交換小説

だだべる

第1回 未選択ループ

「これでお前はもう人間だな。」


 男は身に着けていたボロボロの腕時計をおもむろに外すと、シミ一つない私の純白な手首に、半ば無理やり巻いてきて、そう言った。


「何をしているんですか。」


 私は彼の突飛な行動に、一歩身を引いた。夜中繁盛しているこの酒場も明け方にさしかかり、店には私とこの男しか残っていない。


「何ってお前が人間みたいになりたいって言ったんじゃないか。」

「なぜあなたの使い古した腕時計を付けると人間になれるんですか。」

「ハハ、なんでだろうな。」

「は?」


 男は質問に答える気はないようで、薄ら笑いを浮かべながらもう一度私の手を取った。その目はとても明るく輝いていて、しかし時折暗い表情を覗かせた。そして、カチ、カチと単調な音を鳴らす機械をいじり始めた。


「この腕時計はな、手巻き式なんだ。だから持ち主が毎日巻き直さなきゃいけない。ハハ、面倒だろう?」

「それは非効率ですね、メンテナンスも必要でしょう。それに私には時間を正確に測る機能も備わっています。なのでこれはお返ししま……。」

「だから良いんじゃないか。」

「え?」

 

 いつも冗談しか言わない男の声色が一瞬変わった気がした。優しい手つきでゼンマイを巻いていく。いつ壊れてしまってもおかしくない、時を刻むだけのおんぼろのどこが良いのだろうか。私が考えこんだことを察したのか、男はいつもの調子を取り戻してへらへらと笑い出した。


「ハハハ! そんな些細なこと気にするな。お前は死にかけだった俺を助けてくれたじゃないか、そのお礼だよ。」

「そういうことなら。この今にも壊れそうな腕時計の良さがどこにあって、また、身に着けたことで人間になれたのだとは一切思いませんが、お礼ということでしたら貰っておきましょう。でも、あなたにとってこの腕時計はとても大切な物なのではないでしょうか。そんな大事なものを私なんかに……。」

「お前にこそふさわしいんじゃないか?」


 男はきっぱりと断言した。


「はい? それは、どういう意味でしょうか。」


 こんなにも思考が停止した日はなかった。いつだって私は最適な答えを最速で出してきた。


「その時が来れば分かるんじゃねえの。とりあえずお前に預けとくからさ、一日考えてそれでもいらないと思ったなら今日の夜にでも返してくれよ。それでいいだろ?」

「はい、そういうことなら。ですが『いらない』という選択肢しかないですよ。」

「はいはい、とりあえずまた今夜。」

「はい、ありがとうございました。またお越しくださいませ。」


 男はいつも通り閉店間際に店を出ていった。


 それから今日までの三か月、あの男が再びこの店を訪ねてくることはなかった。それでもどういうわけか、私は今もあの男にもらった腕時計を身に着けている。


「これでお前はもう人間だな。」


 どうしてあのようなでたらめなことを言ったのだろう。今日もゼンマイを巻き直しながらあの日のことを思い出す。



 予報外れの雨が降った。降水確率は20%と言っていたのに、窓をしきりに叩く強い雨が街を包んでいた。しかし、俺にとっては好都合な条件だった。傘や雨合羽を身につける人で溢れていた方が、仕事はしやすい。俺の仕事は数時間後に殺人の罪を犯すであろう人間を事前にこの世から消すことだ。俺が殺してきた人間は、自分の殺意にさえ気づいていない人間も大勢いたが、俺からすればそれは幸せな事だと思う。尋常ではない殺意を抱き、復讐心に取り憑かれては一生逃れることの出来ない世界に踏み入ることになるのだから。そしてその殺意のほとんどが衝動的で偶発的なものなのだ。


 そして今日も、いつも通りに終わらせられるはずだった。何一つとヘマはしていなかったし、機械の故障もなかった。油断や慢心とも違う、きっと麻痺し始めていたのだ。人の命を奪うというこの仕事を繰り返すことによって。


 未来殺人者の氏名は森本直希。21歳のバーテンダー。未来殺人被害者、橋本花子。26歳、森本のバーの常連客。森本のバーに橋本の恋人と名乗る男がやってきたことによって逆上した森本がこの男と橋本を殺害するという未来が観察されたので、まだ1人でいる森本を射殺しに行くというところだ。狭い路地を通っていき、森本のバーの裏口を目指す。後2分後に森本がここからゴミを捨てに出てくる。その時後ろから頭をうつ算段だ。次第に雨の音を忘れるほど集中していた。そして2分がたった。しかし、森本は現れない。腕時計を見たが、時間はとっくに予定よりも2分を超過していた。ドアを開けて中の様子を伺おうか?いや、もしも誰かに見られたら、その方がかえって面倒になる。しかし一体どういうことなのだろう?待ち合わせ時間になっても誰も来ないで不安になっている修学旅行生のようにイライラし始めていた。俺は痺れを切らして本部に連絡しようと、携帯を取り出した。その瞬間銃声が鳴り響いた。


「大丈夫ですか?!」


 寒い、頭が痛い。俺は撃たれたのか?それにこの男は一体誰だ?俺を助けようとしてくれているのか?


「ひどい出血だ。すぐに手当てしなければ、死んでしまう。」


 そういうと、男は俺を抱きかかえ、規則的な機械音の足音を鳴らしながら、急いでどこかへ走っている様子だった。俺はこの男の腕の中で再び意識を失い、目覚めると、その男の部屋にいた。そう、この男こそあのロボットだ。


「まだ横になっていてください。」


 頭に銃弾をかすめた男がベッドから起き上がろうとしている。かすめたといっても肉は削れ頭蓋骨が顔をのぞかせていた。万が一のため応急処置プログラムをインストールしていたおかげで止血はできたが、日が昇ったら病院に連れて行かなければならない。


「お前は誰だ。なぜ俺を助けた。」


 瀕死の男は混乱していた。自分の置かれている状況が分かっていないようだった。私は男の気を逆立てないように言葉を選びながら話し始めた。


「昨夜向かいの店から銃声が聞こえたんです。私は何が起こったのか確かめるために現場に急ぎました。そこには血だらけのあなたが地面にうずくまっていたので、そのまま私の店に連れてきて応急処置を施しました。その後はあなたがこうして騒ぎ立てるまで私は何もしていませんよ。」

「す、すまなかった。自分でも何が起きたのか分からなくて。助けてくれてありがとう、礼を言うよ。」


 ちゃんと会話をすれば話の分かる人らしい。私は完全に落ち着いてもらうためにこの後のことを伝えた。


「朝を迎えたら病院に行きましょう。手術することになると思いますが元気そうなのであなたなら大丈夫でしょう。」


 私は男の安心する姿を想像していた。しかし、思いもよらぬ答えが返ってきた。


「病院はダメだ。」

「え?」


「個人的な事情で病院には行けない。お前が手術してくれ。この完璧な処置はプログラムされていたものだろう? ロボットなら可能なはずだ。」


 私の思考は停止した。手術を頼まれたからではない。ロボットとだということがバレたからだ。


「わ、わたしは人間なので手術はできません。病院にいきましょう。」

「ほんとの人間は自分のことを人間だ、なんて言わない。ロボットであることを否定するはずだ。無理は言わない。お前ができないならこのままここを去るだけだ。」


 図星だった。

 今までロボットだと暴かれたことなどなかった。店の仲間やお客さん、近所の人にも気付かれたことはない。完璧に人間として暮らせていたはず。それなのに、この男は数回のやりとりで私の正体に気がついた。ここまで言われて、できることをできないとは言えなかった。


「やります。ただ責任は取りかねます。」

「それでいい、やってくれ。」


 手術は1時間で終わった。インストールされた手術プログラムは完璧で、この男の回復力もあってか1週間後には傷が塞がっていた。それ以来彼は毎日のように私の店を訪ねてくるようになった。何を頼むわけでもなく、きまってカウンターの端に座って閉店ギリギリまで居座っていた。初めは邪魔に感じ追い払っていたが、いつしか暇な時間の話し相手になり、最後には悩みを相談するまでになっていた。彼には自分と似ている部分がありながらも、相容れないところがあった。そして、腕時計をもらって1年、もうすぐ春を迎えようとしていた。


 いくつかの常連が店に入ってき、馴染みのある喧騒が店に響いていた。髭を目一杯蓄えた車のディーラーのサムはカウンターに座って私に話しかけてきた。


「なぁ、最近あいつの顔を見ないな。どこかで死んだのかも知れねえな。」


 そう言うとサムはどこか寂しげな微笑を浮かべてウィスキーを喉に流した。男が店のドアを勢いよくあけて、サムの言葉を叱りにくることを望んでいるかのようでもあった。


「きっと、どこかで楽しく生きてるんじゃないですか?」


 私は、心にも思っていない推測を平気で言ってみせた。内心、私もサムと同じように、男がどこかで死んでいるのではないかと不安になっていたからだ。常連たちの賑わいも一定の旋律を覚えてくるころ、私は新規のお客様用に、カクテルを作っていた。そして、混ぜ合わせたカクテルを小さなグラスに注いでいるとき、腕時計が止まった。

 私は気が動転してしまい、シェーカーを勢いよく机に叩きつけてしまった。目をハッと驚かせたお客たちに謝罪をしドリンクを提供すると、急いでバックヤードに行き腕時計を外して、どう故障しているのかを調べ始めた。いくら調べても、壊れている点は見当たらず、私は戸惑ったが、何か嫌な予感を拭いきれずにいた私は、腕時計と自分を同期することによる修理プログラムをはじめることにした。両手の人差し指から電流を流し、腕時計と自身の回路を繋げ、私は動機が完了するのをじっと待った。90、95、99、100。


「同期完了。」


 そのアナウンスと同時に、腕時計の長針と短針は逆回りに回り始めた。そしてそれと同時に男の記憶が鮮明に私の中に飛び込んできたのだ!

 これは、男の記憶か。私が見えるぞ。これは、そうだ!私が男を助けてからちょうど1週間辺りだ。私は男の記憶が自分に飛び込んできている不可思議な現象に対する不安よりも男の身に何が起きたのかという真実を知れるのではないかという期待が大いにあった。男は傷が塞いで私の店を出ると、急いでニュースを調べていた。どうやら、男が倒れていることと何か関係があるらしい。そして、男はある事故のニュースに目を奪われ、その事故の詳細を追っていた。

 『X月Y日未明、橋本花子(26)は車の制御システム不備による事故により亡くなりました。橋本さんが乗車されていた車に搭載されていたAIシステムの開発会社は今回の事故を受け、第三者調査委員会を設けると同時に、システムのアップデートを発表し、2度と同じ事故を発生させないことを声明文として発表しました。』

 そして、次に男は、森本直希という人物について、詳しく調べ始めた。私の店に朝から来ては、カウンターの端に座ってはこの森本直希という人物について調べていたのだ。そして、森本直希の居所を掴めたその日、私に腕時計を渡してきた。

 森本直希の居所を掴んだ男であったが、そこはもぬけの殻であった。それから約一年ものの間、男は尻尾を掴んでは遠くに切り離される日々を送っていた。そしてついに腕時計が止まった日になった。何かわかるかも知れない。男はとある一軒家に向かっていた。玄関をチラッと見ると裏口へ周り、レーザーで小さな穴を開けて鍵を外し、部屋へ侵入していった。足音を少しの音も出さずに、一歩ずつ神経を張りながら、男はその一軒家の寝室に向かっていた。そしてドアをゆっくりあけ、ベッドに向かい銃を向けていた。


「森本!覚悟しろ!」


 男は大声を挙げ銃を向けたままベッドに駆け寄った。しかし、ベッドには枕で膨らませた人形であり、そこには誰もいなかった。またかと思い、男が振り返るとそこには森本が立っており、男は射殺された。

私は意識を取り戻した。


「なぁ、最近あいつの顔を見ないな。どこかで死んだのかも知れねえな。」


 サム!?どういうことだ!まだ腕時計はしてある。時間を見ると、腕時計が止まった1時間前であった。


「サム!店番頼んだ!」

「え?え!ちょ!どこ行くんだよ!」


 私は店を飛び出し、裏に止めてあるバイクに乗って全速力で走った。1時間で行けるかどうかの距離である。私が見たあの記憶は全て男がたどって来た過去だ。そして男は1時間後に死ぬ。それを止めることができるのはこの世界で私だけだ。そんな大義のような野心を抱きながらも内心腹を立てていた。何度私に助けられれば気が済むのだ。人間になれるみたいなことを言っておいて、腕時計を託して、結局自分の保身のためではないか!しかし、だからといって、見捨てるほど私は薄情にプログラムされていないようだ。私はなんとかその一軒家についた急いで裏口に回ると、窓は穴が開けている痕跡があった。私は、息を潜めて部屋に入っていき、寝室へのドアを目視した。既にドアは開いていた。寝室までの距離は7mほどであったが、私は恐怖で近づけないでいた。もしも、男が死んでいるのだとしたら、どうしようかと。その時、


「森本!覚悟しろ!」


 彼の怒声が響いた。私は咄嗟に走り出して、寝室に飛び込み、男に銃口を向けていた、森本の頭に銃弾を解き放った。森本の頭は花火のように四方に飛び散り、寝室に脳が散らかった。


「お前、なんでこんな所に。」


 男は驚愕の表情で私を見つめた。私は興奮して何も答えることができないでいた。


「また、お前に助けられてしまったな。」

「間に合ってよかった。」


 私と男は安堵の笑みを浮かべて、訪れた平和を二人で祝福しようとお互いに歩み寄ろうとした。その瞬間、大きな爆発音が聞こえた。私たちは急いで部屋を出て、その爆発音の正体を確かめようと辺りを確かめると、首都の中心の建物が次々と爆発していた。


「一体何が起きている?!」


 男は絶望に向かって吠えていた。そして男の携帯が鳴る。電話に出ると、男の顔色は蒼白していき、次第に涙を流し、咽び泣き始めていた。


「一体どうしたんです!何が起きているんです!」


 私が男に問いかけると、


「俺のせいだ。何もかも俺のせいなんだ。」


 男は再び大声をあげて五歳児のように泣き始めた。そして懺悔するように語り始めた。


「俺たちがさっき仕留めたあの男の心臓の音が止まると起爆するように首都の建物に爆弾が仕掛けられていたんだ。俺はそんなことも知らずにずっと奴のことを追いかけていた。」

「彼は一体何者なんですか!?」

「俺にもわからない。ただ、去年、俺が任務として奴を未来犯罪者として追っていた時、予測された未来とは異なる未来が流れていた。それに、あの時に映し出されていた被害者はあの日亡くなり、さらに事故として片付けられていたんだ。だから俺はこの一年間、奴を追い続けていた。だけど、奴はもう未来犯罪者ではない。だから俺は後ろ盾を持つことができない状況で追う必要があった。その上、奴を殺すことは俺が未来犯罪者になることに他ならない。」

「未来を見ることが許されているのは国家の治安を守る場合のみですよね。」

「そうさ、だから最初は俺も上に掛け合ってみたが、一端のバーテンダーがそんな科学力を持っているなんて誰が思う。だから俺は、身分を捨てて、奴を殺すことに専念したんだ。」


 また、腕時計が急速に回り始めた。私に再び飛び込んで来た場面は、男が寝室に忍び混み始める所からであった。そして男は森本に射殺される。そしてその後、男が所属していた機関は男が殺されたことを受けて、森本の裏には何か大きな組織の存在があるのではないかという疑念を確信して、慎重に調査して、森本とその組織を弾圧して、一連のテロ計画を防ぐという未来が私に飛び込んできた。そうか、男の死はこの一連の惨劇の証拠なのだ。この男の死をなくしては防ぐことが出来ない未来なのだ。

再び腕時計は正常に動き始めて、私は寝室のドアの前に立っていた。そして私の目の前には森本と男が立っている。私はゆっくりと銃を上げその照準を森本に定める。あとは引き金を引くだけだ。合理的にプログラムされている私の判断だと、このまま男を見殺しにすべきだろう。しかし、今の私にはどうすべきか、まるで検討がつかないのだ。人間であるあなた方にどうか教えて欲しい。私はこの引き金を引くべきであるのかどうかを。腕時計は規則正しい速度で私を運ぶのであった。

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