八つ当たり(5)
教会を出てから15分ほど、晴と二郎は無言で歩いた。
そうして着いた先は、古びたアパートばかりが並ぶ住宅街だった。病院は、そのうちの一角にあった。
『小鳥遊産婦人科』
背の低い立て看板にはそう書かれていた。
外観は鉄筋の一軒家と変わらず、ぼうっと歩いていたら見逃してしまいそうだった。
晴はドアノブを回し、引いた。同時にドアの上部に設置されていた鐘が軽快に鳴り、次の瞬間には消毒液の匂いがツンと鼻を掠める。
院内は8畳ほどの広さだった。向かって右側にベッドと薬棚、左側に机と丸椅子。そして奥側にもう1つ部屋があるが、長い暖簾がかかっているため中は見えない。
「晴!?」
暖簾がハラリとめくられた。顔を出してきたのは40代前半の女性。ふんわりとした黒髪のショートカットに、少しくたびれた白衣とジーンズを着ている。女性にしては背が高く、晴や二郎と目線が同じくらいだ。
晴は女性に手を振った。
「よぉ、先生」
「って、唇を怪我をしているじゃないか! またケンカをしたのか?」
中性的な話し方をしながら、女性は晴に近寄る。
と、二郎の存在に気がついて目を丸めた。
「……えっと、誰かな? 晴の知り合いか?」
「いや、全然」
「?? では、彼は何なんだ?」
「俺の財布」
ゴンッ––––と、強い音がした。女性が、晴の頭頂部に思いきりゲンコツを落としていた。
「
「あぁ、そうだ、お前はイタイ人間だ!
「だって今日の治療費は、この人が払ってくれるって言ったんだよ!」
「だからといって、そんな言い方があるか! それに
「医者が患者に暴力振るうなよ……」
「まったく! 赤ん坊の頃は天使のように可愛かったのに!」
女性は天を仰ぐ仕草をした後、二郎にお辞儀をしてきた。
「初めまして、私はここの院長をしている
「……初めまして。近衛二郎と申します」
二郎も頭を下げると、小鳥遊は申し訳なさそうに笑った。
「このクソガキが……あ、言い間違えた。この晴が失礼なことを言ってすみません。このクソガキには……あ、言い間違えた。この晴には私から注意をしておくので」
「同じところ2回間違えるなよ!」
丸椅子に座りながら晴が言う。小鳥遊は無視をして、薬棚を開けた。
「なぁ。いつもより高い薬、使ってくれよ。この人、たぶん金持ちだから」
「やかましい。
ニヤニヤする晴に、小鳥遊は呆れ顔をする。
ここに来てから、晴の表情は和らいだ。ギスギスした口調も軽くなっている。小鳥遊とは親子ほど歳が離れているが、纏う空気は親しい友達のようだ。
「お前のことだ。何か事情があったのだろうが、できれば喧嘩はするな。花ちゃんを心配させるんじゃない」
「はいはい」
〝花〟。
それが晴の妹の名前であると、二郎は何となく直感した。
(どんな子なのだろう?)
彼が育てているということは、彼に似ているのだろうか。だとしたら、けっこう荒っぽい女の子では……。つい、そんな失礼な予想をしてしまった。
小鳥遊は晴の唇に出来た傷を消毒し、小さなガーゼを貼る。治療はあっという間に終わり、二郎は懐から財布を出した。外の世界を知らないので相場は分からないが、小鳥遊が出した請求額は恐らく良心的なものだった。汽車の切符代よりもずっと安い。
ちょうど会計が終わった時だった。
カランコロンと、ドアの鐘が慌ただしく響いた。
「せんせー、助けてー!」
「転んだー!」
「川に落ちちゃったー」
来たのは、3人の男の子だった。みんな10歳くらいで、膝小僧から血を流していたり、顔中を泥で汚していたり、全身がびしょ濡れになっている。
小鳥遊がため息を吐いた。
「……やれやれ。今日はやんちゃな子が多いな」
「夏休みの時期は毎年、大変そうだな。ガキのお守りで疲れね?」
他人事のように漏らした晴の頬を、小鳥遊はギュッと摘む。
「お前が言うな。……あー、こら! そこで服を脱ぐんじゃない。タオルと着替えを貸してあげるから、こっちに来なさい」
3人を連れ、小鳥遊は奥の部屋に入っていく。
彼らがいなくなると、二郎と晴の間には、自然と沈黙が降りてきた。
二郎は一気に気まずさを覚える。
教会から病院までの道中も言葉を交わさなかったが、それはまだ平気だった。外だと、建物や空を見ていれば気を散らせたからだ。
しかし今のように狭い空間だと、どうしてもお互いの存在に意識が行ってしまう。
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