花めく(序)
手紙 (4通目の一部)
最近、私は働き始めました。
誰かにそうしろと言われたわけではなく、自分が働きたいと思ったのです。(勉強もちゃんとしています)
町にある本屋さんです。13丁目の地形はまだ詳しく分からないけど、私が最初に着いた駅に近いところにあるそうです。(この手紙は仕事の休憩中に書いています)
店主の歌丸さんも、奥さんの朧さんも明るくて、とても楽しいです。
この町に来てから、自分がどれだけお兄ちゃんに負担をかけていたのか、私はやっと気付きました。
今までは何にも考えていなかった。自分が誰かに生かされているということを。
私、少しは成長していますか?
今さっきまで一郎がいた広い部屋は、息が苦しくなるほどの沈黙に包まれていた。
(働きたいなんて言うんじゃなかった)
部屋に面した縁側で、花は両膝を抱えていた。
(二郎さま……! どうしよう。私1人が責められるならいいけど、あの人まで責められたら!)
花はたまらなくなって立ち上がった。斜め後ろで座っている錦がすぐに声をかけてくる。
「花さん?」
「私に出来ることはありませんか?」
じっとしていられなくて尋ねると、
「無いよ」
答えたのは、部屋の中央で正座している三郎だった。花はハッとして三郎を見たが、彼の視線は上座へ向いている。
「貴女はここにいなければならない」
「っ、二郎さまが、私のせいで戦っているのに……」
帰る場所が無い自分を助けてくれた人が、あの怖い狸と戦っている。
刃物で自分の体を傷つけて。近衛の血を流して。
「あの人が戦う時は、常に1人だ」
「で、でも」
「〝弱い者は狩りには連れて行かない〟」
静かに紡がれた言葉に、花はビクッとする。
「昔からの父の教えです。〝狩り〟とは、妖を討伐することを指します。命を賭けた狩りの場において、弱い者は足手纏い、あるいは無駄死にしか出来ない。これが父の考え方だった。……かつての近衛家は、一族全員が力を合わせ、狐に立ち向かっていた。しかし父の代で、それは変わった。生まれながらに才能を持つ者だけが、狩りへ行くことを許されるようになったんです。当主さまも二郎兄さんも父の考えを受け継いでいる。二郎兄さんは、特にその教えを守ります。……あの人は誰に対しても優しいけど、戦いの場においては弱い者を拒絶する」
三郎は、やっと花と目線を合わせた。
「あの人を思うのなら……、ここで待つべきだ」
「!」
花の肩が大きく揺れた。三郎が、右手の拳で畳を叩いたからだ。
「力を持たない者は何も出来ない……っ。僕だって、あの人に頼られたことは一度も無い……っ!」
内に込み上がる感情を押し殺すような口調に、花は気圧される。
すると錦が三郎のそばへ行った。それから彼の背を慈しむように撫でる。
(……あれ?)
花は違和感を覚えた。
彼らの間に流れる空気が、引っかかったのだ。
錦は二郎の婚約者だったはずだ。それなのに目の前の光景は、まるで恋人が恋人を慰めているようで……。
「……ぅ、ひっく」
急に聞こえてきた泣き声に、花の思考は止まる。
ここの庭は竹林に囲まれている。その中から、悲しそうな声音と共に女の子が出てきた。
小さな頭に羊のような角を持つ、5歳か6歳くらいの幼女だった。淡緑色のおかっぱに、深緑色の着物。竹に溶け込んでしまいそうな色合いの幼女は、涙をたくさん溢して泣いていた。
「お、おかあさん! おかあさんが、どこにもいないのぉ……!」
花の胸がギュッと痛くなった。
「……町の子ですよね? お母さんとはぐれたんでしょうか?」
花が問うと、
「町も屋敷内も混乱しているようですから、そうかもしれませんが……」
錦がそう返す。しかし彼女の肯定は弱く、表情には迷いがあった。
(私のせいで、こんなに小さな子供まで泣いている)
罪悪感にかられている花は、錦の様子には気づかなかった。
縁側から下りて、嗚咽を漏らす幼女の方へ歩いていく。あちらも縋るように、年上の少女に近づいてきた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭いてあげたくて、花は手を伸ばした。
少女の指先が、幼女の頬に触れる。
その寸前だった。
「触るな!!」
三郎が叫んだ。
そして通常の人間よりも速いスピードで庭へ下り、花の腕を掴み、幼女から遠ざける。
その際、勢いあまって花は地面へ突き倒された。花は派手に倒れたが、三郎は見向きもしなかった。
そんな余裕は無かった。
「お前は何者だ!」
幼女に言いながら、三郎が袖から出した小刀を逆手に持つ。
「この庭は、屋敷の中で最も複雑な場所にあるんだ! 使用人でさえ迷うのに、町民がたどり着けるわけがない!」
「……」
瞬間、幼女の嗚咽がピタリと止まった。
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