花めく(3)

近衛このえ桜郎ろくろう


 それが二郎の父親であり、近衛家の前当主の名前だ。


 背が高くて体格がよく、いつも黒い法衣を着ていた。


 二郎は子供の頃に一度だけ、桜郎から本を貰ったことがある。


 異能を待つ主人公の少年が地球外生命体と戦うという物語だった。

 最終決戦で少年は窮地に陥り、敵と刺し違える覚悟をする。


 そんな彼を救ったのは、1人の少女だった。少女は異能を持たない平凡な人間だったが、ただ少年を助けたいという一心で身を投げ出し、敵の攻撃から彼を庇った。


 そして死んだ。


 少年と少女は決戦直前に想いが通じ合い、初めて口づけを交わした。それからたった2時間後に起きた悲劇だった。




〝あの少女について、お前はどう思う?〟



 桜郎は、二郎にそう訊いてきた。



 場所は13丁目某所にある長い石階段。

 その日は小雨が降っていた。


 フード付きの合羽を着ている二郎と、傘をさしていない桜郎が、ゆっくりとした足取りで降りている。

 階段の左右には紫陽花が咲いていた。上から下まで途絶えることなく咲いた青い花が、雨で霞んだ景色を淡く彩っていた。



〝愚か者だと、私は思った〟



 二郎の反応を待たずに、桜郎は言った。

 桜郎は今、首を持っている。片手に1つ、残りの片手には2つ。ついさっき桜郎と二郎が殺した妖たちだ。


 彼らは13丁目を勝手に抜け出し、他の町の女性にひどいことをした。子供の二郎には詳細は知らされなかったが、殺されて当然の罪を犯したそうだ。


 傘は武器として使われた。首はどれも苦悶の表情を浮かべていて、死の直前にどれほど恐ろしい目にあったのかが伝わってきた。

 妖特有の派手な髪の毛を鷲掴みにし、桜郎は淡々と運んでいる。


〝無力な存在でありながら、自ら危険な場所に向かった。恋人を守るために命を落とした。二郎、お前は少女を立派だと思うか?〟


〝思いません〟



 二郎が短く答える。



〝あの少女の行動を美しいと思えるか?〟


〝思えません〟


〝あぁ、それで良い〟



 桜郎は頷いた。



〝よく聞け。弱い者は、決して狩りへ連れて行くな〟


少しの間を置いて、二郎は尋ねた。


〝……もしも弱い者が『ついていきたい』と……『力になりたい』と言ってくれたら、どうすればよいのですか〟


〝そんなことを言わせないよう、普段から弱い者を拒絶しろ。狩りの場において貴様たちは無価値なのだと教えておけ〟


〝……拒絶……〟


〝冷たい言葉は言いづらいか? ならば口を閉ざし、他者と距離を置け。馴れ合いなど求めるな。お前は狐を殺すために生まれたのだから〟


〝……それでも彼らが危ない場所についてきたら、どうすればよいのですか〟


〝見捨てろ〟


即答だった。


〝ついてくるということは、その者はお前を相当慕っているのだろう。盾にでも使ってやればよい。お前の足手纏いになる者に情けをかけるな。たとえ女でも、子供でも〟


桜郎は続ける。


〝あの少年は少女を失った後、廃人になった。脅威が去って世界中に笑顔が戻ったが、少年は生涯笑うことはなかった。お前はそんな風にはなるな〟


 雨が少し強くなった。


〝いつか私は狐に敗れるだろう。その時が来たら、私を切ってすぐに逃げろ。必ず生き延びろ。お前は強くなる。私よりも強い者なのだから〟


〝……当主さまが死ねば皆が悲しみます〟


〝私は、お前を育てるためだけに生まれてきた〟



 二郎は桜郎と3段の距離を置いて後ろを歩いている。だから父がどんな顔をしているのか分からない。見えるのは、雨粒を吸い込んで重たそうになった父の黒髪と法衣だけ。



〝……途中までは面白い話だったのにな〟



 そう呟いたのを最後に桜郎は黙った。

 屋敷に着くまで雨は止まず、2人はずっと無言だった。

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