花めく(9)

「当主さま、この辺りにはもう町民はおりません!」

「親子を保護しました! 怪我はありません!」


 町民が最も集まる市場付近は、いつもとは違う喧騒に包まれていた。逃げ遅れた者がいないか近衛一族が捜索し、一郎の元には次から次へと情報が送られてくる。


「狸は、まだ捕らないの?」


 一郎の傍で訊いてきたのは、妖の幼女だった。町に出てから最初に見つけた迷子で、一郎の手をずっと握って離さない。


「もうすぐ終わる」


 聞く者に威圧感を与える冷徹な話し方が、今は若干柔らかくなっている。


「屋敷に行け。ここは危ない」

「イヤ」


 幼女は亜麻色の髪をぶんぶんと横に振った。


「一緒にいる。だって当主さまがとても辛そうだもの」


 一郎の切れ長の瞳が揺らいだ。上の弟ほどではないが感情を隠すのは得意なのに、まさか子供に見破られるとは思わなかったのだ。


 そう、一郎はずっと落ち着かなかった。


(……二郎はどうなっている?)


 使い魔である烏たちに、体内の血を増やす造血剤を持たせて放ったのは約20分前。その烏は未だに1体も戻ってきていない。

 一郎は2


  1つ目は、弟に接触する前に烏たちが殺されてしまった可能性。さっきから弟に関する情報だけが一切入ってこないことが気がかりだった。


「当主さま!」


 一族に属する若い男が走って来た。かなり息を切らしていたが、彼は空気を吸う間も惜しむかのように口を開いた。


「錦からの報告です! 先ほど、屋敷に狐が侵入しました!」

「……狐だと?」

「外部から来た例の娘を町へ連れ出したそうです! そして、その……三郎さまが後を追ったようなのです!」


 一郎は何も返さなかった。自分に縋りつく小さな手を握り潰さないよう耐えることで精一杯だった。

 2つ目の予感が当たってしまった。

 この騒動に、狐まで介入してきた。


「……この子供を屋敷へ連れて行け」


 一郎は普段の冷たい声で命じた。


「薬を用意しろ。私が持って行く」













 生花店を出て数分が経った頃、三郎もまた嫌な胸騒ぎを覚えていた。


(気を散らすな。駅までもうすぐだ)


 追われている気がするのは、単なる思い違いだ。


 三郎は何度も自分にそう言い聞かせ、背中に流れる汗に気づかないふりをして、黙々と進んでいた。


(……私はいつも役に立てない)


 花は三郎の隣を歩きながら思う。自分は足手纏いで守ってもらってばかりだ。

 二郎は自分を迎えに来ると言ってくれたが、荒れた町並みを見ると、もうここへは帰ってこられない気がした。


(お兄ちゃんが二郎さまの名前を手紙に残した理由は、結局分からないままだったな)


 そこで思考が途切れた。

 視界の端で異変が起きたせいだ。矢のように細い物が、花と三郎の間を通りすぎていった。


「な、なに!?」


 数メートル先の地面に刺さった物に花は狼狽えたが、三郎はすぐに正体を認識した。


「あれは、指……!?」

「そう。我の小指よ」


 背後から聞こえた無邪気な声に、三郎は反射的に刀をかまえた。


「狐!!」

「ふふ。お前がここにいるとはな。いつ合流した?」


 雪のような長い白髪に、竹林を彷彿とさせる模様と色合いの袴姿。可憐な少女の容姿とは裏腹に、左手に数体の烏の死骸を掴んでいた。


(一郎兄さんの使い魔が殺られたのか!)


 狐は死骸を捨てると、手のひらの部分がなくなった右腕を見せつけてきた。


「他の4本は二郎に壊されてしもうた。やれやれ。小指だけでも逃せて良かったわ」

「小指で僕たちを追ったのか……! 何故この子を狙う!?」

「お前こそ何故その娘を守るのじゃ?」

「兄さんに任されたからだ!」

「ほぉ。二郎に頼まれたのか。兄の望みを叶えようとしているのか。……人間とは本当に不可解な生き物だな」


 狐はコテンと首を傾げた。



「裏では兄の婚約者とコソコソくせに」

「「っ!!」」


 花が困惑の表情を浮かべる。三郎は刃で左腕を斬り、刀身に血液を垂れ流した。憎悪を宿した瞳で睨みつけたが、狐に斬りかかることはしない。


「……感情に流されることなく、花から離れなかったか。意外に賢いではないか」


〝しかし可哀想に〟と狐は言う。


「どんなに頑張っても、お前は弱い」

「いやああああっ!!」


 花が悲鳴をあげた。

 気づいた時にはすでに、地面に刺さっていた小指が三郎の肩を貫いていた。傷を負った張本人は激痛のあまり、声を出さずに膝を崩した。


「三郎さま!」

「くっ……!」

「今、我の小指はお前の体内にある。近衛の血に直に触れている。なのに苦痛は感じないぞ。強いて言えば少し痺れる程度だ。分かるか? これが二郎とお前の差なのだ」


 憐れむように三郎を見下ろす狐。


「二郎は、昔からお前のことを可愛がっていたな」

「!」

「けれど、あやつにとって真に必要なのは〝可愛い家族〟ではなく〝頼れる家族〟だ。父親が死んで、あやつが引きこもるようになったのは、父親以外に心の支えになれる者がいなかったのだ。……二郎がお前を必要とするのは平時へいじだけ。非常時になると一瞬で役立たずと成り下がる弟。哀れだな」

「お前……!」

「そう怒るな。勝手な想像じゃ。忘れてくれ」

「う、ああ!!」


 三郎が呻いた直後、小指は肩の肉を抉りながら外に出てきた。血に濡れた指先と狐の目線が、花へと向けられる。


「花よ。我は7年前、この兄弟の父親を殺した」

「……っ!」


 狐は微笑み、世間話でもするような口調で話し始めた。


「父親の名は〝桜郎ろくろう〟という。鬱陶しい男だった。我の山に来て、何度も命を狙ってきた」


 それはあなたが近衛の人たちを食べるからだ。近親相姦という手段で子孫を残す一族の〝罪〟を餌にしていたからだ。

 と、言い返したいのに、唇が震えて出来ない。


「桜郎のついでに二郎も食ってやろうとしたが、生かしておいて正解だったと思っている。あんなに立派で面白い玩具に成長してくれたからのう。……我にとって弱者はゴミ、強者は玩具。気が遠くなるほど長く生きてきて、我と対等に戦える人間に初めて出会えた。お前には感謝しておるぞ。お前がこの町に来て、やっと二郎が遊んでくれるようになったのだから。ありがとう」


 笑顔で感謝の言葉を述べているはずなのに、狐の声は階段をゆっくりと下りるように低くなっていく。


「だが、お前には死んでもらいたい」

「な、んで……?」


 花はやっとそれだけを言えた。


「お前に近しい者が、玩具を横取りしているからだ」

(近しい者……?)


 絶えず吊り上がっていた狐の口元がスッと下がった。

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