襲来(7)

 近衛屋敷は大変な騒ぎになっていた。


 門の前には町から避難してきた妖たちでごった返しになり、今にもパニックが起きそうになっている。



「あのクソ狸が……」


 当主と一部の者しか入れない間。そこの上座で、報告を受けた一郎は小さく毒づいた。


 情報が錯綜していた。


 混乱した町民たちの様々な証言が混ざり、どれが真実なのか分からない。唯一確実なのは、狸が町で暴れているということだけだ。


「当主さま、大変ですわ!」

「二郎兄さんがどこにもいません!」


 叫びながら障子を開いたのは、錦と三郎だった。


「いないだと?」

「兄さんはもしかしたら狐の山へ狩りに行ったのでは……!?」

「……熱が下がるまで外へ出るな、と命じたはずだが。相変わらず私の言うことを聞かないな」


 その時だった。


「当主さま、よろしいですか?」


 強張った声がした。声の主は、廊下に立つ一族の者だった。

 一郎は気づいた。開いたのままの障子に映る人影がもう1つある。

 影はゆるゆると移動して、姿を見せる。


 花だった。


 かなり走ったのだろう、着物も呼吸も乱れている。大きな瞳からは涙が溢れ、顔は赤く染まっていた。


「わ、私のせいです」


 花の身体は震えていた。


「狸は、私を狙って……、そのせいでみんなが……っ」

(この娘を?)


 一郎は疑問に思う。今さらこの娘を食おうとしているのか?


「当主さま!」


 考える時間もなく、再度呼ばれる。今度の者は廊下ではなく、廊下に面する庭に膝を着いていた。


「どうした」

「二郎さまは、すでに町へ向かっております!」


 一郎、三郎、錦、そして花が一斉に目を見開く。


「避難してきた者の中に、歌丸という町民がおります! その者が途中で二郎さまに会ったと!」

「……歌丸? 確か本屋の店主で、二郎に着物を貸したという……」

「はい! 二郎さまはその着物を、ご自分で返しに行ったそうなのです!」


 着物は使用人に返させる、と一郎は言ったはずだった。


「……本当に、驚くほど言うことを聞かない奴だな」


 彼が一瞬だけ笑ったことには誰も気づかなかった。


 広い間に、どこからともなく10羽の鳥が現れた。大きさや鳴き声が烏に酷似しているが、全身は黒ではなく、血のように真っ赤だ。この鳥は一郎の使い魔で、主に伝達を行う。


「門を開いて、町民を屋敷に入れろ。今から一族の役割を決める。屋敷に残って町民を守る者と、町へ出て逃げ遅れた町民を探す者に分ける」

「はい!」


 花をここまで連れてきた者は足早に走って行った。

 一郎は、庭にいる者へと続けて言う。


二郎あのバカは造血剤を持っていない。薬師を集めて、多めに作れ。私の血を使え」

「はい!」


 三郎は尋ねた。


「当主さま、僕はどうすればよろしいですか?」

「ここにいろ」

「え?」

「お前と錦は、娘のそばにいろ」


 部屋から出ようとする一郎を、三郎は引き止めた。


「待ってください! 僕も連れて行ってください!」

「ダメだ。残れ」

「皆が戦うというのに、僕だけこの安全な場所に残れと!?」

「その娘は二郎が引き取った。二郎がいないならば、誰かが代わりに守らなければならない。これも役割だ」

「僕にも外で出来ることはあります! 僕だって前当主さまの息子だ! 貴方の弟だ!」

「三郎」


 ハッとした。一郎の、眼鏡の奥にある切れ長の瞳は、三郎を見ていなかった。その目線はもうここにはなく、13丁目の町を見ている。


「時間が無い。言うことを聞かない弟は1人で充分だ」


 一郎を追って、鳥たちが去っていく。


 花は一郎の背中を不安そうに眺め、錦は三郎の隣に駆け寄った。


「三郎さん……」

「〝これも役割だ〟だって……?」


 聞こえは良いが、結局は戦力外だと通告されたようなものだ。


 錦が三郎の肩にそっと触れる。まるで縋るように、三郎はその手を握りしめた。

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