満月の夜(中)
「何事だ。騒々しい」
一郎は声を張り上げる。
感じた気配は1人分ではなかった。南側の外には庭があり、赤く輝く
人間、半妖、男、女。種別も性別も関係なく庭に膝をついている。みんな一族の者だった。
「当主さま!」
三郎が一郎よりも大きな声を出し、
「どうか狐の討伐隊を立ち上げてください!! 僕たちに二郎兄さんのお供をすることを許可してください!!」
懇願した。すると他の者たちも口々に叫び出す。
「ようやく二郎さまが狐を倒す決意をされたと聞きました!」
「一族のために命を捧げる覚悟は出来ております!」
「一緒に連れて行ってください!」
三郎は部屋に入り、一郎の前で膝を折った。
「傷ついて帰ってきた兄さんを見てから、考えていたのです。それから皆で話し合いました。何とか二郎兄さんのーー、一族のためになることは出来ないかと。当主さま! どうか許可を!」
「…………」
一郎は下の弟の真摯な瞳を見返して、次に上の弟を見た。
〝ジャラッ〟
ピンと糸が張ったような空気に、豆が擦り合う音が響いた。音の元を辿れば、畳から立ち上がる二郎がいる。
三郎と始めとする集団はハッと驚いた。
二郎が歩き始めたのは、集団がいる反対方向の北側の襖だったからだ。
「二郎兄さん!?」
三郎は咄嗟に追いかけた。
「待ってください! 今は一族が団結するべき時なのです!」
〝そうだそうだ〟と南で同調が沸き起こるが、二郎は全く聞こえていないかのように、北側の襖に手を触れた。三郎は二郎の腕を掴んで引き止める。
そこでようやく、
「討伐隊は要らない」
二郎がそう言った。
静かなのによく響く不思議な声質に、集団はすかさず反応する。
「い、要らない!?」
「確かに我らでは束になっても狐には敵いません!」
「二郎さまはお優しい方。我らの身を案じてくださっているのでしょうが……」
「しかし何らかのお役には立てるはずです!」
飛び交う叫び。
「二郎さまの霊力は強くて、お身体が弱い……!」
「だから我らの身を使ってほしいのです!」
二郎がゆっくりと三郎の腕を解いた。やはりゆっくりと南側の面々を見つめる。
集団は独特の熱を持っていた。結束、情熱、期待、
しかし、
「僕は、貴方たちの身を案じてなどいません」
二郎が放った言葉は、集団の予想を超えるものだった。
「ハッキリと言わねば分かりませんか? 足手纏いだからついて来るな、と言っているのです」
「じ、二郎兄さん……?」
「貴方たちが来ても、役には立ちません。貴方たちの身体は確かに健康ですが、霊力は弱い。それでは意味がありません。使ってほしいと言われましたが、使い道が無いのです」
二郎が一言紡ぐたびに、集団は唖然としていく。しかしそれでも食いつく者は数人いた。
「では、せめて
「要りません。狐は貴方たちに興味はありませんので、見向きもしないでしょう」
「私は当主さまほどではありませんが、治癒の術が得意です! だから」
「治癒が得意なら、それこそ屋敷で待機していてください。山で無駄死にされては迷惑です」
「うっ……!」
淡々とした声音がことごとくねじ伏せていく。さすがにもう誰も声をあげる気力を持つ者はいない……と、そう思われたが、たった1人だけ残っていた。
「それでは僕を、二郎兄さんの
三郎だった。
その瞬間、強い風が吹いた。
灯籠を揺らし、庭木の葉をガサガサ鳴らし、鳥たちが驚いて飛んでいく。
三郎の背筋が、ゾッとした。
外から室内へ風が流れ込んできたからだろうか。
(いや、違う)
すぐに気づいた。悪寒の原因は風ではなく、兄の二郎だ。
(……いつもの兄さんの目ではない)
知らない目だ。
しかし、知っている目でもあった。
あぁ、そうか。三郎は確信する。
身に覚えがあるのは当然だ。だってこの目は、一郎の目と同じなのだ。
普段は無感情で朧げな二郎の瞳には今、一郎の瞳と同じ冷たさが宿っている。だから背中の悪寒が止まらないのだ。
「〝盾になりたい〟? そんなことを言う奴が、1番邪魔なんだ」
これまでで最も強く、二郎は否定した。
これには皆が驚いた。
部屋に引きこもりがちで、他者と距離を置きたがる二郎だが、実弟の三郎だけは可愛がっていることは有名だったからだ。二郎が、弟にこんなに冷たい態度をとるのは初めてではないだろうか。
〝あぁ、それと〟と、二郎は付け加えた。
「僕は〝お優しい方〟ではありません。どうか勘違いなさらずに」
集団に言い残し、立ち尽くす三郎を放置し、そのまま襖を開く。
二郎の圧倒的な拒絶に、さっきまでの熱はすっかり冷めていた。いや、冷めるどころか氷漬けにされ、今度こそ言い返す者はいなくなっていた。
部屋の北側の襖。そこには先が見えない暗い廊下がある。二郎は無言で進んで歩いていく。
絶望と無力感に空気が支配される中で、一郎だけが二郎の後ろ姿をずっと見ていた。
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