初出勤(3)

 広い道の両脇に建ち並ぶ店。市場のような街並みを真っ直ぐに歩いたり、ときどき曲がったりして、朧は本を配達し、花は本を狙う蛇を追い返していた。


 朧は荷車をゆったりと引くので、花は普段通りの歩幅でついていける。世間話を交えながらそれぞれの作業を繰り返し、10軒目の配達先に着くと、


「花ちゃんもお客さんと話してみる?」


 と、朧が急に言ってきた。

 少し迷ったが、せっかくなので花はやってみることにした。


 花の初めての配達先は菓子屋だった。頭上にある看板の文字は読めないが、店の軒先には色も形も様々な菓子が並んでいる。


 ヒヨコの形をした桃色の饅頭。

 抹茶色の生地で作られた三角の焼き菓子。

 ふんわりと雲みたいな見た目の菓子。

 涼しげな水色の菓子はぷにぷにと柔らかそうで、長方形に切られている。

 軒先の屋根からは幾つもの透明の袋が吊るされ、全てに3つの飴玉が詰められていた。3つの色は決まって黄と橙と赤。紅葉みたいだ。


 店内に誰もいなかったので、花は〝こんにちは〟と緊張気味に呼びかける。が、反応は無い。

 後ろから〝花ちゃん、もうちょっと大きい声で〟と朧の小声が聞こえ、花は息を吸って腹に力を込めた。


「こんにちは!」


 するとすぐに店の奥の暖簾のれんがめくれた。現れたのは、頭のてっぺんに狼のような両耳が生えた妖だった。狸ほどではないが長身で、耳の先が天井に当たっている。


 妖には2種類の姿がある。狐に狸、梟や蛇のように動物の姿を持つ者。

 錦、朧、歌丸のように動物と人間が混じったような姿を持つ者。

 狼の妖は後者だった。二本足で立ち、指が生えた手を持ち、着物を着ている。だけど顔と両足の形は狼そのものだった。


「あ、あの、こちらがご注文いただいていた本です!」


 狼の大きさに気圧されながら、花は翡翠色ひすいいろの本を差し出した。朧がそばにいるから安心だけど、狼の半開きの口から見える牙はどうしても怖く、花の手は微かに震えた。


 しかし、


「……あぁ、はい。これはどうも……」


 狼の声は見た目と違い、ひどく弱々しかった。

 そして本を渡した瞬間、花は気づいた。狼の手が、震えていることに。可愛い菓子を作れるとは思えない無骨な手が、花の小さな手よりもずっと震えていたのだ。さらに鋭い目付きの視線は泳いでいて、花を見ようとしない。


(……そうか。この妖さんも


 途端に花の心から緊張感が消え、一気に沈んでいく。


「この子、花ちゃんて名前なんよ。今日から働いてもらってます。よろしくね」


 狼と花の間に流れた微妙な空気を、朧の笑顔が変える。狼は安堵したように表情を柔らかくした。


「そ、そうかい。噂には聞いていたけどな……。えっと、じゃあ初仕事の記念に菓子でも奢るぜ。そちらのお嬢さまと、朧ちゃんと、うたくんの分もな」

「ええの? おおきに」


 狼が菜箸さいばしを使って菓子を器用につまんでいく。朧は嬉しそうに笑っていたが、花は何も言わずにじっと俯いていた。










 お菓子屋を出た後、朧は町から離れて河原へ行った。

 たどり着いた川はすごくキレイで、花は見惚れた。10丁目の川は泥が沈み、ゴミが浮いていたのに、13丁目の川は泳ぐ魚と水底が見えるくらいに澄んでいる。


「ちょっと休もうか」


 朧が荷車を近くに置く。川岸に沿って並んでいるベンチの1つに、朧と花は座った。


 水の音がした。

 川の中から一匹の蛇がにゅっと顔を出していた。岸に上がってくる気配は無く、本が積まれた荷台を見ている。

 花は腰籠から紙ヒコーキを取って投げた。蛇が口でキャッチして水中へ戻っていくと、朧が拍手をした。


「おおう、お見事! 蛇にはもう慣れたみたいやね」

「はい。もう大丈夫です」


花は、この短時間で5匹の蛇に遭遇したが、彼らは決して花を襲ってこなかった。足元まで近寄ってくるが、紙ヒコーキ入りの腰籠を奪うような真似はせず、ただチラチラと見上げてくるだけだ。紙ヒコーキを与えると嬉しそうに尾を振り、一度だけ花が誤って紙ヒコーキを水溜まりに落とした時はしょんぼりと落ち込んでいた。


「見た目は怖いのに、性格は大人しくて素直なんですね。そういうのが分かると怖くなくなりました」

「そうやなぁ。どんなに怖いものでも、何度か会ってると慣れてくるものなんやけど。例えば二郎さんもね」


 朧が、狼から貰った竹の葉の包みを開く。中には串団子が山のように積まれている。そのうちの1本を差し出され、花は受け取る。


「……二郎さまは、そんなに屋敷から出てこないんですか?」

「うん。それはもう4年に一度は死亡説が流れるくらいやで」

「し、死亡説!?」

「すごいやろ? 人間さんがやってる世界的な祭典と同じ周期やで。……たまに亜麻屋に来ても、裏道を通ってるから誰にも会ってないみたいやしなぁ」

(……?)


 花は疑問を抱く。

 朧は、二郎が外へ出ない人だと思っている。

 狸も以前に〝引きこもりの次男坊〟と呼んでいた。


 でも花が知る限り、二郎はの方が多い。

二郎の居所を梟や錦に尋ねても〝今は出かけております〟と答えられる。


(もしかして二郎さまが頻繁に出かけるようになったのは、最近の話なの? 一体どこへ行っているの?)

「ところで花ちゃん。さっき、怒ってた?」


 花はギクリとした。


「狼のおっちゃんの店で、怒ってたやろ?」


 朧の言う通りだ。花は、狼の怯えた態度にムッとしてしまった。客商売だとは分かっていたのに。

てっきり注意されるかと思って身構えたが、意外にも朧の表情は穏やかだった。その穏やかさに胸がキュッとなり、花は尋ねた。


「梟さんから聞いたことがあります。この町の妖たちは、二郎さまの力を怖がっているんだって。外に出てこない方を何故そこまで恐れるんですか?」


 今日、町の妖たちは花に対して妙によそよそしかった。すれ違う妖も、配達先の妖も、朧とは挨拶を交わすのに、花のことは何となく避けていた。

 初めての仕事で最初はワクワクしていたのに、周囲の反応により花の心は暗くなっていった。とどめを刺したのが、あの狼の手の震えだ。


 妖たちが、ただの人間の花を恐れるはずがない。

 彼らが恐れるのは、花の後ろにいる二郎なのだ。


「みんな誤解しています。二郎さまは怖くないのに……」

「うーん。そこは〝人間〟と〝妖〟の違いなんかなぁ。あの方の力は、妖にとっては脅威やからねぇ」

「……その力で、二郎さまが誰かを傷つけたことがあるんですか?」

「いや、それは無いねぇ。二郎さんと前当主さまが手を下すのは町民を傷つける者と、13丁目から抜け出して人間を襲う妖だけやから」

「っ! つまり悪い妖をやっつけて、良いことをしているんですよね? それなのにひどい。朧さんみたいに二郎さまと普通に話す妖もいるのに!」

「……実はウチもね、昔は二郎さんが恐ろしかったよ」

「え?」


 花は目を丸くする。


「この町の妖はね、ウチを含めてほとんどが低級レベルや。中級はごく一部。上級は狸と狐の2体だけ。その2体を相手に出来る人間は二郎さんだけ。妖からしてみれば、その事実だけでどうしても怖いんや。近衛二郎を怒らせたらアカン、絶対に近づいたらアカンって、大人に言われながらここの子供たちは育ってきた」


〝せやけどね〟と朧は続けた。


「歌丸とまだ結婚してなくて、ウチだけで家業の本屋をやってたころに、二郎さんが亜麻家に客として来てくれるようになったんや。〝屋敷の本は全て読み切った〟って言うてね。で、何度か話してるうちに印象が変わった。ウチが勝手に想像していた二郎さんと、実物の二郎さんは全く違った」


 強大な力を持ちながら、彼は高圧的でも攻撃的でもなく、口数が少ない静かな人物だった。

そして、変わっている人でもあった。

身分の差を気にしない。朧が仕事上でミスをしても怒らない。優しい物語をよく読んでいる。会うたびに見えてくる意外な一面に、朧は反省していった。

自分はこの人を何も知らなかった。


「ウチもみんなに、ホンマの二郎さんを知って欲しい。……せやから二郎さんにはもっと町へ来て、妖たちと交流を持って欲しいんやけどね。花ちゃんも二郎さんのこと好きなんやろ?」

「えっ!?」


 ドキッとした。 朧が言う〝好き〟は、二郎を1人の人間として好きかどうかで、きっと恋愛的な意味ではない。それなのに花の頬は熱くなり、動揺してしまう。


「も、もちろんです! とてもお世話になっていますし!」

「二郎さんに会えて良かった?」

「……はい」


出会えた理由は複雑だが、それでも二郎は出会えて良かった人だと、花は思える。


「じゃあ花ちゃんは笑ってたらええよ」

「笑う?」

「うん。花ちゃんが笑ってたら、みんなに伝わるよ。〝この子は二郎さまに大切にされてるんだろうなぁ〟って。二郎さんの近くにいる花ちゃんが幸せそうやったら、みんなの中で凝り固まってる二郎さんへのイメージが、変わるキッカケになるかもしれへん」

「……」


 それは花にはまったく無い考え方だった。


「……私が笑うだけでいいんでしょうか?」

「少なくともウチが〝二郎さんは怖くないよー〟って何回も言葉で言うよりも、花ちゃんの笑顔の方が大きな効果があるかもね。だってウチ、花ちゃんの笑った顔が好きやもん」


 朧が笑って言う。明るさと優しさが含まれた笑みだった。こんなに素敵な笑い方をする朧のそばで、自分はムッとしながら俯いていたのかと思うと申し訳なくなった。


「……朧さん」

「ん?」

「狼さんの店でいる時、ムスッとしてすみませんでした……」

「大丈夫。これからや。何もかも、これから」


 朧は花の頭をぽんぽんと撫でた。


(……私に出来るのかな?)


 朧さんみたいに笑えたら、あの人の印象を変えられるのかな……?


 花は串団子を齧った。甘いタレが、とても美味しかった。





ーーーーー



考えても考えても、未だにあの人の行動が解せない。

きっとそのせいだ。

相手に解せないことをされると、こっちまでおかしくなるのだ。

歌丸は自分に言い聞かせた。


2階へ続く箪笥階段たんすかいだんの1番上の棚から包帯を、その隣の棚から薬草を、下から3番目の棚からは清潔な着物を取り出す。


自分でも信じられなかった。




ーー〝よかったら、家で休んでいきませんか?〟




自他共に認めるビビりの自分が、帰ろうとしているあの人にそんなことを言うなんて。


歌丸は自分の行動に混乱しながら、背後の椅子に座る血まみれの二郎へと振り返った。



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