八つ当たり(2)
10丁目に到着した。
汽車の扉が開いた瞬間、二郎が抱いた第一印象は、
(……汚い)
良いものではなかった。
降りるのを一瞬躊躇うくらい、10丁目の駅は荒れていた。
コンクリートの床には黒い汚れがこびりつき、紙屑やビニール袋があちこちに落ちている。駅の屋根を支える柱には、下品な色合いのチラシが大量に貼られていた。
そして、
「お兄さん、どこに行きたいの?」
「町の案内なら俺に任せろ」
「いや、こっちに来いよ。俺の方が詳しいぜ」
うるさかった。
汽車から一歩降りると、数人の男たちが寄ってきて我先にと話しかけてきたのだ。
「気をつけて。奴らの目当ては〝案内料〟だ」
背後から車掌が囁いてくる。
(そうか。これは親切心ではなく、金が目当てなのか)
そういえば彼らの目はやけにギラついている。正直良い気はしなかったが、1人で見知らぬ町は歩けない。
「……では、お願いしてもよいですか? 〝晴〟という名の人間に会いたいのですが」
「はいはい! 晴なら知ってるよ!」
随分と可愛らしい声がした。
そうかと思えば、男と男の間を割り込むようにして、誰かが輪に入ってくる。
現れたのは少女だった。黒髪のロングヘアに、簡素なワンピース。年頃は二郎と同じくらい。
「うちの名前は〝
佐綾と名乗った少女は、まずは晴の年齢を言い当てた。次に、彼に歳の離れた妹がいること。父から教えられた情報と一致していた。
「では、貴女にお願いします」
「オッケー!」
「君、待って!」
車掌が慌てたように、二郎に声をかけてきた。
「気をつけて! 危険なところへ行ってはいけないよ!」
扉が閉まる寸前まで、彼はそう繰り返した。車内にいる間もずっと引き止めてきた。
(家族でもないのに、どうしてあんなに心配してくれるんだろう?)
二郎が不思議に思っていると、佐綾は八重歯を見せて笑った。
「行こう! 晴は教会にいるよ!」
–––––––
駅同様に、10丁目は町並みも
駅周辺には鉄筋の建物が並んでいるが、大半のガラスや看板が壊れていた。建物の前の歩道は
(これが、外の世界……)
13丁目にも市場があるが、雰囲気が全然違う。
13丁目には祭のような賑やかさがあった。だけどここは、店の多さの割には〝活気〟が感じられない。辺りを漂う空気には、どこか鬱屈とした仄暗さがある。
佐綾が苦笑いを浮かべた。
「お兄さんの格好はどうしても目立っちゃうね。それ、着物ってやつでしょ?」
「……皆は僕の顔ではなく、服を見ているのですか?」
二郎は、てっきり顔の包帯が悪目立ちしているのだと思っていた。
「この町は怪我人が多いから、誰も包帯なんて気にしないよ。それよりも、珍しくて高価そうな服の方が注目されるわ」
佐綾の口元が上がり、また八重歯が見える。よく笑う子だと、二郎は思った。
「あ! 最初に言っておくけど、うちは案内料とか要らないからね」
「……要らないんですか?」
「晴の友達からお金は取れないよ!」
「いや、彼と僕は、友達ではなくて」
言いかけている途中、いきなり大柄な商人が目の前に来た。それから〝店に寄っていけよ〟と二郎の肩を掴んでくる。
佐綾は、すぐに商人を引き剥がした。
「ダメ!あっち行って!」
「あぁ? 何だコラ」
舌打ちされて睨まれるが、彼女は怯まない。二郎を連れて進んでいく。
「うちから離れないでね。1人になると、もっと絡まれちゃうから」
言いながら、二郎の手をギュッと握ってくる。
ふと、車掌が言っていたことを思い出した。
––––〝あそこに暮らす奴らの9割は悪人だ〟
(この子は、残りの1割なのかもしれない)
優しい子だ。そのうえ、晴の友達。知らない町で最初に会えたのが彼女で良かった。この偶然に、二郎は内心で感謝した。
やがて2人は、狭い路地に入った。
そこを抜けると、市場とは打って変わって静かな通りに出る。道の向こうには、落書きだらけの白い壁が広がっていた。
「ここが教会だよ。今は廃墟になって立ち入り禁止だけど、あそこから入れるよ」
佐綾が指を差した先には、壁に空いた大きな穴。
「晴はお仕事が休みの日は、ここでボケーッとしてるんだ」
「……彼は、働いているんですか?」
「そだよ。お母さんが亡くなって、1人で妹さんを育ててる」
「!」
二郎の母の遺体を守ってくれた女性は、すでに他界していた。
その事実に衝撃を受ける。
(––––会ってみたかったのに)
穴から中に入ると、教会の敷地内は雑草に覆われていた。見る影もない花壇に、朽ちた庭木。高い三角の屋根を持つ建物はどこも劣化が激しく、台風が来れば崩れそうだった。
「あ、見つけた!」
地面に転がる倒木を二郎が跨いだ時、佐綾が嬉しそうに言った。
足元から視線を上げると、目に映ったのは教会の扉。そして、そこに背を預けて座る人物。
佐綾に手を引かれたまま階段を上がっていくと、その人物の姿がどんどん鮮明になっていった。
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