第19話 籠vs秤

 見張りの目を縫うようにして、シュシュは貧民街まで3kmの地点にまで侵入していた。


 彼女が先導することにしたのは、“転送“によって後に続く二人を引き寄せられるようにするためだ。


 30分が経過するたびに、キャロルを自分の手元に引き寄せる。異常があれば転送をせず、その場合はウィルとキャロルは打ち合わせと別のルートをとって進む。そういう算段だ。


 シュシュはあえて、見張りの多いメインストリートの周辺を進んだ。


 見張りの手薄な道はトラップでカバーしてる可能性がある。夜道なら人の目よりも罠の方が厄介。七つ宝具として数々の任務についてきた彼女は直感的に理解していた。


 建物の影に潜みながら、少しずつ歩を進めていく。


 見張りは予想していたほど多くはなかった。にもかかわらず、罠らしい罠も見当たらない。


 侵入は順調そのものだった。気味が悪いくらいに。


 衛兵の姿はなし。仕掛けもなし。


 ってことは……それら全てに替わる何かがこのルートに配置されているということよね。


 

 いちばんめんどくさい展開になったかも。



 パタン。と本を閉じる音が耳に届くと、シュシュはため息をついて大通りに出た。


 眼鏡の向こうに鋭い光を宿し、七ツ宝具“秤”のミュゼが立っていた。


「やっぱr」

「やはr」


「セリフ被せてこないでよ!」


 言いがかりに近い抗議をかますシュシュを前に、ミュゼは眉間に皺を寄せて応じた。


「待ち伏せを受けておきながらよく『やっぱり』なんて口火を切ろうとしたものね。

 袋のネズミらしく、命乞いでもしたらどう?」


「は? 命乞い? 堅物のあんたもちょっとは冗談が言えるようになったのね。ぜんぜん面白くないけど」


 軽口を叩きながら、シュシュは周囲の気配を探った。強い気配は感じない。


 この場にいる七ツ宝具はミュゼだけだ。よほど気配を断つことに長けた衛兵を揃えたわけでもないなら、囲まれてもいない。


 にもかかわらず、ミュゼは『袋のネズミ』という表現を使った。相応の準備をしてこの場に臨んだに違いない。


「——。私のことを下に見るようなこと言いながら、全く警戒を緩めない。

 そういうところは昔から抜け目ないわね」


「別に見下したりしてないよ。いけ好かないだけ。

 とはいえサシの勝負を挑んでくる気なら、ずいぶん強気なもんだと思うけど」


「強気……そうね。昔の私なら、天才と呼ばれるあなたを一人で止められるなんて思わなかった。

 それほどあなたと私には大きな実力の開きがあった」


 話しながら、ミュゼの脳裏には護衛の養成学校に通っていた頃の景色が浮かんでいた。


 アカデミー始まって以来の天才と呼ばれた少女、シュシュ=ブランケット。


 常にその順位の一つ下にある自分の名前。


 何度、突きつけられたかわからなかった。


 才能という名の壁を。


「けれど不思議なものね。席が並んでいただけの関係だった私が、今は同じ七ツ宝具としてあなたの隣に並ぶことができた。

 そしてあなたを倒す役割を与えられ、ここに立っている」


「立場が並ぶことと、力が並ぶことは別だと思うけどね」


「そうね。いつもやっているような“お遊び“ならいざ知らず、真剣勝負の場であなたと互角だなんて、一度だって思ったことはない。

 だからこそ長い時間をかけて積み重ねてきた。力も。それに覚悟も」

 

 覚悟。


 その言葉とともに、ミュゼの唇から一筋の血液が流れるのをシュシュは見た。


 直後に襲う強烈な胸の痛み。込み上げる吐き気に、思わずシュシュは口元を拭った。


「血……? ミュゼ、あんたまさか」


 赤く染まった自分の右手。同じように口から血を滴らせるミュゼ。


 示し合わせたかのように始まった二人の吐血。


 目を見開くシュシュに、ミュゼは咳き込むように血を吐きながら答えた。


「ここまでしなきゃ、あなたには勝てない」


 姫君の“秤” 、ミュゼ=ノエル

 彼女は自分と相手の力量やコンディションを、近づけることができる。


 ミュゼの吐血と自分の異変。シュシュは先手を打たれた……いや、打たれてことを確信した。


 彼女の魔術は、自分のコンディションと相手のコンディションを近づけること。そのメリットは、強い者やコンディションの良い者を魔術の対象として、ミュゼ自身の状態を向上させられる点にある。


 裏を返せば、自分が万全の状態になければ、相手を弱体化させることもできるということ。

 

(きっとミュゼは自分で毒薬を飲んだ。時間が来たら一気に全身へと回る毒。

 そしてわたしにも同じコンディションを押し付けた。

 そこまでやる!? 普通)


 胸の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような痛み。おそらく致死量スレスレの毒。


 これに耐えてまで仕掛けた策。それほどの覚悟。


「これ……放っておくと二人とも死ぬやつだよ。

 ミュゼ、解毒剤はちゃんと持ってるんでしょうね」


「当たり前でしょう。

 私の目的は相打ちじゃない。あなたを倒すことなのだから」


 ミュゼは胸元を探ると、黄色のカプセル薬を取り出した。それを飲み込むと、青白かった顔色に血の気が戻った。


「毒の効果があなたに回ったのを確認したら、私は魔術を解く。それから解毒剤を飲み、自分だけ症状を緩和する。

 流石のあなたも、毒を盛られた状態ではまともに戦えはしないでしょう?」


「——面白いことしてくれるじゃない。

 でも残念。解毒剤があるならこっそり飲まなきゃ」


 そう言って、シュシュは手元に摘んだ“黄色のカプセル”を掲げて見せた。


「わたしは城のあらゆる部屋に入って、自分の指紋をつけてある。

 武器庫も。書庫も。それに薬品庫もね。

 こういう時のために、薬は全部取り寄せられるようにしてあるのよ」


 もちろんシュシュも、症状だけで毒の性質までは診断できない。しかし城の書庫に収められている解毒剤の中で、黄色いカプセルの解毒剤は一種類だけだった。


 解毒剤を見せたのは迂闊だったわね。


 そう言って薬を口に放り込もうとしたその寸前。シュシュはその手を止めた。

 

 解毒剤を見せてしまい、その種類を特定されるというミス。


 ミュゼがこんなミスをしたことがある?

 

 じっとシュシュを見据えるミュゼ。妨害するでもなく、ただ立っているその姿は……見守っているというより、待っているように見えた。


 標的が黄色いカプセルを飲むのを。


「ねえ。そういえばどうして、“フラット”がわたしに効いてるわけ?」


 締め付けられるような胸の痛みに耐えながら、シュシュは視線を落とした。


 ミュゼとの距離。およそ10m。


 いや、ピッタリ10m。数センチの狂いもない。シュシュは確信を持っていた。


 対峙した瞬間からこの距離は意識していた。ミュゼの魔術には発動条件がある。


 1つは相手の個人情報を握っていること。


 もう1つは、相手のとの距離がミュゼの歩幅で10歩以内にあること。


 二人の付き合いは長い。だから個人情報の条件は満たすだろうし、“フラット”の効果が十分に効くことは納得できる。


 だからこそシュシュは気をつけていた。ミュゼの魔術の有効半径に入らないようにと。


「身長からいっても、普通に歩くミュゼの一歩は1mもない。

 つまり10mあれば、魔術の有効半径である“ミュゼの10歩”には入らないはず。


 ここで会ってからわたしとミュゼは近づいてない。なのにあんたが魔術を発動できてるのは……会う前から、もうミュゼの魔術がわたしを捉えていたってことよね。


 ミュゼはわたしを待ち伏せていた。ってことは、ここに来るまでのルートもだいたい予想できていたはず。


 わたしが衛兵の監視に気を取られながら進んでいる間のどこかで、“フラット”を発動していた」


 つまりシュシュとミュゼの二人は、遭遇したわけではない。


 ミュゼが先にシュシュを見つけ、気づかれないようにフラットを発動。


 その上で先回りをしていたのだ。 


 ——そうなれば話は簡単ではなくなる。


 だってミュゼは、ここまでシュシュの行動を予測して動いている。


 となれば、黄色いカプセルを見せたら、城の薬品庫から黄色いカプセルを転送することまで予測済みで……そこに罠を張っている可能性が十分ある。


 いや、もはや「可能性」なんて表現をするべきじゃない。


 カプセルは罠。そう考えるべきだ。


「ミュゼ。あんたが持っていた黄色いカプセルはちゃんと効く解毒剤。

 でも、わたしが城の薬品庫から“転送”したこれは別物なんでしょ。


 わたしがカプセルを飲もうとするのを妨害しないのもそのせい。


 薬品庫のカプセルをすり替えた? それとも、毒の方が特殊なやつで、このカプセルを飲むと副反応が出るようなやつかもね。


 いずれにしても飲んだ瞬間ゲームオーバー。恐ろしいこと考える女よね」


 そう言って、手にしたカプセルを放り投げるシュシュ。


 その様を見て、「恐ろしいのはシュシュ。あなたの方よ」とミュゼはため息をついた。


「そう。今回の毒は、城の解毒剤を使うと副反応を起こす類のもの。私が今日のために特別に調合したものよ。

 先回りはすぐに見破られるでしょうけど、そこから解毒剤の副反応まで予測されるとは思ってなかった」


 やはり天才の肩書に誤りはない。ミュゼの耳に、シュシュの足止めを志願した際のクロードの言葉が蘇った。


『“籠”と遭遇した場合、敵の力量は私や“錠”に近いものと考えるよう。

 一秒でも長く足止めを』


 あのクロードでさえ認める、それほどの相手。


「シュシュ。あなたには、やりすぎるくらいで丁度いい。

 間違っていなかったようでホッとしたわ。


 とはいえ毒が回ったその状態では戦いにならないでしょう。大人しく手足を折られるなら、命は助けてあげる」


「また命乞いの催促? よっぽどわたしと殴り合う自信がないみたいね」


 シュシュは衣服の裾をまくり上げると、血に塗れた唇を釣り上げて見せた。


 あらわになる素肌。両腕、両脚を締め付ける無数のバンド。


 シュシュによって外されたそれが落ちると……レンガの路面にヒビが入った。


「やりすぎるくらいでちょうどいいとか言ったわね。

 その言葉、そっくり返してあげる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る