昔話(1)

疲れました。


もうお前の面倒は見たくありません。


お前のために人生を使いたくありません。


俺はお前の兄をやめます。遠い場所で自由に生きていきます。


お前は月城町13丁目へ行ってください。


さようなら。




––––兄が残した手紙を、花は文机の上に広げて眺めていた。


見るのが辛くて、だけど捨てることも出来なくて、ずっとリュックサックの底に隠していた物だ。


手紙から置き時計に視線を移すと、もう13時を過ぎていた。


(……お見舞いに行かないと)


今日は二郎が目覚めてから4日目だ。この時間になると欠かさず彼の部屋に通っていた。


(行かないと……)


けれど、足が動かない。


日が経つにつれて自分の足取りが重くなっていくことを、花は感づいていた。理由も分かっている。


(二郎さまは、私に隠し事をしている)


あの人は、兄に関する何かを知っていて、それを隠している––––。


4日前から生まれた疑惑が花の中でどんどん大きくなり、体と心を鉛のように重くしていた。




––––〝僕と晴殿は友達ではない〟


およそ1ヶ月前の、近衛家に来た初日。

花はこの手紙を二郎に見せた。

〝貴方とお兄ちゃんは友達ですか?〟と尋ねたら、二郎はすぐに否定した。

兄の居場所は知らない、兄とは10丁目で一度しか会ったことがない、とも言っていた。


(でも、たった一度会っただけの相手に、お兄ちゃんが私を預けるなんてやっぱり変だわ)


そうすると二郎だけでなく、兄もまた秘密を抱えていたことになる。

兄は近衛二郎という人物を昔から知っていた。どうして教えてくれなかったのか。


(……何でもっと深く考えなかったんだろう?)


手紙と一緒に添えられていた二郎の名前と住所。


13丁目に突然やって来た花を、二郎は受け入れてくれた。居場所をくれた。彼の存在にどれほど救われたか分からない。

花にとって〝近衛二郎〟という人は衣食住を与えてくれるだけでなく、自分と兄の縁を繋ぐ希望でもあったのだ。

疑う余地などなかった。不思議な人だと思うことはあっても、疑念など抱かなかったのに。


(どうしよう)


二郎に会いに行きたい気持ちと、会うのが怖い気持ちの、両方がせめぎ合う。


昨日も一昨日もその前の日も、彼の前では疑念を上手く隠せていたと思う。

しかし今日はどうだろう。


(私、ちゃんと笑えるの……?)


部屋の障子の外から声をかけられたのは、その時だった。


「花さん、いらっしゃいますか?」


梟の声だった。

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