第2回

第1話 別れ

 カーテンの隙間から白んじてきている空を眺めていた。深夜2時ごろに目覚めてしまっては拭き取れないシミのような悲しみのせいで眠れずにいたのだ。私はダイニングテーブルに使っている木製の椅子を部屋の端っこに持ってきては、彼の絵を側に置いて夜明けを待つことにした。


 この絵はいつか2人で行った岡本桟橋での彼の様子を写真で撮ったものを描いたものだ。地平線と触れ始めた夕焼けが遠くに見える桟橋の上で、彼は蹲り固まったかのようにじっとしていた。私は遠くからその様子を撮り彼の側に寄って、「どうしたの?」と聞くと彼は、


「幸せ過ぎて怖いんだ。」


 生まれたての赤子の様にこの世の全てが真新しく、希望と絶望の両方が孕んでいる世界に足を踏み入れては戸惑っている様子だった。私はどうしようもなく愛おしく思い、無心で後ろから包むように彼を抱きしめた。


「ずっと一緒だよ。大丈夫だからね。」


 彼は私の手を掴んでは何度も無言で頷き、2人で赤色に染まった。私は、今日のこの潮風と夕日を一生忘れないだろうと思った。


 私は椅子の上で膝を丸めてホットミルクティーを抱えることで、消えてしまった温もりを見出そうとしたが、却って凍らせていた虚勢の感情を溶かせては、涙を溢れさせた。私は声や呼吸も乱れない涙に拭うことを忘れていた。頬を通過し顎に伝ってきたところでこそばゆくなって、私は反射的に涙を拭った。部屋の方を振り返ると、何かが欠けた部屋に私は取り残されているのだと再認識させられた。「何か」がという曖昧な表現をしたのは私自身も欠けたモノの実体を掴みきれないでいたからだ。半分余白が生まれたクローゼットや私は読まないであろう本が半分ほど置かれた本棚と至る所に彼のいた痕跡がある。物理的に無くなったものもあれば、そこにあるが故に不在を表しているものもあるのだ。この光景を目にするたびにあの日のことを思い出す。


 仕事を終えて、19時ごろ帰宅すると鍵が空いていたのでてっきり彼がいるものだと思い、部屋に入って「ただいま」というが、返答がないのでイヤホンを外してもう一度言ってみる。自分の声がやけに反響して聞こえその後には静寂と除湿器の稼働音のみが聞こえてきた。私は不安になって急ぎ足で部屋を組まなく確認したが、彼の荷物だけがすっかり部屋から消えていた。私は震える手で携帯を取り出して、電話をかけた。3コール目で彼が出た。


「もしもし。」

「もしもし。」

「どこにいるの。どうしたの。」

「ごめん。」

「なんで謝るの。」

「別れてほしい。」

「嫌だ。」


 今にも大きな声をあげて泣いてしまいそうだった。


「ごめん。」


 目がだんだんと潤んできていた。


「一度、会って話をしよう。」

「ごめん。」


 彼は謝ってばかりだった。


「お願い。ちゃんと話をしよ。」


 彼はしばらく無言になっていた。彼の声もどこか詰まっているのがわかった。


「だめだよ、萌ちゃん。僕たちは一緒にいるべきじゃないんだよ。」

「どうして?ちゃんと話してよ。」

「僕には、もう耐えられないんだよ。」


 私は皆目見当がつかなかった。彼は一体、何に耐えられなかったのだろう。私の何が彼を苦しめていたのだろう。私は暮らしの中で彼を責めたことなど一度もなかった。


「ごめんね、何か嫌なところがあったならちゃんと聞くから、一度会って話そう。」

「僕はね、萌ちゃんのことが好きだよ。きっと萌ちゃんならこの先も大丈夫だよ。応援してるから。」

「だったら一緒にいようよ!」 

「それは出来ないよ。ごめんね。元気でね。」


 彼はそういうと電話を切った。私は世界が半分消えた部屋で延々と泣き続けた。


 この一杯を飲んだらもう一度寝よう。今日は休日だし、昼から映画でも見たりして時間を過ごせば気も晴れているだろう。私は自分にそう言い聞かせては、ミルクティーを飲み干して、4時頃もう一度眠りについた。

 携帯で時刻を確認するときっかり午前6時だった。あまり眠れなかったのとため息を漏らしながら携帯をいじっていると、たくさんのライン通知があった。親友の明美からだった。何度も電話がかかってきていた。私は何事だろうかと顔を洗うことも忘れて折り返し電話をかけた。1コール目で明美は電話に出た。


「もしもし。どうしたの?」

「萌、あのね、落ち着いて聞いて欲しいんだけどね。」


 明美の声は震えていた。その緊張が私にも伝わってきて、自分の鼓動が速くなるのを感じていた。


「うん、大丈夫だよ、どうしたの。」


 明美はゆっくり深呼吸してから、一言一句を丁寧に答えた。


「俊介くん、亡くなったの。」


 私は頭が真っ白になって返答できずにいた。


「萌、大丈夫?」


 明美の声で私はかろうじて現実だと認識できるほどだった。


「ごめん、ちょっと頭が追いつかなくて。」

「そうだよね。」


明美は電話の向こうで泣いているのだろうと私はわかった。


「ちょっと、頭の整理がつかないから、また後で連絡するね。」

「そうだよね、何かあったらすぐ言ってね。いつでも相談に乗るから。」

「ありがとう。」


 明美は自分から切らず私が切るのを待ってくれた。顔を洗おうと思っていたが洗うのをやめた私はもう一度横になると、今度はぐっすりと眠れた。

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交換小説 だだべる @dadabell

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