第25話

グラスに満タンに注がれた水は、今にもこぼれ出しそうで危なっかしい。

そのくらい生死がギリギリの世界で俺たちは生かされている。

それは誰にでも言えることだが、平等というわけでもない。

つまり、何が言いたいかというと…


今日彼女のグラスが傾いてしまったということだ


それは、俺が病院に通い始めて4年が経とうとしていた頃だった。

その日、俺が病室に入ると、医師と看護師が数名ベットの周りにいた。

それを見て、何が起きたのかは察することができた。

あまりにも、唐突ではあったが……


俺はただ、そこに立ち尽くすことしかできなかった。

どこからか鼻のすする音が聞こえる。それが、自分のものだと気づくのに少し時間がかかってしまった。

俺は泣いていたんだ。

それすらもすぐに気づけないほど、俺は気が確かではなかった。


それから少しした後、彼女の親が来て、いろんな人が出たり入ったり……

自分がそのあとどうしたとか彼女がどうなったとかは覚えてない。

ただ、時間だけが過ぎていった。


それから一月が経ち、俺は琴音の母親に呼ばれ、家へ向かった。

玄関を開けた彼女の母親は、客人への微笑みを作っていたが、死んだような目は、本当の心情を映しているようだった。


リビングのテーブルで向かい合って座り、少しの沈黙が続いた。


しばらくして、彼女の母親が口を開いた。

「これまで、琴音のことを大事にしてくださって、本当にありがとうございます。

あの子も幸せだったと思います……


どうか、新しい人を見つけて、その方と………あの子の分まで幸せになってください……」


……俺はどう返していいかわからなかった。

この人は琴音のことは忘れてくれて構わないと、でも娘の分までの幸せになってくれと、つまり忘れて欲しくないんだろう……


すると、その人は立ち上がって何かをとりにいき、戻ってきたその手には一冊の本があった。

「これを……」

テーブルの上に差し出されたその本は、見覚えのあるものだった。


そう、俺が彼女に渡したあの日記だ。

「中を見ました。これはあなたが渡したんですね」

俺はうなずいた。

「残念ですが、あの子は途中からこの日記のことすら忘れていて、ほとんど書いていません。

読むほどの事も書いてありませんでした………

ですが…………最後のページだけは、あの子が最後にあなたに向けて書いたものでした。

どうぞ、読んであげてください。」

俺はゆっくりと日記をとった。

表紙をめくり、最初の方を見てみる。

お母さんがいっていた通り、箇条書きで出来事が書いてあるだけだ。


そして、最後のページを開いた。


『……………………』


息がつまり、目が熱くなる。


紙の上に大粒の涙が落ちた…


目から涙が溢れてとまらない。


俺は、ただ、ひたすらに号泣し続けた…………


数分間泣き続け、ようやく落ち着いたとき

「ありがとう………ございます……」

と、お母さんは微笑みながらそう言った。その時の目は穏やかだった…


「すみません、取り乱してしまって……」

「いえ、あの子のために泣いてくださったのですから、よかったです…」


それから数分、ぎこちない雰囲気は変わらず、時間が過ぎていった。

「そろそろ、御暇します。」

「今日は……来ていただいてありがとうございました。

この日記、よかったら貰ってください。」

「いいんですか」

「はい…うちに置いておくより、あなたに持っていてもらったほうが、あの子も喜ぶと思います。」

「わかりました。

では………」


それから俺は、駅へ向かう道を歩いていた。

そういえば、彼女と初めて話したのはこの道だったな………


駅への道を歩きながら、俺は彼女が亡くなる前の日ことを思い出していた。

あの日、病室には紺色のカーテンがかかっていた。

彼女は真っ白なベットの上で眠っていた。


〜この日記は君に届いてるかな〜


彼女はとても穏やかに眠っていた


〜私ね、思い出したよ〜


彼女がいなくなっても、俺はきっと忘れない


〜 つかさくん いってくるね  〜


彼女はゆっくりと目を覚まして、微笑んだ…………


〜 琴音より 〜


「いってらっしゃい 琴音」


日光が紺色のカーテンを強く照らして、部屋は薄い青で包まれ…


彼女の瞳は、儚く美しい紺色となって映った。

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ブルーベリーアイ @x_amanotuki_x

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