襲来(4)

 翌日の15時15分。


 一郎に外へ出るなと命じられたはずの二郎が、亜麻屋に現れていた。


 歌丸はポカンとする。


「二郎さま……?」

「花に会わせてほしい」


 違和感があった。花の仕事が終わるのは1時間以上も先だ。しかも、二郎の羽織の袖から不自然に落ちてきた数枚の葉っぱ。

 どうしてだろう、姿も声も話し方も近衛二郎で間違いないのに。


「あ、花さんはここにはいないんです」

「いない?」

「……はい」


 急に、歌丸の肌全体にゾワリとしたものが走った。


「じゃあ、花はどこに?」

(……あかん)


 この人をここにいさせてはいけない。直感がそう告げている。


 歌丸は外を指差した。


「は、花さんなら外に出てますので、案内します」











「あの〝花〟という名前の女の子、なかなか頑張っているねぇ」


 1体の妖が言った。

 顔に鳥のような羽毛とくちばしがあるが、首から下は人間と同じだ。この妖の周りには3体の妖がいて、それぞれ人間と動物が混じった姿をしており、和服を着ている。


 彼らは亜麻屋に向かって歩いていた。今日は新刊が大量に入荷する日なのだ。


「それにしても朧ちゃんはともかく、ヘタレのうたちゃんが人間を雇うとはねぇ」

「それも二郎さまの客人だろ? よく決意したもんだ」

「あの子供、最初は緊張してたみたいだけど、今じゃハキハキ挨拶をするし、失敗したらペコペコ頭を下げて、目が合うとニコニコ笑って……。人間の子が笑うとあんなに可愛いのだと、初めて知ったよ」


 人間なんて、弱いくせに傲慢な生き物だと思っていたのに。


「……大事にされてるのかねぇ?」

「……そうかもな。あんな風に笑えるってことは、きっとお屋敷で大切にされてるのさ」

「二郎さまとは、どんなお方なのかね?」

「もしかしたら、我々が考えるような怖い人ではないのかもな」


 そこで会話は途切れた。少し先に見えた亜麻屋から、歌丸が出てきたからだ。

 さらに彼の後ろから、


「じ、二郎さま!?」


 ちょうど噂をしていた人物が現れたので、妖たちは驚いた。思わず様子を窺っていると、


「花さんには本の配達をしてもらってます。今の時間やと、こっちの方角にいると思います」


 歌丸が西側の道を指して言った。


 言い終えた時、だった。



「ーーーーっ!」



 この場にいた者たちは、言葉を失った。

 雑談をしていた4体の妖たちも、亜麻屋の周囲にある店の店員と客たちも、目の前で起きた現実に目を見張った。


 二郎が歌丸の後頭部を掴み、地面に叩きつけたのだ。

 痛々しい音と共に砂埃が舞い上がり、二郎の足元と歌丸の頭を隠す。

 あまりに突然のことに、辺りはシンと静寂に包まれた。



「お前、嘘をついているな?」



 濃い砂埃が収まる頃、二郎が沈黙を破った。


「微かに〝嘘〟の匂いがする。お前のような低級の存在が、嘘を隠し通せると思ったか?」

「ひっ!」


 怯えた声を発したのは歌丸ではなく、周りにいる妖たちだった。


「騒ぐな」


 二郎が制する。


「騒げば殺すぞ」


 淡々とした命令。

 逆らえる者はいなかった。まるで足が凍りついたかのように、誰も動けなくなる。


 二郎の左目が、ゆっくりと歌丸へ戻る。


 歌丸は苦しげに頭を上げた。男前で有名な顔は、土と鼻血で汚れている。二郎の左目と視線が合うと、顔は痛みで熱いのに、背筋は異様に冷たくなった。



 妖たちが囁き合う。


「あぁ……!」

「や、やはり二郎さまは恐ろしいお方なのだ……!」




(……ホンマやな)


 歌丸はぼんやりと同意した。


 数日前、介抱した時とは別人だ。

 あの日の近衛二郎は、歌丸が抱いていたイメージをことごとく覆してきた。

 町民の自分に普通に話しかけてきて、頭を下げて、お礼を言って。


 なのに今日はどうだ。いきなり暴力を振るわれて、弱い者たちを脅迫して。まさに、小さい頃から思い描いていた近衛二郎のイメージではないか。


 上級レベルの妖と対等の力を持つ子供が、とうとう近衛家に誕生した。


 その報せが13丁目に広がってから、歌丸はずっと二郎が恐ろしかったのだ。町で会ってしまったらどうしよう。粗相をして怒らせたらどうしよう。あの血で殺されたらどうしよう。臆病な歌丸は、彼の名を聞くだけで身震いした。


 数日前の彼は、自分が見た幻だったのか。

 今日の近衛二郎の姿が、真実の姿なのか。



「花の場所を言え。嘘をつけば顔の骨を折る」

「……い」

「は?」

「……こ、怖い人や……っ」


 歌丸の手は小刻みに震えていた。

 二郎が首を傾げる。


「今さら何を言っている? お前は僕の力を知らないのか?」

「……いえ、知ってました」

「そうだろう、噂通りだろう。事前に知っていたことならば、何をそんなに恐れる? それよりも早く言えよ。花はどこにいる?」


 次は骨を折ると、二郎は言った。でもたぶんそれだけでは済まないだろうと歌丸は思う。


(今度はもしかしたら殺される……?)


 そう察した瞬間、歌丸は無意識に指を動かしていた。

 人差し指がおずおずと宙を移動する。彼の指が示した方角は。


「……どういうつもりだ?」


 二郎がまた首を傾げた。

 歌丸の指先にあったのは道ではなく、二郎自身だった。


「お前こそ、どういうつもりや……!」

「…………」


 二郎の左目がスッと細くなったのと同時に、歌丸は上半身だけを素早く起こし、




「こいつは二郎さまじゃない! 偽者にせものや!!」




 間髪入れずに思いっきり叫んだ。


「に、偽者だって?」

「どういうこと?」


 歌丸の言葉に、黙っていた周囲がざわめき始める。


「……僕が偽者だと?」

「そうや! お前は二郎さまとは違う!」

「何を根拠に……」

「お前が、噂通りの二郎さまだったからや!」

「は?」

「お、俺は二郎さまは怖い人やと思ってた! で、今日のお前は、俺がずっとイメージしてた通りの二郎さまや! せやから偽物なんや!」

「意味が全く解らないのだけど」

「俺はこの前、二郎さまに会った! 実際の二郎さまは噂とは全然違うかった! 意外に話してくれるし、意外に温厚で……。えっと、朧が漫画を読んでる時によく言ってるやつ……、そうや〝ギャップ萌え〟や! お前からはギャップも萌えも全く感じへんねん! まぁ俺は〝ギャップ〟はともかくとして、〝萌え〟っていう感覚はよく分からんけど!」

「いや、分からないのはお前の発言だよ」

「だったら言ってみろ! 俺がアンタに貸した着物の色と柄を!」


 二郎の目元がピクリと動いた。

 歌丸は笑った。傷ついていた唇から血が流れたが、痛みなど感じなかった。


「答えられへんってことは、やっぱりお前が偽者ってことや!」

「…………」


 歌丸が言い切ると、


「……はぁ」


 二郎はため息を吐いた。それから顎に手を当てて、


「……長いこと生きてきたが、ギャップ萌えとやらが原因で変化へんげを見破られたのは初めてだ」


 ぶつぶつ呟いたかと思うと、


「でも俺がやることは変わらんがね」

「!?」


 歌丸の首を鷲掴みにした。


 成人男性の平均よりも細い腕が、平均よりも高い身長の歌丸を簡単に持ち上げる。


「俺が何者だろうと、お前より強い存在に変わりないよ。この辺から娘の匂いがするのは分かっている」

「ゔ、あ」


 首を絞め上げられ、経験したことの無い息苦しさに襲われる。


「安心しなよ、お前の妻には手は出さない。俺が欲しいのは娘だけだからさ。ほら、さっさとゲロっちまいな」

「っ、出来るか!」

「あぁ?」

「朧も心配やけど、花さんはうちの従業員やねん……! 俺はヘタレやけど、いくら何でもお前みたいな奴に教えられんわ……!」


 細められていた二郎の左目が限界まで大きくなった。真っ黒の瞳孔に、歌丸の苦悶の表情がハッキリと映っている。あちこちから〝歌ちゃん!〟、〝歌丸!〟と身を案じる声がする。


「……お前さん、良い奴だねぇ」


 無表情で二郎が褒めてくる。


「くく。良い奴ってのは、この世を明るくする。だから良い奴は死んではいけない。だから殺さない程度にボッコボコにしようか」


 歌丸が、ヒュッと息を呑んだ。


 二郎の喉元から何かが飛び出してきたからだ。

 それは鳥の羽根だった。二郎の首の後ろから突き刺さり、喉を貫いたのだと理解した途端、歌丸は地面に尻もちを着いた。


「歌丸!!」


 まず耳に届いてきたのは、愛する妻の声。


「歌丸さん! 無事ですか!」


 次に梟。


 二郎の向こう側を見れば、配達から帰ってきたばかりの朧と花、梟がいた。ざわついている妖たちを掻き分けて、歌丸の方へ来ている。


「……花」


 二郎が呼ぶが、花は首をぶんぶんと横に振った。


「二郎さまじゃない! あなた、誰なの!?」


 花は青ざめていた。その顔は恐怖と不信に満ちていて、騙せる余地は無い。


「おのれ、貴様はたぬきか!」


 梟が両の羽を広げた。

 無数の羽根がマシンガンのように二郎へ向かって放たれる。

 すると二郎、いや二郎に変化した狸は、それらを避けて亜麻屋の看板の上に飛び移った。


「歌丸! 大丈夫!?」


 慌てて駆け寄ってきた朧に、歌丸は頷いた。


「あぁ。生きとる」

「でも怪我しとるやないの!」

「俺より花さんや! 梟さん、その偽者は花さんを狙っとるんです!」


 花は狼狽した。


(狸が私を? まだ私を食べるつもりなの? 何で歌丸さんがこんな目に……!?)


 朧は、花の手を咄嗟に掴んだ。それから梟に尋ねる。


「梟さん、うちらは戦えません。どうすればいいですか?」

「他の町民たちと、近衛屋敷まで逃げてください。そして二郎さまに知らせてください。それまではワタクシが食い止めます」

「出来るかねぇ?」


 狸が口を挟んできた。


「次男坊ってば、ジジイを護衛につけていたか。この老いぼれに、俺を止められるかね?」

「狸よ、変化を解け。よくも我が主人あるじの声と姿で乱暴を働いたな」

「うるせぇ。ばーか、ばーか。爺やのばーか」

「くっ、偽者だと分かっていても傷つく……! ますます許さぬ!」


 地面に刺さった羽根が梟の元へ戻っていく。羽根は磁石のように一箇所に集まり、巨大な鳥のような塊になった。


「花ちゃん、歌丸、お屋敷まで行こう! みんなも逃げて!狸が二郎さんに化けて暴れとる!」


 花の手を引いて、朧は走り出す。歌丸や他の妖たちも後に続いた。

 花は振り返った。


「梟さん!」

「大丈夫です! 花さんは二郎さまのところへ!!」



 狸は内心で嗤う。


(くくく、すぐに追いついてあげるよ)


 あの娘の〝お兄ちゃん〟を探すには、



 狸は喉に刺さっていた羽根を抜き、妖しく舐めた。




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