花めく(8)
裏口の戸を出ると、狭い路地があった。店に巻きつく新緑色のツタが通路にも侵食している。
「相変わらず手入れがされていないようだな」
三郎が独り言のように漏らす。
「……来たことがあるんですか?」
「えぇ。一族の墓に供える花は、昔からこの店で買っていますから。父に連れられ、兄たちとよく来ました」
店の壁から隣の建物まで伸びているツタもあり、三郎が刀で次々と切り落としていく。
「ツタには鋭い棘があるから、触れたり、
「きゃっ」
話している途中で後ろから小さな悲鳴がした。三郎が振り返ると案の定、花が転んでいた。
「いたっ……」
花はハッとする。三郎が、じっと見ている。痛みよりも気まずさが上回り、咄嗟に謝った。
「すみません! この大変な時に」
「……いえ、昔のことを思い出しただけです」
てっきり呆れられたかと思ったが、三郎はやはり独り言のように呟いた。
「昔……?」
「もう何年も前です。……二郎兄さんもここで転びました。それも、父から〝危ないから気をつけろ〟と注意された瞬間でした」
少女の姿が、あまりにも記憶の兄にピタリと重なったので三郎は驚いてしまった。
(一瞬、この娘と二郎兄さんが〝似ている〟とさえ思ってしまった)
性別も年齢も全然違うというのに。
(……あ、せっかく二郎さまが傷口を洗ってくれたのに)
花は感じる。袖の内側で、じわりと熱いものが流れ出ている。棘は本当に鋭く、幾つかが布を貫通して皮膚に刺さったようだった。ただ流れるだけの血に、花は得体の知れない焦燥感を覚えた。
(もし私が二郎さまと血が繋がっていたら、この血は役に立てたのかな?)
申し訳なさそうに俯く年下の少女に、三郎の心にもまた、状況にそぐわない不思議な思いが生まれた。
(もし僕たち兄弟に
正気に戻るのは三郎が先だった。
(何をバカなことを。外部に近衛の人間がいるわけがない)
今は逃げなければならない。邪魔なツタを一気に切ると、表通りの明かりが差し込んできた。
「急ぎましょう。いずれ狸と狐がここに来ます」
「……はい」
花は未練がましく裏口の戸を見つめた後、大人しく三郎について行った。
花と三郎がいなくなってから数分後。
狐の手はもう動かなくなっていた。
「……1」
二郎の反撃によって指は激しい損傷を負い、別々の方向に折れ曲がっている。
「2」
手の甲を踏みつけて、二郎は数える。
「3、4……」
声が止まった。
「……小指が無い」
間違いなく5本あった指が、捕まえてみると1本なくなっていた。
いつの間に消えた?
消えた小指はどこへ行った?
何かを追いかけている?
……まさか。
二郎が裏口へ走ろうとした時だった。
強風に煽られたように店の扉が全開になった。しかし外は見えない。扉より遥かに大きな体が景色を遮断していた。
「みーつけた」
口元が壁に隠れているが、ひどく愉しそうに嗤っているのが分かる話し方。
「狸……!」
「あぁ、良かった。店の中に狐の手があるねぇ? そいつを追跡してきたのさ」
「……狐もそこにいるのか?」
「ん? いないよ? あいつは自分の小指を探しに行ったよ」
二郎の左目が見開いた。
その小指を追った先にいるのは……。
「娘を捕まえるのは、狐に任せることにしたよ」
狸は身を屈めて店内を覗き込んできた。顔を不気味な角度に傾ける。
「なぁ、1ヵ月だ。たった1ヶ月でいいから、俺にボッコボコにされて眠っておくれよ。その間に娘を食べて〝お兄ちゃん〟を見つけ出せるからさ」
〝お前は強いが、神ではない〟
前方にいる狸の言葉よりも、死んだ父の声が近くで聞こえた。
〝人より強い力を持って生まれただけの人間だ〟
〝だから全ては救えない〟
〝何故、余計なものまで助けようとした?〟
いつだったか、二郎は妖に殺されそうになったことがある。狩り場に迷いこんだ子熊を逃そうとして、隙をつかれた。母親とはぐれて怯える様子が哀れで、捨てられなかった。
〝取捨選択が出来なければ、強くても負ける〟
間一髪で生き延びた息子を慰めることも抱きしめることもせず、桜郎は淡々と言った。
お前もいつか大切な
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