さよなら(2)

「いいね。今の当主さまも良い男だったが、初代さまも気に入った! ねぇ、おあつらえ向きの物件がここにあるよ?」


 狸は親指で、自身を指差した。


「上級の妖は世界でたった2体。俺と狐だけ。次男坊よ、お前と娘が交えた血で俺を貫け。それで俺を殺せたら、狐のことも殺せるかもしれんよ?」

『……狸』

「いいんだよ。だって俺、ちょうど次男坊を怒らせていたところだったんだよ」

『だから、そのように傷ついていたのか』

「何せそいつの大切な者を奪おうとしたからねぇ。しかも娘の秘密を聞いてしまった。殺される理由は充分にある」


指の向きを変えて、二郎に手を伸ばす。


「俺はもう歩けねぇ。お前からこちらに来い」


 虚だった瞳に光が戻った。

 術が、解けた。


 二郎はおぼつかない足取りで1歩、2歩と狸に近づいていく。


「ところでさ、いつから娘の血に気づいていたんだい?」

「……僕も、あの子の血が〝補助の血〟だとは思わなかった。幼い頃の花は、低級の妖すら倒せないほど弱い血だったんだ。こんなにも変異していたなんて……」


 二郎は両手で看板を振り上げた。


 指の先が届く範囲まで両者の距離は縮まっている。

〝死〟が、目の前にある。

 先祖の魂たちが固唾を飲んで見守っているのが伝わってくる。


 狸の心は躍っていた。


 自分の命を殺すのは〝退屈〟ではなく〝近衛の血〟。しかも今日発見されたばかりの未知の血だ。


 狸は二郎にこう言った。〝力が対等な者同士が戦えば、勝敗を決するのは『運』なのだ〟と。


 てっきり自分に有ると思っていたそれは、最後の最後で二郎に味方した。



 あぁ、何て刺激的なのだろう。



「……た」


 今か今かと狸は待っているのに、二郎は手ではなく口を動かした。


「温かった」

「ん? 何を言っているんだい?」

「父さんが狐に殺された日、貴方は僕を屋敷まで運んでくれた」

「??」

「途中で、少しの間だけ目が覚めた。……貴方の背中が、とても温かったのを覚えている」


 狸の指先が、ほんの微かに揺れ動いた。


 その手はすぐに下げられた。


 代わりに口元を吊り上げて、




「くくく。本当に甘いねぇ」




 心底、馬鹿にしたように笑った。


 直後。



「さよなら、狸殿」



 看板の先端は、狸の頭へ落とされた。

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