さよなら(1)

『何ということなの……』


 1人の先祖が口火を切った。


『妻と夫、2人して不義理を重ねていたとは』

『家族を裏切っていたのか』

『他所に子供がいながら、よくも平然としていられたものだ!』


 他の者たちも声を震わせている。黙っているのは初代だけだ。


「……父さんは、花が自分の娘だと知りませんでした」


 赤く濡れた口が、父親を庇護する。


「女性と関係を持ったのは1度きりで、彼女は妊娠したことを隠して身を引いた」

『数など関係あるか! そもそも桜郎自身さえ知らぬことを、どうしてお主が知っている!?』

「晴が、一緒に両親のことを調べてくれたから」

『……晴?』

「女性の息子でーー僕が初めて出会った〝他人〟です。……父が狐に殺されて3年後、父から教えられていた親子を探しに行きました。女性はすでに病死していて、晴は1人で花を育てていた」

『っ、お主まで他人と関わっていたのか! 一族がありながら』

「〝一族への忠誠〟もそこまで過ぎたら、もはや闇だねぇ」


 狸が口を挟んだ。


「俺には少し分かる気がするよ」

『妖の貴様に何が分かる!?』


 狸は人間を馬鹿にしたような日頃の笑みを消し、ギョロリとした目を細める。


「俺はね、生まれながらにクソ長い寿命と、クソ強い力を与えられ、この世に閉じ込められた。森で昼寝して、たまに人間を喰って、ダラダラ生きていくのが、自分の宿命なのだと思っていた。一方でお前さんたちは、生まれた瞬間から13丁目に閉じ込められ、狐を殺すために育てられ、結婚相手も勝手に決められる。お互いに不自由な〝せい〟だ。……そんな世界を変えた存在が、俺にとっては次男坊だった。そして桜郎たちにとっては〝他人〟だったのさ。そうじゃないかね?」


 術のせいで焦点が合っていないはずの二郎の左目に、狸の姿が鮮明に映った。



「俺は次男坊に会った時、雷に打たれたような衝撃を覚えたよ」


「……僕は彼に会えて、風に吹かれたように思った」



 ふわりと、肌を撫でるものが通り過ぎた。


「家族と、屋敷と、狩り。3つで出来ていた世界に、全く知らない風が吹き込んできたのだと思えた」

「……その風は心地よかったか?」

「あぁ。晴はいろいろなことを学ばせてくれた」


 空き地を覆うススキが柔らかく揺れ、あちらこちらで黄金色がきらめく。


「……両親は過ちを犯しましたが、母は母なりに一族の宿命を必死に受け入れようとしたのだと思います。だから僕たちを産んでくれた。父が一族を想う気持ちに偽りはなかった。だから弱い者は狩りに連れて行かず、最期は僕を守って死んでいったのです」

『っ、そんなものは詭弁だ!』

「家族は大切で愛おしい。でも、他人からしか得られない感情ものがあると知ってしまったから、僕は2人を憎めない」

『初代さま!』


 幼い少女の声が、是非を問うように初代を呼んだ。


 初代は何も答えない。場はシンと静まり返り、先の見えない重たい沈黙に支配される。


 どれくらいの間があっただろう。



『……皮肉な話だな』



 静寂を終わらせたのは小さな嘆息と、短い言葉だった。


『我らはかつて政敵の貴族に陥れられ、月城町1丁目から追放された』


 13丁目に屋敷を建て、町をまとめ、地盤を築いても、妖の町に暮らす一族と婚姻を結んでくれる家があるはずもなく。


『苦肉の策で外との繋がりを断ち切り、近親婚を始めたのは私だ。……なのにまさか、外の人間が希少な〝補助の血〟を産むとはな』


 この男は一体どのような表情で話を聞いていたのか。狸はふと考えてみたが、想像出来なかった。


『娘の力が加われば、狐を討てるだろうか?』

『……え?』

『狐に対抗できる強き血を持つ者と、補助の血を持つ子供が同じ時代に生まれた。このような機会は、もう2度と訪れないだろう』

『何を、仰りたいのですか』

『狐は首をはねても死なぬ。胴体を斬っても心臓を貫いても、何度でも再生する。されど、2人の血を合わせれば、今度こそ倒せるかもしれない』


 先祖たちは理解した。初代は恐らく桜郎夫妻に対して思うところがあるが、その全てを飲み込み、一族の未来に意志を向けているのだと。


『死人の我らに罪は裁けぬ。出来るのは、思いを託すことだ』

「はははっ」


 狸は豪快に笑った。

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