出発しますね」
車掌が穏やかに2人の会話を遮り、扉に手を触れる。
––––が、閉じ始めた扉を、晴が右手で強引に抑えた。
危険な行為に、車掌の顔つきがサッと変わる。
「お客様! 何をするんですか!?」
車掌を無視して、晴が口を開いた。
「次に会った時に教えてやるよ。サッカーの遊び方」
「っ!」
晴の薄い茶色の瞳が、二郎の真っ黒の左目をまっすぐに見る。光さえも拒絶しそうな濃い黒色が数瞬、強く揺れた。
「危険ですのでやめてください!」
「〝次〟って、いつ?」
二郎の耳に車掌の注意は届いていなかった。無意識に扉へ手を伸ばし、閉まらないよう阻害し、晴に問う。
「ちょっと君たち! やめなさい!」
「土曜日!」
「土曜日?」
「俺の仕事、土曜日が休みだから!」
「で、でもそんなに頻繁には家を出られない! 今日も、皆にはバレないように出てきたから……! あ、けど、月に1度くらいなら!」
「じゃあ月1で来い!」
辺りには、発車を知らせるベルがけたたましく鳴り渡っていた。まるでそれに抗うように2人は声を張った。
「ここで待ってる」
晴がそう言った次の瞬間、
「いい加減にしなさい!」
車掌が、晴と二郎の手を無理やり扉から引き離した。その勢いで二郎はよろけて、晴は駅に尻餅をついた。
扉が閉まる。お互いの姿が見えなくなる。
車掌は鍵をかけると、怒りを露わにした足取りで歩いて行った。
汽車がゆっくり進み出すと、二郎は1番近い席に座った。
片手を口元に、もう片方の手を胸部にあてる。こうでもしないと、バクバクと飛び跳ねる心臓が、口か胸のどちらかを突き破って出てきそうだった。
(……〝約束〟した?)
屋敷に閉じこもって暮らす二郎にとって、家族以外の者と約束を交わすのは、生まれて初めてだった。
(そうだ、約束したんだ)
月に1度と咄嗟に言ったものの、果たせるだろうか。
彼は本当に待っていてくれるだろうか。
美味しいものを食べても、透きとおった青空を見ても、好きな本を読んでも、ここ数年は心が動くことがなかった。なのに今は、あらゆる感情が激流のように押し寄せてくる。
久々に覚えた感覚への対応が分からずに、二郎はただただ、動悸と顔の熱さに耐えていた。
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