初出勤

「今日からよろしくお願いします……!」


 二郎が狐の山にいた頃。


 書店の亜麻屋で、花は頭を下げていた。高い位置で1つに結んだ金の髪が背に落ちる。 にしきから貰った赤と黒のチェック柄の着物の上に、おぼろから借りた白の割烹着を身につけ、心はガチガチに緊張していた。


「似合ってる! 可愛いわぁ」


 嬉しそうにはしゃぐ朧。

 頭に生えた鹿の角には、折り鶴と朱の玉飾り付いている。灰色の短髪に健康的な小麦色の肌。亜麻色の着物の裾を太もものあたりで結び、膝から足首にかけて黒い布を巻いている。朧の快活な雰囲気に、花は少し安心した。


「花ちゃんが来てくれて良かったわ。あ、花ちゃんって呼んでもいい?」

「はい! もちろんです!」

「よし、じゃあ花ちゃん! さっそくみんなに本を配りに行こか!」

「ちょっと待ったーー!!」


 壁面の本棚が外開きのドアのように動き、その内側から栗色の髪の妖が出てくる。朧の夫である歌丸だ。

 朧と同じく鹿しかの角は装飾があり、和紙を菱形ひしがたに切った物と紺色の玉飾り。こけ色の着物と亜麻色の羽織という着流し姿が似合う色男、歌丸はオロオロしていた。


「花さんには掃除とか店番とか虫退治してもらうはずやろ!?」

「そうやけど、最初は外に出た方がええって。花ちゃんの顔をみんなに覚えてもらわんと」

「肉体労働は俺がするから! その子には箸より重たい物は持たせたらアカン!」

「あんたねぇ……。いい加減にしなさい。いつも言うてるけど、二郎さんは恐ろしい方やないから。ねぇ、花ちゃん?」

「はい!」


 花はコクコク頷いた。屋敷内のことは話すなと言われたけど、これなら許されるだろうと、歌丸を真っ直ぐに見る。


「ちょっと無口だけど、こっちが話しかけたら答えてくれます! 私は二郎さまに怒られたことなんてありません!」


 私なんかを拾ってくれて、信じてくれて、勉強もアルバイトもさせてくれて、頭をポンポンしてくれて。

〝かわいい〟って言ってくれて……。


「本当に優しい方なんです……!」

「そうそう。ウチがツッコミ入れても全く怒らんし」

「ツッコミ!? お、朧、まさか二郎さまの発言に対してツッコミを……?」

「ホンマに面白い方やで。貴族なのに貴族らしくないところも、ウチは好きやわ。さて、そろそろ行こか」

「いや経緯を教えて!? ツッコミに至るまでの経緯を!!」


 歌丸にかまわず、朧は古いガラス戸を引いた。年季の入った音が店内に響くと、外の明かりが一気に差し込んでくる。


 花は目を見張った。

 店の前に荷車があったのだ。花がここへ来た時には確か無かったはずなのに。


 近寄って見てみると、荷車はチョコレート色の木で作られていた。荷台には5段の本棚が後ろへ倒され、棚に隙間なく本が詰められている。

 左右に大きな車輪が2つ、前方にレトロなデザインをした大人用の三輪車が1台。

 荷車と三輪車は、花が初めて見る木製の器具で繋がっていた。どうやらこの荷車は人の手ではなく、三輪車で牽引するらしい。


 運転席に乗ったのは朧だった。


「運転は難しいから、うちがやるね。花ちゃんはこっちの仕事をよろしく」


 渡されたのはわらで編んだ腰籠こしかご。中身を見ると、多彩な折り紙で作られた紙ヒコーキが大量に入っている。


「朧さん、これは一体……?」

「あ、さっそく来たわ」


 自転車のサドルに跨ったまま、朧は後ろを見ている。花も釣られて同じ方へ視線を向けて、


「っ!?」


 声を失うほど驚いた。


 10メートルほど先に、蛇がいた。


 薄緑色の体長は軽く5メートルを超えており、胴体は少し太い。花が初めて13丁目に来た日も、あれに似た蛇が地面を這っていた。でも周りの妖たちは特に気にせず、普通に買い物をしていたのを覚えている。


 蛇は、亜麻屋の方へ来ていた。爬虫類独特の目で花をじっと見つめている。


「大丈夫。怖くないよ」


 動けずにいる花のそばに、朧がやってきた。彼女は腰籠から空色の紙ヒコーキを取ると、蛇に向かって飛ばす。紙ヒコーキは、蛇の上を通り過ぎていった。すると蛇は急に進行方向を反対に変え、紙ヒコーキを追いかけ始めた。

 

 蛇が離れていくと、花は全身の力がぬけて、思わず朧に寄りかかってしまった。

朧は花の頭をよしよしと撫でる。


「あの妖はね、人間は襲わへんよ。あの子らの好物は〝紙〟やからね」

「……紙?」

「うん。人間さんの世界なら〝山羊〟みたいな生き物。13町目にはたくさんの蛇がおって、荷台に積んである本を狙ってくる。商品を渡すわけにはいかんから、代わりに折り紙をあげてるの。あんなに大きな体なのに胃袋がすごく小さいから、1体につき紙ヒコーキ1枚で足りるんよ。ーーというわけで、また蛇に遭遇したらよろしくね。歌丸は紙ヒコーキを作るのが上手でなぁ。これ、めっちゃ遠くまで飛ぶから!」


 満面の笑みで親指をグッと立てる朧。若干、笑顔が引き攣っている花。

……そんな彼女たちの姿を密かに見守っている者がいた。


(花さん、ガッツです! 二郎さまの命により、このワタクシが常に見ておりますぞ!)


 亜麻屋の屋根の上で、梟がエールを送っていた。







 朧と花が町へ行った後、客がいない店内で歌丸は大きなゴミ袋を抱え、ガラス戸から出た。亜麻屋の隣は文具屋だ。2軒の間にある細い路地を進みながら、歌丸は考えた。


(ホンマにこれで良かったんやろか……?)


 勢いで人間を雇ってしまって、歌丸は少しだけ、いや、けっこう後悔している。朧はすごく喜んでいるが。


(花さん自身は悪い子ではなさそうやけど、その後ろに二郎さまがおると思うと、どうしてもなぁ……。いくら怖くないって言われても、俺はあの方と直接話したことないし)


 歌丸は、狸も狐も怖いが、彼らが好んで襲うのは人間だ。

 だけど近衛二郎が持つ血は、妖を殺すものだ。

 狸と狐の血をいくら浴びても鉄臭いだけだが、もしもあの人の血に一滴でも触れたら。


 そこで歌丸の思考は遮られた。

 路地の奥を左に曲がり、亜麻屋の裏側に着いた。


(うわ)


 げんなりした。

 裏側に置いてあるゴミバケツの横に、誰かが座っているのだ。

 頭のてっぺんから足首まで外套がいとうを被っているので、顔は見えない。女のように細い身体だけど、身長からして恐らく男だろう。


(酔っ払いか……)


 歌丸はため息を吐いた。亜麻屋の斜め前には居酒屋がある。ときどき、そこの客がこうやって店の裏で潰れているのだ。


「ちょっとお兄さーん。起きてくださいよー。こんなとこで寝てたら風邪ひきますってー」


 肩を揺らして話しかける。意外にも相手はすぐに反応を示した。深酔いはしていないようだと歌丸は安心したが、


(……え?)


 すぐに異変に気づいた。


 血だ。


 外套からはアルコールではなく、鉄のような匂いがした。

 男の頭が動いて、フードが少しだけズレる。


(ほ、包帯……!?)


 その者は、顔面のほとんどに包帯を巻いているという、滅多に見ない特徴を持っていた。

歌丸が知る限り、こんな特徴を持つ人物はたった1人で……。


まさか。


(近衛、二郎……っ!?)


 真っ黒の左目と視線が交わり、歌丸は真っ青になった。

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