何でこんな日に有給をとっちまったんだろうな

常世田健人

何でこんな日に有給をとっちまったんだろうな

「何でこんな日に有給とっちまったんだろうな!」

 朝八時に会社のパソコンに向かい合いながら自宅で激昂した。

 十二月下旬という年度末に差し掛かる忙しい時期――月曜日に有給をとった。

来週月曜日からは会社全体が関わるイベントが待ち構えている。

その準備が全くと言っていいほど終わらず、加えて本来の始業時間も九時であるにも関わらず朝八時にはパソコンの画面にはメール画面が開かれていた。


 ――全ての原因は一ヶ月前に活用した会社の制度だった。

 俺が務めている会社には有給奨励日というものがある。

 そして同時に、振替休日というものがある。

 この二つを別々に説明できるならばどれほどよかっただろうか。

 しかし、現実、この二つの休日のせいで俺は今パソコンを開いてしまっている。

 まず有給奨励日は、会社が通年で指定する、有給をとることを推奨する日だ。

出勤日に休みながらも給料を発生させられるのが有給で、そこをとるのは会社員の権利になっている――はずだ。

けれども現実はというと、会社の雰囲気というものがあり、特に俺が務める会社は俺のような独り身男性には取りづらいものになってしまっている。

そんな中で、一年の内――『有給をとる日を統一して会社全体で休む日という設定にしましょう』というものが、有給奨励日にあたる。そもそも有給というものは会社員の権利であって奨励されるものではないだろうということはさておき、とにもかくにもここで有給をとることが上司から言われ、大抵の同僚はここで有給をとる。

十一月に、有給奨励日として設定されている日が、あった。

 だが、十一月――俺は、休日出勤をしてしまっていた。

 休日に出勤をしなければならない場合、振替で休日が発生する――これが振替休日にあたる。

 これが――これだけが振替休日の定義であれば、どんなに楽だっただろう。

 現実はそんなに甘くない。

 俺が務める会社の振替休日は――翌月にまでしか繰り越せない。

 二か月後には、消滅する仕組みになっている。

 会社としてそれはどうなんだと思いながら、ルールなのだから仕方がない。

一月が忙しいのは間違いないため、どうしようかと悩んでいたところ、「おい」と上司に声をかけられた。反射的に立ち上がり上司の方を向く。上司はスマホを持っていて、いぶかしげな目つきで何かを確認しているようだった。

「お前、今月土曜日出勤したよな。二十一日か」

「はい、そうですけど」

 どうやらスマホで俺のスケジュールを確認しているらしい。

 上司は俺の方を見ないまま、こう言った。

「今月有給奨励日あるだろ。振替休日はそこにあてろよ」

「え?」

 思わず戸惑いを口から漏らしてしまった。

 有給奨励日は有給を奨励する日ではないないのか。

「そりゃそうだろ」一方で上司は尚もスマホを見ながら淡々と述べる。「振替休日は翌月までしか繰り越せないんだから、有給よりも先に使うのが当然だろうが」

「あ、はい、わかりました」

「今日中に申請しとけよ」

 何とか平静を装いながら了承した俺に満足したのか――他にも該当の社員が居るのか――上司はスマホを見ながら去っていった。

 ――有給奨励日なのに、有給を使えない。

 これは会社の制度ではなく、風習というものなのだろう。

 上司にそう言われたら従うしかない。

 けれども、何かが、釈然としなかった。

「……有給の代わりに振替休日をあてる」

 そうであるならば――逆もまた然りであっても良いはずだ。

 そもそも有給を簡単に取れない風習がある会社だ。

 ここを逃して、有給をいつとれるか分かったものではない。

 俺は有給奨励日に振替休日申請をした後――十二月に有給を一日突っ込んだ――


「で、火の車ってか。笑えねえなあおい!」

 画面上に展開される資料をにらみながら自宅で叫び散らす。こういうときは

在宅制度が広まって良かったと思う。在宅とは言っても今日は有給をとった日というのが皮肉でこれまた笑えない。 

 この資料作成さえ終われはひとまず今日を終えることはできる。ひとまずだ。そこまでいけば終わって良いだろう。始業前にも関わらず会社の同僚からメールがどんどん来るがきにすることなく没頭する。

 そうして二時間が経った後、ようやくひと段落をつけることが出来た。

「……やってらんねえ」

 自分が選択したはずの休日にも関わらず仕事で疲弊しなければならない意味が分からない。

 やるせなさを感じながら自身のスケジュールを会社指定のWEB上で確認する。この資料さえ終わっていれば明日、何とかなることを何度も確認して安心した。ついでに上司への有給申請がきちんと通っているかどうかを、上司のスケジュール上で確認しようとした――その時だった。

 俺の他にもう一人、今日、有給申請をしている人物が居る。

 その人物は部署違いの後輩にあたる女性だった。この会社に人員が足りなさ過ぎて上司が二部署を兼任しているから彼女の有給申請が見えてしまっている状況だ。

部署違いとは言えど、働いている建物と階は同じなため、顔と名前は一致していた。おっとりした小柄な人物で、黒髪のショートヘアーが印象的だった。事務職を担当されていた気がする。そんな人物が、有給を申請しづらいこの会社でこんな忙しい時期に有給をとっていることが驚きだった。

 部署は違うといっても、年度末が差し迫っているこの時期が忙しいのはうちの会社だとどこも同じなのではないだろうか。

「同じ理由か……?」

 その人物の名前を会社指定のWEB上で検索し、先月のスケジュールを閲覧する。

 しかし彼女のスケジュールに休日出勤の予定は入っていなかった。

 有給奨励日は、きちんと有給をあてていたことが伺える。

 ――月曜日に有給をとって三連休にしたかったということだろうか。

 それにしても、年度末の忙しさが遠のいた日に有給をとれば良いだろう。

 単にプライベートの予定が入っていたからかもしれないし、同僚とはいえどスケジュールを詮索するのも良くないだろう。

 だが、この時の俺は、なぜか同志を見つけた気分になっていた。

高揚感に浸ってしまったと言い換えても良いかもしれない。

とにもかくにも、有給にも関わらず仕事をしていた中で発見した事実に対してもう少し調べられないか、前のめりになってしまった。

彼女のスケジュールを一年間分見ることにした。

どうやら彼女は俺と同様にかなり忙しいようだった。定時を超えたところにも何か予定が入っている。事務職の方にも会議はあるのはわかっていたが、何も定時後にしなくても良いのではないだろうかとは思う一方で、会社が定時として設定している十七時までは社内と社外の対応をしなければならないから仕方がないのだろう。

ただ、休日出勤は一年通して無いようだった。

逆に言うと振替休日が発生しないため、有給奨励日以外に有給をとる際には何か目的があるということになる。

――二〇二〇年四月から二〇二〇年年十二月までのスケジュールで、彼女が有給を申請していたのは下記の日程だった。


・四月二十二日(水曜日)

・七月八日(水曜日)

・八月十八日(火曜日)

・十月二十日(木曜日)

・十一月二十四日(火曜日)

・十二月十四日(月曜日)

・十二月二十一日(月曜日)

・十二月二十三日(水曜日)


 ここまで確認したところで俺が発した第一声はこれだった。

「むっちゃ有給とってるな!」

 うちの会社は有給奨励日以外にもこれほどまでに有給を申請できるのかと驚きを隠せなかった。これを踏まえるとまだまだ有給は残っているはずなのでどこかで絶対に有給をとるぞと思いつつ、この日程の共通点を見出そうと思った。

 ――十五分ほど考えてみた。

何も見えなかった。

まず曜日がばらばらだ。今日みたいな月曜日だったり金曜日だったりを中心にゆうきゅう申請しているのであれば三連休をつくってどこかに旅行に行きたいのかと思ったが火曜日や水曜日も多く選択されている。

続いてバンドや芸能人のおっかけをしているのかと思い有名どころのライブ会場のスケジュールも一通り見てみたが、共通して出てくる名前は無かった。

「残るは、彼氏か家庭の事情ってやつくらいか……」

 自室でパソコンを見ながら一人ぶつぶつこんなことをつぶやくアラサー男性は気持ち悪い輩でしかないのは重々承知だったが、呟いてしまうものは仕方がなかった。

 ――それにしても、気になる。

 ――彼女のどんな背景が有給を申請させているのだろう。

 気になって仕方がなくなってしまった俺は、彼女の明日のスケジュールを確認し、空いている時間帯を確認した。

 同じ時間帯の自分のスケジュールに、『有給申請の理由を聞く』という予定を非公開設定で入れて、パソコンを閉じた。


 *


「突然ごめん。ちょっと良いか」

「はい? な、何でしょうか」

 廊下での突然の声掛けに驚いたのだろう。

それもそのはず、俺が彼女に話しかけたことがあるのはこれまで三回にも満たない。加えて大抵彼女が何か業務中に致し方なく話しかけるケースだったため、彼女にしてみたら一息ついたときに突然業務に戻されてうろたえてしまったのだろう。

 そんなことは構わず、俺は話を切り出した。

「なあ、何で昨日、有給とったんだ?」

「は、へ? な、何でそんなこと聞くんですか」

 受け取られ次第では、部署違いの先輩男性が自身のスケジュールを確認して詮索しているという一歩間違えればセクハラにしかならない状況だった。

 しかし、好奇心は収まらない。

 俺は、口の動きを止めることが出来なかった。

「昨日、俺、有給とったんだよ。色々あって有給なのに仕事しなきゃいけなくて、むしゃくしゃしながら上長のスケジュールを確認したら君も有給とってただろ」

「まあ、そうですね。とりましたね」

「で、何でこんな日に有給とってるか気になってしまって、君の一年間のスケジュールを見たんだ」

「何でそんなことしてるんですか!」

「ごめん、そこはどうでもいいから最後まで聞いてほしい」

「私はすぐさま昨日の先輩の行動を問いただしたい気分なんですけど」

「君のスケジュールを見ると、意味不明な日にばかり有給をとってるじゃないか。どんな理由があってこんな有休申請をしているのか、理由を聞かせてほしいんだよ」

「……あー、なるほどですね」

 彼女はそこまで聞いて腑に落ちたと思ってくれたらしい。

 同僚女性の休日の予定を詮索するというハラスメント以外の何物でもないのだが、彼女は大きくため息を一つついて俺の目をまっすぐ見てくれた。

 この様子からして、やはり何か裏があるのだろう。

「大した理由じゃないんですけど良いんですか」

「ああ。聞かせてくれ」

「はぁ。まあどうでも良いことなので言いますね」

 思わずゴクリと息をのんでしまう。

 妙な緊張感が全身を包む。

 対して彼女はあきれながら、言葉を紡いだ。

「私が有給申請した日はですね、世界中で平日の日なんですよ」

「……は?」

「ほら、バカにして。話はこれでおしまいってことで」

「待て待て待て待て! どういうことだ! 詳細を説明してくれ!」

 あまりにも聞きなれない言葉の並びに戸惑ってしまったところを勘違いさせてしまった。

「バカになんてするはずないだろうが! 昨日、結局ずっと気になって何も

手がつかなかったんだぞ!」

「うーわ、それは普通に気持ち悪いです」

「いいから教えてほしい、お願いだ!」

 より一層大きなため息を吐いた後、彼女はつらつらと述べる。

「私、去年まで有給をとるのを渋っていたんですよ。この会社って有給奨励日は有給とりやすいですけどそれ以外の日ってなんか憚られるじゃないですか」

「間違いないな」

「でも有給は二年間しか繰り越せなくて、残った有給は給料になるでもなく消滅しちゃうのが何か納得できなくて。ただ趣味はお笑いライブ鑑賞くらいしかないし彼氏はいないしで有給をとるきっかけがなかったんです。そんなときに見つけたのが――二〇二〇年、世界の祝日カレンダーというものでした」

「祝日カレンダー? 世界の?」

「世界の、です。例えばアルメニアの陸軍の日とか、バハマの多数決記念日とかですね」

「すげえな、全然ピンと来ない」

「まあそうですよね」

 そこで初めて彼女は少しだけ笑ってくれた。

 ここまでおびえさせていたので若干ながら気が楽になった。

 勢いついでに、質問を投げかける。

「その祝日カレンダーと、君が有給をとる日に何が関係あるのか?」

「実はですね先輩――世界の祝日をかき集めたこのカレンダーでも、どうしても平日になってしまう日があるんです」

「……それで?」

「世界中で誰も休んでない日。そんな日に休める自分って、最高じゃないですか?」

 彼女は、自慢気にこう言ってのけた。

 ――凄いな。

 ――想像していた五百倍どうでも良い理由だった。

 だが、気持ちはわからないでもなかった。

 有給は何かよほどの理由がないととりにくい。

 そんな中でどうにか有給をとるには、こんなどうでも良い理由でも、ないよりはましなのだ。

「先輩が今何を思っているかわかりますよ」

 彼女はおびえていた様子から一転してニコニコしながら話しかけてくれる。

 その様子がやけに可愛らしいなと思いつつ、こう返答した。

「奇遇だな、俺もだ」

「私たち、似た者同士なのかもしれませんね」

「なんか、一緒にされたくないな」

「私もです」

 こうして俺たちは会社の廊下で静かに微笑みあった。

 謎が解けてすっきりしたのも束の間――そういえば明日も、世界中からみても平日であることに気付いた。

 勢いというのはなんと頼もしく、愚かだろう。

 ――「明日、有給とるだろ。俺も一緒にとっていいか」

 普段の俺からは考えられない質問をこの後彼女に投げかけ、彼女は改めてうろたえる。

 彼女は「まあいいんじゃないですか」と続け、俺は「お笑いライブが趣味なら、明日一緒にいかないか」という一言をつい出してしまった。

 それは昨日から続く高揚感がもたらしてしまった顛末だろう。

 ここですんなり断ってくれたり――嫌々というところを全面的に押し出しつつの承諾をされたりしたら、申し出を取り下げようと思っていた。

 彼女は――頬をほんのり朱く染め――コクリと無言でうなずいた。

 ――今日は、ジンバブエではユニティ日という祝日である。

 明日は、俺と彼女の有給奨励日。

 そしてその翌日に俺と彼女の記念日になるのは、また別の話だ。 


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