花めく(2)
手紙 (4通目の一部)
話は変わりますが、お兄ちゃんには好きな人はいましたか?
クラスの友達は男の子たちの恋をしていて、よく盛り上がっていましたが、私にはよく分かりませんでした。
最近気がついたのですが、私にとって〝男性〟というイメージが、お兄ちゃんそのものだったからだと思います。
かっこいい子、優しい子、足が速い子、頭の良い子もいましたが、胸がドキドキしたことはありません。
どんな男の子と話していても、無意識にお兄ちゃんと比べていたような気がします。(お兄ちゃんだったらこういう時はこう言うだろうな、お兄ちゃんだったらこういう時は絶対に怒るだろうな……みたいに)
お兄ちゃんなんて口が悪いし、すぐに怒るし、軽く関節技をかけてくるのに。(←これは私が悪さをした時だけど)
でも私が危なかったら助けてくれて、私が泣いたら頭をぽんぽんってしてくれて、美味しい物を半分こしたら大きい方をくれた。(あ。ピザまんだけは、お兄ちゃんが大きい方をいつも食べていましたね。好きだったんですか? 13丁目にも似たような食べ物が売っていないか探しているけど、まだ見つかりません)
引かれるかもしれないけど、私の好みの男性は、お兄ちゃんみたいな人かもしれないです。
お兄ちゃんに好きな人がいたり、彼女さんを連れてこられたら、私は絶対に泣いていただろうな……って思います。
私は二郎さまといる時も、お兄ちゃんのことをよく思い出します。
でも、変です。
私、あの人と話すとドキドキするんです。
二郎さまは、お兄ちゃんと全然違うのに。
月城町13丁目。
最西に広がる森は狸の縄張り。
最東にそびえる山は狐の縄張り。
最北に近衛屋敷があり、最南に駅がある。町民が暮らす市場や住宅街は、北から南にかけて碁盤の目に並んでいる。
花を食うために北の屋敷へ近づこうとする狸と、狸を西の森へ返そうとする二郎は長くせめぎ合っていた。両者の力は対等。それを表すように彼らがいる位置は、ほぼ北西だった。
壊れた。
二郎が持っていた
最初に木工所で買った
「俺の身体は硬いだろう?」
屋根瓦の上で四つん這いになった狸が言う。その向かい側の民家の屋根に立つ二郎は、使えなくなった鉈を見下ろした。
狸の言う通りだ。近衛の血で染まった武器は、確かに狸にダメージは与えている。しかし肉を断つことも、骨を折ることも出来ない。巨体ゆえに狐より動きは遅いが、皮膚が恐ろしく頑丈だった。
二郎が鉈を捨てる。
「くくく。いいのかい? お前さん、お金を持っていないくせに、店の武器をどんどん勝手に使っているじゃないか」
「……今は持っていないけど、後で必ず支払う」
「けっこうな金額になるよねぇ? だって建物も壊れているもの。お前さんが早く俺を殺さないせいで、どんどん被害が大きくなっているよ?」
「生まれてから21年間、貯め続けたお年玉で弁償する」
「21歳のくせにまだお年玉貰ってるのかよ」
町は道が荒れ、店の看板や壁が欠け、民家も傷ついている。
狸は分かっていた。この男は、自分を殺すことに集中出来ていない。どこかに逃げ遅れた者がいないか気にしている。だから道や建物の一部が破損するたびに、狸から意識を逸らすのだ。
(甘いねぇ)
あの兄妹のために、俺を殺したいのだろう?
ならば俺だけを見ろよ。弱い者など見捨てて、その力を自分の願望だけに費やせよ。
お前だけの身で全てを守ろうというのか?
「1人ってのは難儀だねぇ」
7年前までは、隣に父親がいたのに。
「おっと、しまった」
自分も一瞬だけ気を散らしてしまった。
そのたった一瞬で違和感に襲われる。
四つん這いになった両手足に、屋根瓦が貼り付いていた。
(……ここに来るまでの間、あちこちの屋根に血痕を撒き散らしていたのか)
妖を殺す血液が付着し、凶器となったそれらは、音も気配も無く背後から近づいていたらしい。
足、手、腕、胴体、首。鱗のように身体を覆っていく屋根瓦。貼り付く枚数が増えるにつれ、狸は動きを封じられ、苦痛に蝕まれる。
「……くっ」
「考え直さないか?」
今にも狸の口を塞ごうとしていた屋根瓦が、宙でピタリと止まった。
「彼らから手を引け」
首から上だけが出た状態の狸に、二郎は言った。狸はギョロリとした目で見返す。
熱い。
熱い。
まるで炎のような血。
このままだと焼き殺されるだろう。
「くそ、が……。ふざけんなってくらい熱いな……」
狸は呟き、目を閉ざした。歯を食いしばる様子は、ひどく苦しんでいるように見えた。
見えた、はずだった。
「でも甘いねぇ?」
次の瞬間、閉じたばかりの両目がカッと開眼した。目の玉が飛び出しそうなほど上下の瞼を離したかと思うと、
「うああああああああああああああああああ!!!!」
凄まじい咆哮を響かせた。
辺りの空気が震えた。それは突風となって吹き荒れ、二郎の足がわずかにふらつく。狸が発した声が鼓膜を痺れさせ、目眩を覚えた。
その間に、狸から屋根瓦が勢いよく剥がれた。様々な方向に飛び、近くにある建物をまた幾つか壊していく。そのうちの1枚が二郎の右腕に強く当たった。
「ーーっ!」
「これ、お前の真似! さっき、梟のジジイの羽根をこうやって俺に突き返してくれたからねぇ!」
二郎は右腕を押さえているが、無表情だった。
狸は皮膚から焼き焦げたような煙を出しているが、笑っていた。
「甘いんだよぉ! お前の血は熱いけど、甘い!! お前の父親の血は背筋を凍らせるほど冷たく、恐ろしい毒の味を持っていたぞ!」
「……」
「そして悪い妖を決して許さなかった! 改心など促さなかった! たとえ妖たちが命乞いをしても、容赦なく殺していたじゃないか!」
狸が言っている途中で、二郎の着物の袖口から、ぼたぼたと血が流れ落ちた。負傷した右腕から出たものだ。彼の足元を汚す赤色に、狸は黙った。
狸は今日、あの赤色にたくさん触れた。つまり、この男もかなり出血しているということ。
狸と二郎は同じタイミングで同じ予想をした。
きっともうすぐ一族の者か、あるいは使い魔がここに来る。二郎に造血剤を届けるために。
「「させない」」
両者の声が重なった。
同じ言葉だが、違う意味が込められている。
狸は自分が不利にならないために言った。この男に血を与えてはならない。もう少し楽しみたいが、今は娘を攫うことが優先だ。
二郎は、〝弱い者は狩りには連れて行かない〟という父の教えを貫くためだった。たとえ自分を助けるための行為でも、ここには何者も来させない。
「……父さんのようにはなれないけど、父さんから受け継ぎたい意思はある」
彼らが到着する前に、終わらせる。
「もうお前に期待はしない。次は殺す」
「……おいで。独りぼっちの次男坊や」
「
突如、張り詰めた空気に無邪気な声が混ざった。
狸と二郎は互いから視線を逸らし、屋根の下方に顔を向ける。
「あれまぁ」
「っ!」
視界に映る光景。狸の目は丸くなり、二郎の肩はピクリと揺れる。
下の道には、10代半ば頃の少女が2人いた。
白い長髪に、風車柄の緑色の着物、さらに深い緑の袴、そしてブーツを履いた少女。
残りは金色の髪を1つに結い、赤と黒の大きなチェック柄の着物と、足袋と草履の少女。
「二郎さま!!」
見上げてくる少女たち。狐と、花だった。
「「どうして、ここに……?」」
狸と二郎の声が、再び重なった。
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