八つ当たり(3)

「お兄さん! ほら、晴だよ!」

「……」


 二郎は閉口した。


、晴?)


 思わず固まる。晴は、二郎がこれまで見たことがない種類の人間だった。


 茶色の髪と、同色の瞳。耳に付けた多くの装飾具。上下が繋がった橙色のダボダボした服を着ていて、上の部分は脱いで腰に括り付けている。


 そこまではいい。


 二郎が言葉を失った原因は、彼が煙草を吸っていたからだった。未成年なのに、白昼堂々と喫煙している。傍には黒い水が半分入ったペットボトルが置かれ、吸い殻が浮いていた。


「やっほー! 久しぶり!」


 手を振る佐綾。

 晴の口から煙が吐き出される。それから少しの間を置いて、



「それ、誰?」



 短く訊いてきた。

 開口一番のその声は、ひどくぶっきらぼうだった。



「晴に会いたがってる人だよ! 駅でたまたま会ったから連れてきたの」


 佐綾が晴の隣に座る。彼女は頬を染め、手をモジモジさせていた。

 煙草に驚いて気づかなかったが、よく見ると晴は確かにキレイな少年だった。少々目つきは悪いけど、役者にでもなれそうな整った顔立ちをしている。佐綾は彼に好意を寄せているのだろう。


「晴の知り合いなんでしょ?」

「いや、知らねぇよ」

「え? でもお兄さんの方は、晴のこと知ってるみたいだよ?」


 コテンと可愛く首を傾げた佐綾に見向きもせず、晴は二郎をじっと眺めた。


 警戒しているのか、機嫌が悪いのか、それとも元々こういう性格なのか。せっかくの端正な顔は、恐ろしく無愛想だった。


 ややあって、晴は何かを思い出したように〝あ〟と呟いた。


「分かった。その格好はアレだろ。あんた、桜郎ろくろうの息子か?」

(っ!)


 その名前に、二郎の心臓が跳ね上がった。


「……そうです」


 ぎこちなく口を動かし、肯定する。


「へー。で、桜郎は? 本人はどこ?」


 今度は、紐でギュッと縛られたような感覚が心臓に走る。

 息苦しい。

 晴が持っている煙草の小さな火が、あの日の狐火の記憶に繋がる。

 喉が渇いてくる。声が出しづらい。


「と、父さんは、」


 それでも、伝えなければならない。

 この少年は、父の大切な知人なのだから。


「父さんは2年前に、死にました」

「あ、そう。桜郎って死んだんだ」



––––二郎は、信じられなかった。


 二郎が必死に出した言葉に対し、晴の反応はあまりにも軽く、薄かった。


 何よりもこの男––––笑ったのだ。


 あんなに無愛想だった口角が一瞬だけ吊り上がったのを、二郎は見逃さなかった。


「そりゃご愁傷様。で? あんたはここに何しに来たの?」


 くらりと、眩暈がした。


(……僕は、何のために来た?)


 あぁ、そうだ。

 ただ漠然と、10丁目に暮らす母子に会いたいと思ったのだ。思うがままに家族を欺いて、屋敷を抜けてきた。

 そう伝えようとしても言葉にならない。自分と彼の間に感じる圧倒的な温度差に、思考が散乱していく。


 父の死を知っても、彼はちっとも悲しそうではない。どうしてなんだ。父と彼は、どういう関係だったのだろう。



「……なんだ。たいした知り合いじゃなかったのね」



––––冷えた声音が聞こえたのは、その時だった。


 直後、バタバタと複数の足音が聞こえてくる。


 ハッと振り返ると、背後に3人の男たちが立っていた。全員が鉄パイプを持っている。


 視界を佐綾に戻すと、彼女は愉しそうに笑っていた。


「ねぇ、晴。知り合いじゃないなら、やっちゃってもいいよね?」

「……こいつら、誰?」

「うちの友達だよ! 駅からずっと後ろをついて来てたの! もちろん晴にも、お金は分けてあげるからね!」


 晴の質問に、佐綾が胸を張る。

 二郎は瞬時に悟った。自分が嵌められていたことを。彼女もまた金目当てだったのだ。


「きゃはは! お兄さんに良いこと教えてあげる! 10丁目で無料ただで貰えるものは〝空気〟だけよ! 善意なんて求めたらダメ!」


 さっきまでの優しい佐綾はもういなかった。

同一人物とは思えない歪な笑顔で、二郎をバカにしたように言い放ってくる。周りの男たちはクスクスと嗤っていた。


「案内料は要らないから、授業料を貰うよ! あんたの財布と、高く売れそうなその羽織ね! 大丈夫よ、帰りの汽車代くらいは残してあげるから!」

(……やるか?)


 妖に比べたら、人間を倒すのは容易だ。羽織の下に忍ばせた短刀を取ろうとすると、


「ははははっ!!」


 膝を叩いて笑い始めた者がいた。––––晴だった。


「お前らサイコーじゃん!」

「!!」


胸が深く、抉られた気がした。


(こんな奴だったのか……!)


 佐綾の裏切りが霞むほど、晴の言動は二郎をズタズタに傷つけた。





––––〝そいつの名前は『晴』。歳はお前と同じだ。性格は全く違うが……友達になれるかもしれない〟





 何故、父はあんなことを言ったのか。



「じゃあ、みんなでやっちゃおー!」


 佐綾の合図で、男たちが一斉に動いた。



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