襲来(6)

 手紙 (4通目の中の一部)


 二郎さまは近衛家の中で、妖を倒す力が1番強いそうです。

 10丁目でケンカが強い人は、見た目も雰囲気も明らかに怖い人ばかりでしたが、二郎さまはそんな感じではありません。身体は細いし、肌は白くてキレイです。(もしかしたら私より白いかも……!?)


 近衛家の方々は、自分の血を使って戦うそうなのですが、聞くだけでも痛そうですよね。


 そういえばお兄ちゃんもときどき、怪我をして帰ってきていましたね。


 私はそのたびに思いました。


 いつかお兄ちゃんと一緒に、もっと優しい町で暮らしたいなって。










「もも、かわ、塩……」


 1つ単語を言うたびに、狸は指を折っていく。

 狸はまだ変化を解いておらず、姿は二郎のままだった。

 辺りには血と羽が散らばり、土煙が上がっている。市場の両脇に建ち並ぶ店の屋根や壁は破損していた。狸の前方には、ボロ雑巾のようになった梟が転がっている。


「鳥ってどんな食い方が美味いかねぇ?」


 血まみれになった梟は無反応だ。対して狸は身体中に梟の羽根が貫通しているものの、平然としている。狸は上級、梟は中級の妖。敵わない相手だった。



「お前さんは次男坊に仕えて、もう3年くらい経つのかね? その間、お前さんは次男坊が笑ってる顔を見たことがあるかね?」


 狸は自身の右頬をむにゅっと摘んだ。


「俺はね、と、しか上手く化けられないんだ。俺は次男坊の笑顔を知らないから、接着剤で固められたみたいに頬が動かない。口を開けばこんなボソボソした声になっちまうし、窮屈だよ。お前さんの無様な姿が可笑しいのに、全く笑えない」

「……ならば術を解け」


 梟が、ふらふらとした様子で起き上がった。


「二度とあの方に化けるな。不愉快だ……!」

「おや、残念だ」


 狸の全身に刺さる多くの羽根が1本、2本と、次々に抜け始める。


「術を解かないのは、俺なりの優しさだったんだけどねぇ」


 それらは宙に浮いたままで、刃物のように尖った羽根の柄を逆方向に変え、


「だってさ、やっぱり最期に見る世界には、敬愛する主人がいた方が幸せだろう?」


 梟へ飛んでいった。


「さよなら。


 狸が囁く。


 数多の羽根は、体の小さな梟を埋め尽くすだろう。きっとその死骸は針鼠はりねずみに似た姿になるだろう。


 狸がそう考えた瞬間。

 視界に映ったのは、予想していた光景とは全く異なった。


 鏡、なのかと思った。

 眼前に姿見すがたみが置かれたのかと。


 今の自分と同じ容姿を持つ者が立っていた。

 羽根の攻撃から梟を庇う位置にいながら、その者は身を守る体勢をとっていないし、道具も持っていなかった。グサグサと羽根が突き刺さる。その者の太もも、腹、肩、包帯を巻いた顔に、次々と。


(あ)


 と、狸は次に起こることを理解したが、少し遅かった。


 その者の身体から羽根が再び抜け、瞬く間に狸の元へと戻っていく。縦横無尽に迫ってくるそれを、狸は咄嗟に避けた。人間の目では羽根を追えないが、妖の狸にはその先端に赤色の血液が付着しているのがハッキリと目視出来た。


「っ!」


 避けきれなかった1本が、右の手首を貫いた。途端に外側に激しい痛みが、内部に溶かされるような感覚が走る。

 これに触れたのは何十年ぶりだろうか。妖を傷つけ、時に殺す赤い毒。一瞬だけ叫びそうになったが、どうしても上手く声にならなかった。狸は、その者の叫び声を聞いたことがないからだ。


「次男坊ぉ……」


 手首を抑えながら呼ぶが、その者はーー近衛二郎は、狸に背を向けていた。

 梟の近くまで歩き、しゃがみ込む。


「爺や」

「二郎さま……! 申し訳ございません! 狸を引き止めるどころか、屋敷の方へ近づけてしまいました」

「怪我は?」

「ワタクシのことはどうでもよいのです。それより花さんたちは無事に逃げられたのか……」

「ここに来る途中に歌丸殿に会った。花も朧さんも、町の者たちも屋敷へ行っている。そして貴方のことが、どうでもいいはずがない。怪我は大丈夫なのか?」

「っ! 爺は大丈夫です!」

「……そうか。良かった」


 梟が二郎との距離を縮める。


「顔が少し赤いような気が。もしや熱があるのでは?」

「昨夜から今朝まではあったけど、もう下がった。……だから歌丸殿に借りた着物を返そうと思って、当主さまに黙って屋敷から出てきた」


 梟は目を丸くした。

 この主人が、自ら町民に会いに行こうとするなんて初めてだ。それも慣れ親しんだ朧ではなく、知り合ったばかりの歌丸とは。


「亜麻屋の建物に被害が及んだ可能性があります。爺の力不足のせいで……」

「違う、僕のせいだ。僕が狸を野放しにしたから」

「狐はどうしたのさ?」


 会話に割って入ってきた声に振り返ると、元の姿になった狸がいた。3メートルほどの身長に、力士のような体型。巨体を覆う黒い体毛と、ギョロリとした両目。


 狸は穴が空いた右手首を、自ら引きちぎって道端に捨てた。


「お前さん、この時間帯は狐の山へ行っていたと思っていたのに。うーん、これは誤算だ。面倒だ」

「……何故こんなことをした?」


 質問を質問で返す二郎に、狸はニンマリする。


「あの娘の〝お兄ちゃん〟に会うためさ」


 二郎の左目が微かに揺れた。珍しいことだ。面白くて、ますます口角が上がる。

 あぁ、笑いたい時に笑えるのは気持ち良い。


「〝お兄ちゃん〟を探すには、娘の〝血〟が必要なんだよ」

「血?」

「俺は匂いで人間を探すんだ。お兄ちゃんと娘には血の繋がりがある。娘の血を飲み尽くし、その匂いを完璧に覚えたら、嗅覚の精度がグッと上がる。例えるなら、お兄ちゃんは〝心臓〟で娘は〝静脈〟。心臓に流れ着くために、娘を食いに来た」

「……どうして貴方が、あの子の兄を探す?」

「退屈だからさ」

「……」

「お前さんが大事なのは娘ではなく、お兄ちゃんの方だ。興味を持った。会ってみたくなった。……くくく。妖も案外、人間と同じだよ。退屈だとロクなことを考えないのさ」

「……僕は、貴方と戦いたくはない」


 二郎の左目が狸を真っ直ぐ見上げる。


「昔、貴方は、狐に殺されそうだった僕を救ってくれた。……父の遺体を、狐の山から屋敷へ返してくれた。そのおかげで、父の骨は近衛家の墓で眠っている」

「お前さんを生かしたのは、いつか俺を楽しませてくれると思っていたからさ」


〝いつか〟が、やっと訪れた。


 そう言う狸に、二郎が首を横に振った。


「手を引いてくれ」

「引けないねぇ」

「狸殿を傷つけたくはない」

「恩を感じているなら、あだで返しな。そちらの方が俺は喜ぶよ」

「……」

「お前さんがそうやってモタモタしている間にも、俺は動くよ? 狐と約束したんだもの」

「狐?」

「うん。お兄ちゃんを探して、狐に差し出してやるってな」

「ーーーー」


 二郎が止まった。

 瞬きもせずに狸を見つめている。中途半端に開いた口からは言葉が出てきそうにないので、狸は先に喋った。


「お前さんが気にかける存在が憎くてたまらないのさ。あいつは昔から恋をすると気持ち悪く……、いや、少々過激になるからねぇ」


 動かなかった二郎が、不意に狸から視線を逸らした。

 そのまま、通りの左側に建つ店へと入っていく。狸が店の看板を見ると、そこは木工所だった。いろんな種類の道具、色と形を持つ木材が床に散らばっている。


 黙って見ていると、二郎は店の真ん中にある台へ行った。着物の袖から財布を出す。金を台の上に置いた後、さらに紙とペンを出して何かを書いた。

それから彼は外へ出てきた。


「くくく、こんな状況で買い物かい?」

「……あぁ」


 二郎が頷く。


「金を置いた後、あの紙に何を書いたんだい?」

「〝5円足りないけど、後で必ず持ってきます〟」

「こんな状況でも律儀! てゆうか貴族なんだから、もう少し金を持っておけよ!」


 店の出入り口付近には、完成したばかりと思われる品が立て掛けられている。そのうちの1つに二郎は右手を伸ばした。

 それは長さ160センチほどの棒、かいだった。和船わせんを漕ぐ時に使う物で、柄の部分がT字になっている。

 いつの間にか二郎の左手にはナイフが握られ、右手を切りつけていた。溢れ出た血が、櫂へと流れ落ちる。


「……ちなみに何を買ったんだい?」


狸が問うと、二郎は櫂の先を狸へ向け、



「武器だよ」



 と、答えた。


 音が鳴った。

 鈴の音だ。

 木工所の向かい側にある鈴屋からだ。白色ばかりの鈴が天井から吊られ、棚に飾られ、平台に置かれ、それらは風も吹いていないのに揺れていた。

 1つだと少女の声のような音が、数多になると大衆がケタケタと不気味に笑っているように聞こえた。木工所や他の周囲の店からも、何かが落ちたり倒れる音がしている。


 反応しているのだ。

 二郎の血に含まれた霊力と、彼の〝感情〟に。


「狸は人間の肉と人間の命を食べる。だけど僕は、貴方を嫌いではなかったよ」

(ほう?)


 狸は察した。いつもは無気力に思われる真っ黒の左目に鋭い光が宿り、無感情に響く声音には〝意思〟が感じられた。


 この男は今、怒っている。


「……歌丸殿を傷つけた。爺やを傷つけた。町を傷つけた」


 単なる怒りではない。


「そして、どうしてもあの兄妹に手を出すというのなら、過去は忘れよう。ーー狐よりも先にお前を殺す……っ!」


 明確な殺意があった。


「……くくく。そんな声も出せたのかい。お前さんに化けた時のレパートリーが増えたよ」



 狸の右手が、スッと再生した。



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